藍 画 廊



菊池史子展
VACANT LOT OF MEMORY
KIKUCHI Fumiko


菊池史子展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、タイトル「gate」で、サイズ350(H)×500(W)mm、「tennis court」で400×600、「flower bed #1」で300×450、「dots」で515×728です。



正面壁面です。
左から、「plat #1」で600×800、「plat #2」で600×800です。



右側の壁面です。
左から、「judge men」で300×300、「vacant #1」で600×800、「vacant house」で300×300、「pixel」で400×600です。



入口横の壁面です。
「jpg_00」で420×300です。

以上の11点が展示室の展示で、その他小展示室に2点の展示があります。
作品はすべて雁皮紙に染料を用いていますが、一部の作品にはアクリル絵具を使用しています。



左壁面の「gate」です。
菊池さんの作品は転写という技法を使った版画です。
簡単に説明すると、デジタルカメラで撮影した画像をプリントアウトし、それを水で雁皮紙に転写します。
「gate」は鉄の門扉のことですが、フレーミングとボケ具体、色合いがジャストフィットした作品。



同じく左壁面の「tennis court」と「flower bed #1」です。
連作ではないのですが、関連のある作品です。
「tennis court」はモニターに映された動画を撮影したものです。
菊池さんの作品はいずれもピンボケですが、ある撮影方法を使って画像をボカしています。



正面壁面の「plat #1」と「plat #2」です。
一見同じ場所を分割したように見えますが、実は異なる場所を撮影して並べたものです。



右壁面の「vacant #1」です。
森を撮影したもので、森には無意識という意味もあるそうです。



こちらは「vacant house」、そう空き屋のことですね。



同じく右壁面の「pixel」です。
他の作品と同様、被写体との距離感に優れた作品です。



最後は入口横壁面の「jpg_00」です。
わたしの一番好きな作品です。
この作品だけは他の作品とは異なった要素を持っています。
それについては後述いたします。


菊池さんの手法は、転写という最も原始的な版画です。
それでいながら、コンテンポラリー(現代的)な版画です。
写真を基にしているので、写真的要素もありますし、ボケと転写の滲み、変色などで、絵画的な要素も生まれています。
ワンアンドオンリーの手法で、その手法には菊池さんの感性の豊かさが表れています。

この展覧会には「VACANT LOT OF MEMORY」というタイトルが付けられています。
この題はダブルミーニングになっていて、VACANT LOT とLOT OF MEMORYが合成されています。
VACANT LOT は空地という意味で、LOT OF MEMORYは多くの記憶という意味です。

菊池さんは、存在がやがて不在となり、記憶になっていくことに興味を持っています。
というより、それをテーマに作品を制作しています。
画廊に展示された「jpg_00」を除く作品の被写体は、すべて実在しますが、いずれ不在となるものです。
あるいは「vacant house」のように、すでに不在のものもあります。

では「jpg_00」だけはなぜ違うか。
「jpg_00」はクッキーの缶に描かれた子供の像です。
つまりイメージです。
モデルはあったにしても、最初から不在のモノです。

この対比、パラドックスは、存在に対する面白い提示を含んでいます。
わたくし流に解釈すると、存在は常に不在をその中に含んでいます。
不滅の存在はありませんし、ここに存在するものは他の場所では不在です。
他方で「jpg_00」のようなイメージは、もともとが不在であるために、存在の定義に縛られません。
ある意味で、最初から記憶のようなものなのです。

菊池さんの作品には、もどかしさがあります。
存在と不在が混在した空間と時間が持つ、もどかしさ。
それは菊池さんの手に掛かった、美しくも儚(はかな)い、もどかしさです。

そしてどこか、それは夢や記憶の持つもどかしさにも似ています。
ある種の甘美さが、そこには存在します。
そこに惹かれて、わたしはいつまでも作品に魅入ってしまいます。

ご高覧よろしくお願い致します。

2010年藍画廊個展


会期

2011年1月24日(月)-1月29日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内