藍 画 廊



高橋美羽展
TAKAHASHI Miwa


高橋美羽展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
タイトル「永遠と一日」(アクリルガッシュ・油彩・キャンバス)で、サイズ162(H)×97(W)cmです。



正面の壁面です。
「きこえてないふり」(油彩・キャンバス・パネル)で130.3×162です。



右側の壁面です。
左から「春雷」(油彩・キャンバス)で50×65.2、「病み枝」(油彩・アクリルガッシュ・パネル)で116.7×91です。



入口横の壁面です。
「ゆるやかな変化」(油彩・キャンバス)で72×60です。

以上の5点が展示室の展示で、その他小展示室に1点の展示があります。



左壁面の「永遠と一日」です。
画面後方に広がる牧歌的な風景と、手前でデザートを食する男性の対比。
足下は砂浜で、波が押し寄せています。

多くの美術家が311の震災と原発事故に大きなショックを受けました。
高橋さんもその一人です。
「永遠と一日」を含む大半の作品は、311後に描かれたもので、高橋さんの今までの作品の延長線上に、その思いが表現されています。



正面壁面の「きこえてないふり」です。
東京の代々木駅周辺の風景と思われます。
道路の中央に牧草と牛が唐突に存在し、それを囲むように横断歩道のゼブラ模様があります。
そのゼプラ模様は、よく見るとミルクの流れでできています。
そんな異様な風景とは関わりがないように、横断歩道を渡る歩行者。



右壁面の「春雷」です。
他の作品とはトーンが違う、心象風景を描いた作品。
津波の後の、すべてが消失した風景に佇む一人の男。
本展におけるこの作品の存在は大きく、小さめの作品ながら、全体を引き締めています。



同じく右壁面の「病み枝」です。
顔面が破れ、中が空洞となった不気味な家族像です。
樹木の病気で、中が枯れて外面だけが残る病気があるそうですが、それに着想を得た作品です。
これは言うまでもなく、原発事故の内部被爆をテーマにしています。



入口横壁面の「ゆるやかな変化」です。
この作品は震災前に描かれた作品で、風景は「きこえてないふり」と同じ場所です。
これを見ていると、高橋さんの仕事が震災前から持続していることが分かります。
風景の中に、社会を見る目が同じように存在しているからです。



高橋さんは、311の震災で、東京などの都市の基盤が東北などの地方によって支えられていることを痛感したそうです。
その痛みが、今回の展示となっています。
明るくクリーンでモダンな都市生活が、地方の海辺に建設された原発によってもたらされている。
その原発は、過疎化した地方に雇用と税金や補助金を落とし、安全キャンペーンによって、地方を取り込んでいきました。
そんな構造が白日の下に晒されたのが、あの震災とその後の原発事故でした。
東京が地方に支えられていたのは電力だけではありません。
農業などの食も、大企業への部品供給の基地としての中小企業も、地方が担っていました。

高橋さんの絵画は、当初から社会性を持ち、人間の暗い部分を正視してきました。
その延長線上にあるのが今回の展示で、図式的な絵画と思うのは間違いです。
表現の一貫性の上に、震災なり、原発事故なりがテーマとなっています。

文明。
これは高橋さんの絵画を貫くキーワードの一つではないでしょうか。
どんな文明も必ず過剰を生みます。
その過剰の醜さ、美しさ。
それをノイジーな画面を通して、不気味に描いてきたのが高橋さんの絵画です。
時にはあっけらかんとした、明るい色調で。

文明とその過剰が、いかに人間の内面を歪め、崩壊させていくか。
それは311の震災、原発事故と無関係ではありません。
そのような視点で高橋さんの絵画を見ていけば、それが単なるアイロニーや感傷でないことはすぐ解るでしょう。
もっと根の深い、人間の問題がそこに存在しているからです。

ご高覧よろしくお願い致します。

2006年藍画廊個展
2007年藍画廊個展

2008年藍画廊個展


会期

2011年10月31日(月)ー11月5日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)



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