藍 画 廊


渋谷俊輔展
 「ダイアローグ」
SHIBUYA Syunsuke


渋谷俊輔展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の7点が展示の展示で、その他小展示室に2点の展示があります。
作品はすべてキャンバスにミクストメディアです。
作品を1点ずつご覧下さい。



左壁面、左端の作品です。
タイトル「二子玉川 M/S」でサイズ910(H)×1167(W)mmです。



左壁面、右端の作品です。
「堺筋本町 A/K」で910×1167mmです。



正面壁面の作品です。
「二子玉川 M/S-(2)」で1300×1620mmです。



右側壁面、左端の作品です。
「堺筋本町 K/A」で910×1167mmです。



右壁面、右端の作品です。
「二子玉川 S/M」で910×1167mmです。



入口横壁面、左端と右端の作品です。
左は「池袋 S/T 」で606×727mmです。
右は「池袋 T/S」で606×727mmです。


〈作家コメント〉

「一人、ではなく、二人いること」をテーマに、二人の人に家や出先にあったガラス越しに向い合って写真を撮り合ってもらい、それを絵画化したものを展示致します。

今回、作品を作るにあたりふたつ契機となったことがあります。
ひとつは、SNSのタイムラインを追っていたとき、全く同じ場所で違う二人がそれぞれ自分だけが映っている写真を 同じ時間にアップしているのを見かけたこと。
もうひとつは、人と話をしていて、しつこく話の内容を確かめられ、「なんでそんなにしつこく聞くの?」と尋ね たら、「自分の見ているものと世界とが同じになることが目標だから」と返答されたこと。
一方で、 その場に居合わせないにも関わらず、 二人の私秘的な会話(「ここで写真撮って」「いいよ、俺も俺も」) を覗いてしまったような感覚と、もう一方で、目の前にいて話をしているのに、それを私秘的なものとして享受で きていないと告げられたような感覚。
そうしたふたつの出来事の間で、人と人とがいることを表現できないかと考えました。


キャンバスに描かれた人物像は不確かで、漂っているような感触です。
渋谷さんはなぜこのようなポートレイトを描くのでしょうか。
話を聞いてみると、制作の根底には現代人の不安があるようです。
地縁、血縁から疎外された近代人、その存在基盤の喪失がテーマになっています。

自分が何を基盤に立っているか。
自分の存在を保証しているものは何か。
そう問われて即答できる人はほとんどいないでしょう。
利便への追求と煩わしさからの逃避が、快適な生活を生んだことは間違いありませんが、その代償が存在基盤の喪失です。
SNSの参入は繋がりの回復を希求したものですが、依存は逆に不安を強めることになりかねません。
繋がっていたい、自分を認めて欲しいという強迫観念はネット上で空転する危険を孕んでいます。

渋谷さんが注目したのは、Instagramでポストされた、同一場所で同一時刻に撮影された2枚の画像。
人物は異なりますが、想像力を働かせれば、合意の行為に違いありません。
言わば、その場所で同じ時間を過ごした二人の記念、親愛の印といったものです。
別れ際のハグと同じかもしれません。

他方、完全なる合意を求めて、延々と続くリアルな会話。
Instagramの軽さとは対照的な、重い時間の流れ。
その二つの間で、人は漂うようにして生きています。
それをポートレートという形式で表現したのが、渋谷さんの絵画だと思います。
ガラスを挟んで写る像とガラスに映る像。
薄く、不確かな二重の像に、今生きている人の肖像が浮かび上がっています。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト

2015年藍画廊個展



会期

2016年4月18日(月)ー23日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内