iの研究



第六十八回 <音楽>の研究(4)



CDプレーヤーのトレイに一枚のCDを載せる。
OPEN/CLOSEのボタンでCDを押し込み、PLAYのボタンを押す。
静かな、静かなピアノの音に女性ボーカルがかぶさる。
胸に染み込むような透明なヴォーカル。
いくぶん中性的でありながら、同時に女性を強くを感じさせる歌声。
k・d.ラング。

カナダのシンガーソングライターであるk.d.ラングの新譜は、同じカナダのミュージシャンへのリスペクトを込めたカヴァーアルバム。
ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、レナード・コーエン。
とりわけレナード・コーエンの「Halleluja」のカヴァーは、オリジナル以上に深く感情を揺さぶられる。

窓際のベッドで横たわりながら聴いていると、日中の暑さのお返しのような涼しい夜風が、その音と共に身体を撫でる。
わたしが、久しく忘れていた感覚。
音楽を聴き、感動する喜び。




音楽と生活の関係は人それぞれです。
わたしは物心ついたときから、生活の中に音楽がありました。
最初は、ラジオでした。
ラジオから流れてくる音楽、主に歌謡曲です。
次はテレビで、和製ポップスを良く視聴しました。

親に携帯レコードプレーヤーを買ってもらったは、中学一年の時でした。
把手(ハンドル)付きで、中央に17cmのターンテーブルがあり、小さなスピーカーが付属していました。
蓋を閉めると持ち運びが簡単にできました。
初代のiBook(クラムシェル)を思わせる形状でしたが、電池では駆動できなかった思います。

その頃から音楽は洋楽中心になり、携帯プレーヤーは一体型ステレオへとグレードアップしていきました。
丁度友達とビートルズやヴェンチャーズを盛んに聴いていた時です。
それぞれが購入したレコードを交換しあって、毎日毎日飽きもせず聴いていました。

大学に進学すると、生協で小さなコンポーネントを買ってジャズを聴いていました。
ロックは子供の音楽のような気がし、いっぱしのインテリを気取って時々ジャズ喫茶にも足を運びました。
しかしそれは長続きせず、さっさと子供の音楽に逆戻りしました。
コンポもグレードアップして秋葉原で廉価なプレーヤー、アンプ、スピーカーを調達しました。

大学と並行して通い始めた美術専門学校では、美術と音楽が生活の中心になりました。
友達のアパートに遊びに行ったり、自分のアパートに友達が遊びに来ると、レコードをかけながらダラダラと時間を過ごしたものです。
音楽を話題にしたりBGMにしながら、とりとめもない話で夜は更けました。

店(西瓜糖)を開業すると、カセットテープにダビングする生活が始まります。
ここでも音楽はBGMであり、話題の中心の一つでした。
そしてWalkmanの登場があり、わたしは月賦(ローン)で二代目を購入して専ら就寝時にそれを再生しました。

レコードがCDに替わって、CDプレーヤーが普及価格になった頃、店内にCDプレーヤーが設置されました。
店にはいろんな音楽が持ち込まれ、一日中音楽を聴いている毎日でした。
MDが出始めた頃でしょうか、わたし自身の体調が崩れ、その影響で精神的な余裕を持てなくなりました。
音楽を聴いても、以前のような感応や好奇心がなくなってしまいました。
自然と聴く音楽の種類が限られ、少しづつ音楽中心の生活から離れ始めました。
その後は年に十枚足らずのCDを買う程度で、以前とは比べ物にならない音楽生活になってしまいました。



そんな生活の転換になるかもしれないと思って、唐突に購入したのが、ブルーのiPod miniです。
簡単に振り返ったわたしの音楽生活で 興味深いのは、音楽とメディア(音楽の容器)とメディア(再生装置)の変遷と重なることです。
私的複製を普及させたカセットテープ、音楽を外に持ちだしたウィークマン、音楽をデジタル化したCD。
とりわけ、音楽という範疇を超えて生活全般に影響力を及ぼしたのはWalkmanで、今の携帯電話の先駆けです。
いつでもどこでも好きな音楽をパーソナルに聴けるWalkmanは、空間の公私を曖昧なものにしました。
それまで共有、公有だった場所/風景に、<私>を公然と持ち込みました。
これはメーカーの意図とは別の問題で、そういった潜在的欲望がWalkmanを得て顕在化したのです。
(私的AV機器を得意としたSONYがそれを発売したのは、偶然ではなく必然ですが。)

ポータブル音楽プレーヤーの歴史は、カセット、CD、MD、メモリスティックと続くWalkmanの歴史です。
ところがiPodの登場でその歴史が変わりました。
どのように変わったかはこの研究で考察しますが、個人的にその変化を体験したい気持ちが以前からありました。
iPod miniの購入は、自分の音楽環境を変えたいという希望+音楽そのものの変化を体験したい願望が重なったわけです。
そして背中を押してくれたのは、あのチャラチャラしたiPod miniのカラーでした。

さて、冒頭のk.d.ラングのCD、これはiTunes Music Storeで購入したアルバムをCD-Rに焼いたものです。
ご存じかと思いますが、iPodはiTunesというソフト経由で楽曲をHD(ハードディスク)にコピーします。
そのiTunesからはiTunes Music Storeというオンラインミュージックストアにアクセスできます。
購入した曲はダウンロードと同時にiTunesのライブラリに追加されますから、ケーブルを接続するだけでiPodに転送することができます。

iTunes Music Storeは現在日本からの楽曲の購入ができません。
できるのはアメリカとヨーロッパ数カ国です。
iTunes Music Storeに接続すると、購入がアメリカ在住者に限られる旨の英文が最初に表示されます。
しかし英文の後半を読むと、クレジットカードの請求書送付先がアメリカであれば可能とも記されています。
日本に在住していても、クレジットカードの口座がアメリカにあれば良いということです。

そこで、iPod miniの購入を決めたとき、アメリカに住む親しい従兄弟にメールを打ちました。
iTunes Music Storeのアカウント(Apple もしくは AOLのIDとパスワード)を取得してもらい、それをこちらで使いたいとの依頼です。
(購入代金は従兄弟のクレジットカードで決済することになるので、信頼関係をあてにした依頼でしたが。)

音楽好きの従兄弟は二つ返事で快諾してくれ、iPod miniの購入とタイミングを合わせるかのように、アカウントがメールで送られてきました。
しかも従兄弟もiPodを購入し、すでに2000曲も入れてクルマで聴いているとのことです。
わたしの場合は上記のアカウントを使っていますが、調べてみると、iTunes Music Storeでの楽曲購入はアカウントなしでも可能です。
プリペイドカード(15$)か、アメリカ在住者からiTunes Music Storeのギフト券を贈呈してもらえば買えます。
(最初の購入時にアドレスを記入しなければなりませんが、実在のアメリカの住所であればどこでも構わないようです。)

iPodは単独では機能の少ないHDプレーヤーですが、iTunesをステーションに使うことによって真価を発揮します。
iPodのソフトウェアと操作性は良好で、Appleが培ってきたインターフェイスのノウハウが生かされています。
楽曲の管理やプレイリストの作成、編集はiTunesでおこない、iPodではシンプルな操作で音楽を楽しむ。
この連携の巧みさとシンプルさが、iPodをHDプレーヤーの代名詞にしました。

音楽界にショックを与え、iPodの売上げが急増したのは、昨年五月のアメリカでのiTunes Music Storeのオープンです。
なんといっても一曲99セント(日本円で110円ぐらいでしょうか)という安さと、CD、HDへのコピーを認めた(回数制限はあるが)販売規約がユーザーに歓迎され、爆発的なダウンロード数を記録しました。
(つい最近、累計一億曲のダウンロードを記録したそうです。)

ここで言い訳を一つしておきます。
以前の「音楽の研究」で、わたしは日本でiTunes Music Storeがオープンしてもダウンロードしないと書きました。
オープン以前にダウンロードするとは、まさに「舌の根も乾かぬうちに」です。
理由は、繰り返しになりますが、自身の音楽状況を変えたいこと、もう一つは体験です。
音楽をオンラインストアで購入(ダウンロード)する行為と、その後のリスニングに起きる変化も体験したかったのです。
iPodそのものは発売されてから時間が経っていますが、iTunes Music Storeのオープンによってその使い勝手も変わったと思います。
どうせiPodを買うのなら、それを体験して、その社会的意味も考えてみたかったのです。

2001年発売の第一世代iPodに入れられる曲は1,000曲です。
(最新のiPodでは10,000曲です。)
そんなに曲を入れてどうするのでしょうか。
発売当初、わたしも多くの人も同じ感想を持ちました。
Walkmanに代表される、従来のポータブルプレーヤーの発想で考えた結果です。
ところがあるとき、楽曲をデータベースとして考えてみたら、すんなり納得できました。
只今のわたしの感想は、HDプレーヤーに入る曲数は多ければ多いに越したことはないに変化しました。

コンピュータが最も得意とするのは、集積されたデータベースの処理です。
住所録などで、フィールド(項目)別のソートが瞬時に可能なのは誰でも知っていますね。
これを楽曲の管理、プレイに応用したのが、iTunes+iPodです。
Walkmanを生んだSONYにこの発想がなかったのは、SONYが基本的にAVメーカーであり、Appleがコンピュータメーカーだったからです。
MDやメモリースティックのWalkmanとiPodの間には決定的な段差があり、その段差とは楽曲をデータベースと捉えるソフトウェア的発想です。



楽曲をデータベースとして捉える発想を具体的に書けば、iPod+iTunesで作成するプレイリストとシャッフル機能です。
プレイリストを一言でいえば、テーマ別に楽曲を集めたリストです。
朝聴く音楽でもいいし、ドライブ用でもいいし、夏の音楽でもなんでも、自分でデータベース(iTunesのライブラリ)から選んでリストを作ることです。
リストは無限に作れますし、楽曲に埋め込まれたID情報を利用して自動でスマートプレイリストも作れます。
例えば「blue」がタイトルの含まれる曲と設定しておけば、条件にあった曲のリストが作られ、その後追加した曲も自動的にそのリストに入ります。

シャッフルはソフトウェアに選曲を任せる機能ですが、これは曲数が多いほど面白く、新鮮な体験ができます。
アルバムのシャッフルはCDプレーヤーにもある機能ですが、それとはまったくといっていいほど違う機能です。
十数曲のシャッフルと千曲のシャッフルでは、単に曲の多寡を超えた次元の違いが存在します。

iPodを手にして浅いわたしですが、個人的には曲のシャッフルが一番気に入っています。
何回も聴いたはずなのに、イントロではそれが誰の曲か分からないことがしばしばあります。
気紛れなソフトウェアのDJの選曲に身を任せていると、次に何がかかるのかと、つい期待してしまいます。
自分の好きな曲、アーティストを先入観なしで聴いてしまうことが、シャッフルでは偶(たま)にあります。
たまたまラジオでかかっていた曲の歌手を知っているのに思い出せず、思い出したときの意外な発見といえば近いでしょうか。

自分で作成したものであれソフトウェア任せであれ、データベースのリスト化とシャッフルは、元々あった楽曲の単位を無意味にしてしまいます。
メディアはアルバム、シングル(二曲入り)単位で存在し、メディア(再生装置)もそれに呼応したかたちで存在してきました。
例外は自分で選曲、編集したテープ、MDですが、労力と時間はそれなりにかかります。
わたしもレコードから自作テープを作成したことがありますが、レコードの選択、取出し、針を落とすトラックの見極め等々、ヒマがないととてもできない作業でした。

メディアの単位とは無関係に、自由に曲を組み合わせる。
(もちろんアルバム単位で聴きたい場合は、アルバムのリストを利用するか、自分で作れば良いのです。)
これを可能にしたのは、ドラッグ&ドロップであっという間にリストが作成できるiTunesというソフトウェアであり、数千曲も記録できるiPodのHDです。

わたしは二百枚ほどのCDを所有していますが、これを曲のデータベースとして考えると、約二千曲のデータベースとなります。
言い方を変えると、CDプレーヤーの前に山積みされているのは二百枚のCDというメディアで、iTunesに読み込まれたのは二千の曲のデータです。
このデータの情報を基に曲を自由に組みあわせてプレイリストを作成します。
音楽を聴くシチュエーションで選択しても良いし、アーティスト別、年代別、ジャンル別、作曲者別でも簡単に作成できます。
例えば、1970年代のR&Bというプレイリストも瞬時に作成できます。
そのリスト中から「アーティストがグループ」を指定すれば、そのリストも直ぐに作成されます。

又、曲をどのくらい気に入っているかを評価するレートの機能を使えば、好きな曲だけを聴くこともできます。
レートは五段階の星の数でつけますから、最高の五つ星の曲だけを集めれば、マイフェヴァリットプレイリストになります。
どのようなプレイリストも、ドラッグ&ドロップか自動で作成されるので、自作テープを作るような手間は一切かかかりません。

レコードやCDというメディアに収納された曲は、その単位に拘束されます。
その単位で聴くことが前提であり、バラバラに曲が存在する状態は想像できません。
レコードの所有者は、「わたしはレコードを三千枚も持っている」と表現しますね。
ところがiPodではそのような言い方はしません。
「僕のiPodには三千曲入っている」という言い方をします。
そして多くの場合、メディアの単位を解体したプレイリストが多数入っているはずです。

単位を外す従来の方法は、自作でMDやテープを作るか、曲単位で選曲できるオートチェンジャーを利用するかです。
いずれも面倒であり、自作はそのメディアの容量の制約を受けますし、チェンジャーも枚数が限定されます。
CDをiTunesで読み込むと、ライブラリーに登録されます。
ライブラリーは曲が並んでいるだけで、そこに価値の高低やヒエラルキーは存在しません。
ただ、曲が並んでいるだけです。

そこから価値やヒエラルキーを作る(プレイリスト作成)のはリスナーの役目です。
あるいは、無政府状態=シャッフルにするのも自由。

iTunes+iPodの流儀は、楽曲をデータベースとして扱います。
これはかなり画期的なことではないでしょうか。
音楽の聴き方としては、Wallkman以来の変革ではないでしょうか。
そして、その変革を担ったのはハードウェアではなくソフトウェアだということも時代の流れです。

iPodで音楽を聴くためには、iTunesと接続しなければなりません。
メディアの単位を外し、曲に情報を追加したり、プレイリストを作成するのはiTunesです。
このソフトウェアでの処理がiPodに転送され、リスナーは音楽を聴くことができます。

iPodのソフトウェアや操作性もシンプルで優れています。
小さな本体にも驚きます。
しかし、音楽の聴き方の変革という観点から見れば、あくまでもiTunes+iPodのコンビネーションです。
とりわけ、iTunesがデータベースを扱うソフトウェアとして画期的です。

持ち歩くデータベースであるiPodは、これ又iTunes経由で膨大なデータベースと繋がっています。
iTunes Music Storeですね。
百万曲のデータベースです。
ストアにアクセスすれば、容易にデータベースを増やすことができます。

iTunes Music Store自体にもメディアの単位とは異なる販売システムがあります。
アルバムから一曲単位で購入できることです。
試しに一曲購入して、後でアルバムの残りの曲を買うことも当然できます。

ストアにはiMixというセクションがあって、有名無名のミュージシャン、リスナーのプレイリストが公開されています。
このプレイリストを購入して自分のデータベースに加えることも可能です。
逆に、自分のプレイリストをiMixにアップロードして公開することもできます。
新しい形の音楽共有といっていいかもしれません。

楽曲をデータベースとして考えると、今までとは違った音楽との接し方ができるのがお分かりかと思います。
その良し悪しは別として、コンピュータ的な音楽の聴き方です。
音楽は音楽であって、その根幹に大きな変動はないのですが、聴き方は確実に変化しています。
このようなデータベース的思考は、今後音楽以外の分野にも広まるような予感がします。

<音楽>の研究(5)に続く