藍 画 廊



浜田涼展
Note
HAMADA Ryo


浜田涼展の展示風景です。



画廊入口から見て、左側と正面の壁面です。
二点共、作品サイズ150(H)×200(W)cmです。



右側の壁面です。
(左は上で紹介した正面の作品)
同じく150(H)×200(W)cmです。



入口横の壁面と小展示室の壁面です。
作品サイズはすべて同じで、29.5×19.7cmのA4サイズを縦と横で展示しています。
入口横壁面に五点、小展示室には四点(一点は壁面で隠れています)の展示です。
その他事務室壁面にも一点の展示があって、都合十三点で浜田涼展は構成されています。
作品はミクストメディア(多様な素材)を使用しています。



左壁面の作品です。
左、正面、右の壁面の三点は同じサイズですが、構造も同じになっています。
簡単に説明すると、カメラで撮影した写真をモニター上で分割し、そのワンピース(A4サイズ)をインクジェットでプリントします。
それを繋ぎ合わせて、その上に特殊な半透明のフィルムが被せてあります。
画像をよく見れば、写真の部分より一回り大きなフィルムの端が分ります。
さて、何が写っているのでしょう。



正面壁面の作品です。
これも何が写っているか判然としません。
浜田さんが本展の為に記した小文がありますので、それを以下に転載いたします。


「Note」という言葉には多くの意味があります。

覚え書き・記録・心に留めること・手紙・音符・音色・鳥のさえずり・口調・語気・
考え方・態度・様子・特徴・要素・暗示・意味・重要性・注意・記号・通牒
などなど・・・

日々、自宅のベランダで撮影した写真を元に制作しました。
季節や心境などが変化していきながら、同じ場所から風景を見つめていたら、
Noteと言う言葉が浮かびました。
フィルムを使った大型の作品と、A4ノートサイズの小品数点からなる展示です。

小品は、手伝いに来てくれた数人の人たちに、好きな位置に展示してもらいました。

自分のいる場所が変わらなくても、まわりの風景は変わっていきます。
場所が変わらなくても、自分の心境で風景の見え方も変わっていきます。



左壁面の作品です。
写真は浜田さんの自宅のベランダから撮影した風景でした。
ただし、写真はピンボケで、その上半透明のフィルムで被っているので、より焦点が合い難くなっています。
被写体の風景も、近いところもあれば、遠くもあります。
目を凝らさずにして、しばらく見ていると、風景がボンヤリと現れてきます。



入口横の小品二点です。
小品の方が被写体の様子が分ります。
左は遠くに建物が見えますし、右は手前に(ベランダの)植物のようなものが写っています。



入口横壁面と小展示室の小品です。
右の作品だけは、都内の大きな公園で撮影されたものだそうです。
樹木の様子が何となく分りますね。
小品も大作と同じように、ピントを外して撮影された写真に、更に焦点をぼかす工夫が為されています。



小展示室の小品二点です。
遠くの景色が写っていますが、今一つ判然としません。
写っているのは具体的な風景ではなくて、風景の空気です。



Note。
日本語的な使い方としては、ノートする(書き留める)という行為、あるいはノートという記録体(ノートブック)の二つが一般的です。
その意味でいえば、本展は浜田さんがノートした風景の記録、つまりノートを展示したものです。
ノートには幾分軽い語感があって、気軽に書き留めること、日常的な覚え書きも含まれます。
浜田さんの作品にも、その気軽さが表出されていて、本格的な描画というよりスケッチに近い感触があります。
しかしそれは決して簡易という意味ではなくて、その大まかさや日常性こそが美しさの源泉になっています。

ピントのボケた写真は、鮮明ではありません。
ですが、それに長けた者がピンボケをやれば、逆に鮮明なモノが表れてきます。
それは何でしょうか。
前述した、風景の空気です。

意図的なピンボケは、何かをボカすのでなく、鮮明にする為に行われます。
言葉を変えれば、ボカすことによって、却って何かが鮮明になるのです。
その術は一朝一夕でマスターすることはできません。
多くの経験と優れた感性で、ノート(音色、諧調)に細心の注意を払ってこそ可能なのです。
この、目が洗われるような浜田さんの作品のように。

風景は具体的な事物で構成されていますが、常に変化しています。
一秒たりとも休まず、変化しています。
その変化が、風景の空気です。
それをノートする。
つまり「風景の空気=変化」そのものをノートしたのが、浜田さんの作品です。

写真は、一瞬という時間を切り取るといわれます。
しかし浜田さんが切り取っているのは、一瞬の時間ではなくて、変化の様相です。
変化しているという風景の様態を、ノートしているのです。
それを誤解を恐れずに形容すれば、絵画的ということになります。

自分のいる場所が変わらなくても、まわりの風景は変わっていきます。
場所が変わらなくても、自分の心境で風景の見え方も変わっていきます。


変化は、風景の側ばかりではありません。
見る側の視点の変化もあります。
それは私的なものですが、同時に普遍を含んでいなければ、作品は自立しません。
浜田さんの視点にわたしの視点が重なって、新鮮な驚きを共有した時、浜田さんのノートはわたしのものでもあるのです。

ご高覧よろしくお願いいたします。



浜田涼藍画廊2001年個展
浜田涼藍画廊2002年個展
浜田涼藍画廊2003年個展
浜田涼藍画廊2004年個展
浜田涼藍画廊2006年個展
浜田涼藍画廊2007年個展

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会期

2009年8月10日(月)-8月22日(土)

日曜休廊

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


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