藍 画 廊



菊池史子展
ー漂流ー
KIKUCHI Fumiko


菊池史子展の展示風景です。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、作品タイトル「theater」で、作品サイズ175(H)×250(W)mm、「a window seat」で175×250、「forest man」で285×195、「Lost park」で290×410、「play tag」で140×195、「take five」で140×195、「mama」で300×210、「wolf」で140×200です。



正面の壁面です。
左から「ringing park」で305×425、「Elie standing into the park.」で420×290です。



右側の壁面です。
左から「Elie peeping into the room.」で410×300、「There is the three tree.」で210×290、「bridge」で140×195、「twig」で140×200、「Volvic」で205×290、「stripe and flower pattern 1」で170×250、「stripe and flower pattern 2」で170×250、「horse」で130×310です。



入口横の壁面です。
ご紹介した版画作品(モノタイプ)の関連作品3点が展示されています。

菊池史子展ー漂流ーは以上の18点で構成されています。
作品はすべて雁皮紙に染料(モノタイプ)です。



左壁面の「a window seat」です。
乗り物(電車やバス)の窓から見た景色でしょうか。
不鮮明で、濃淡のある不思議な描画ですが、これは転写という技法を使っています。
モノタイプ(一点もの)ですが、基本的には版画の一種といえます。


左壁面の「mama」です。
お母さんと子供でしょうか。
これも独特の雰囲気のある作品です。
モノトーンに近いのですが、光と色彩が感じられます。
転写の際に、ある程度その範囲や濃淡をコントロールするそうですが、偶然性も排除しないそうです。
手作業による転写には、想定外の滲みなども出来ます。
それも作品の中に含めて、「ー漂流ー」は制作されています。



同じく左壁面の「wolf」です。
動物園の狼を撮影したものと思いますが、格子の檻と狼の空間の切り取り方がナイス。
作者の感性が窺われる作品です。



正面壁面の「ringing park」です。
公園の風景ですね。
空の青が印象的です。
なお、作品はすべてアクリルでマウントして展示されています。



今度は趣を変えて、複数の展示の様子をご覧いただきながら作品をご紹介いたします。
この角度から見ると、作品がアクリルでマウントされて、一枚のフラットなパネルのような形態であることが分ります。
右壁面の「Elie peeping into the room.」と「There is the three tree.」です。
ポートレイトと風景ですが、展示の配置にも工夫があって、楽しく拝見できます。
どちらも輪郭の滲みやボケがとても美しい作品。



右壁面の3点、「bridge」と「twig」と「Volvic」です。
twigは小枝ですが、Volvicはミネラルウォーターのことでしょうか。
淡い色調の、短い夢が連なっているような作品群。



最後はちょっとユーモラスな右壁面の連作、「stripe and flower pattern 1」と「stripe and flower pattern 2」。
お腹ポリポリの図、ですね。



転写というのは、版画の基本概念です。
菊池さんは大学で版画を学んできました。
ですから、転写についてはよくご存知です。
しかし、展示された作品は、(詳しいプロセスは省きますが)とてもプリミティブな転写の技法が基本になっています。
その手仕事のような感触が、写真特有の堅さをほぐして、作品に温度を与えています。

そう、菊池さんの作品はどこか温かいのです。
風景も、人物も、最終的に作品として展示されたものからは温かさが伝わってきます。
それは手仕事であることと同時に、その眼差しと姿勢に温かさがあるのです。

菊池さんはこんな話をしてくれました。
例えば母子の姿を写真に収める時、菊池さんはその光景が美しいと思って撮ります。
しかしその被写体の母子には、その光景全体は見えません。
後でその写真を見れば分りますが、撮影時点では見ることが出来ません。
撮影者と被写体はそのような形で、関係が存在します。
この関係の在り方を、菊池さんはとても大切にしています。

菊池さんの写真を基にした作品には、関係を探る視点があります。
それは風景であろうと人物であろうと動物であろうと、変わりません。
それらと自分の関係を、作品に移そう(写す、転写する)としています。
漂流しながら、一つ一つの事物と対話するように、定着させていきます。
それはあえて自分の位置を固定させない術(すべ)なのか、それとも位置が確定できないのか。
わたしは、多分、その両方ではないかと思います。
それは迷いではなくて、関係を掘り下げる試みの故です。

菊池さんの作品を見ていると、記憶という言葉が浮かびます。
鮮明なものもあれば、ボンヤリとしたものもある記憶。
そんな記憶の数々が、作品を見ていると浮かんできます。
その記憶の濃淡を漂流することも、関係を探ることと無縁ではないような気がします。

「わたしとは何か」。
その問いに答えはないかもしれません。
しかし、その人その人の方法によって、近づくことは出来ます。
漂流は菊池さんが選び取った立ち位置で、そして、その方法です。

ご高覧よろしくお願いいたします。



会期

2010年1月25日(月)-1月30日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内