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藍 画 廊


浜田涼展


前回の浜田さんの展覧会は、人物のポートレイトでした。
浜田さんの近親者のポートレイトを
半透明のコピー用紙にコピーして、その上に2枚の半透明コピー用紙を重ねた作品でした。
今回は人物が三点、風景が一点です。
画廊入口から見た展示風景です。



手法は前回と同じですが、作品サイズが大きくなりました。
左は、111.6(H)×151.5(W)cm。
右は、151.5(H)×111.5(W)cm。

巨大なピンボケ写真と言えますが、作品の構造はしっかりしています。
対象と手法により自覚的になり、作品の自立度が一層強まりました。

入口から見て左側の壁面です。
男性の横顔ですね。
ギターを弾いている様にもみえますが、定かではありません。
サイズは、
185(H)×111.5(W)cm。

入口から見て、正面の作品です。
風景です。
恐らく都内のありふれた風景ではないか思われます。
わたしもどこかで見た様な風景なのですが、特定できません。



今回の展覧会は、この作品が鍵を握っている気がいたします。
風景の作品を一点入れたことで、展覧会(視野)が大きく拡がりました。
誤解を恐れずに言えば、浜田さんのポートレイトはコミュニケーションの問題が根底にあると思います。
浜田さん自身と被写体との広い意味でのコミュニケーションの問題です。
それは、人と人の関係と言っても良いと思います。

その視線が風景にも見られます。
浜田さんと風景のコミュニケーションです。

つまり、世界(人と風景)と浜田さんのコミュニケーションです。
それを難しい言葉で言えば、世界の認識の問題になります。


入口から見て、右側の壁面です。
女性でしょうか。
もしかしたら、セルフポートレート?

前回の作品から、浜田さんの世界に対する視線が温かく、穏やかになったような気がします。
だから、画廊にいるととても心が落ち着きます。
もし、この作品がセルフポートレートだとしたら、その視線は自分自身にも向けられていることになります。


認識とは、世界を理解することです。
世界が、自分によそよそしかったら辛いですね。
それは、世界とコミュニケーションが出来ないことですから。

浜田さんは世界を認識(理解)しようとして試行錯誤を重ね、ここまでたどり着いたと思います。
言葉を変えれば、コミュニケーションの試行錯誤です。
本展は、その旅程のマイルストーン(里程標)になる展覧会だと思います。

ご紹介の作品の他、道路側ウィンドウにも151.5(H)×111.5(W)cmのポートレイトが展示されています。

又、展示作品が縮小された小品(14×9.5cm)もあります。
※額装は完売ですが、額なし(@\6000)は在庫があります。

ご高覧よろしくお願いいたします。


会期


2002年4月29日(月)-5月11日(土)

5月3/4/5/6日休廊

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)



会場案内



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