藍 画 廊



小日向千秋展
「Mutate」
KOBINATA Chiaki

小日向千秋展の展示風景です。



画廊入口から見て、正面と右側の壁面方向です。
左から、作品タイトル「Mutate - a」で、技法は脱乾漆造、
「Mutate - II」で、同じく脱乾漆造です。



左側の壁面方向です。
手前は上で紹介した「Mutate - II」で、奥が「Mutate -I」、脱乾漆造です。

以上の三点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに二点の展示があります。
(道路側の展示は一番上の小さな画像をご覧下さい。)



前回同様、小日向さんが用いている技法は脱乾漆造です。
上はその技法で制作された「Mutate -I」です。
前回展示の紹介の繰り返しになりますが、まず脱乾漆造について説明します。

まず粘土で原形を作り、その上に漆を塗布した麻布を貼り付けます。
乾燥後又麻布を貼り付け、それを繰り返します。
最後に粘土を取り払うと、中が空洞になった漆の像が出来上がります。
脱乾漆造は軽量にもかかわらず丈夫で、天平時代の仏像の多くがこの技法で作成されています。
代表的なのが、東大寺三月堂不空羂索観音立像です。



「Mutate - II」です。
Mutateとは、突然変異させる、という動詞です。
何が何を突然変異させるのかは、次の作品でご説明します。




「Mutate - a」です。
小日向さんは、特にテーマを設けず作品を作り始めます。
手の動きを優先させ、手の動きが模索するものが、徐々に形となって現れます。
上の作品では、下部の丸い形がまず現れました。
球根のような根の形で、そこから上部の芽、茎のような形が生まれました。

植物を彷彿させる形は、作り続けていると、動物的要素も含み始めます。
それは意図ではなく、手の動き、模索の結果です。
それを見て、小日向さんは、「Mutate=突然変異させる」というタイトルを思い浮かべたそうです。
植物から動物へ突然変異させる。
概ねは、そのような意のタイトルだと思います。



「Mutate - a」の部分です。
小日向さんの作品の面白さは、単体で見る、部分を見る、作品が重なり合う空間を見る、などの複数の見方ができることです。
次は作品が重なり合った空間をご覧いただきます。



空間が、動的なフォルムで満ちています。
フォルムは、植物のようであり、人(動物)のようでもあります。
何れにしても、生命感溢れるフォルムです。


脱乾漆造。
軽さと堅固さを持ち合わせ、しかも深みを感じさせる質感です。
仏像に多く用いられるのは、もっともなことです。

小日向さんの作品には、モダンな要素とプリミティヴな要素が交じり合っています。
作品の示す方向はアンチモダンですが、形式としてはモダンを踏襲しています。
その交じり合いが、脱乾漆造の技法と相まって、小日向さんの作風を形作っています。

画廊空間で、ニョロニョロと伸びている像。
見方によって、美しいとも、気持ち悪いともとれる、その動き。
しかし、それが生命だと思います。
肝要なのは、その生命の動きが、捉えられているかどうかです。

生命は、植物であれ、動物であれ、美しくて気持ち悪いものです。
生命自体に美しいも気持ち悪いもありませんから、人間の感じ方の問題ですね。
ともあれ、人は生命をそのように感じます。
ある時は美しく思い、ある時は気持ち悪く思う。

話が少し逸れますが、害虫や毒草が気持ち悪いのは、そう思ってみるからです。
生命としては、益虫や食用の山菜と、何ら違うものはありません。
蛇や蜥蜴を嫌うのも、単なる先入観です。
そのように、人間の好悪や美醜の感情はいい加減です。

もしも、小日向さんが、眼で作品を作ったならば、このような作品になったでしょうか。
前述したように、これらの作品は手の導きで制作されています。
わたしは、ならなかったと思います。
もっと美しく、洗練されたフォルムになったと思います。

恐らく、手が求めたものは、好悪や美醜を超えた何かです。
生命でいえば、その因(もと)になるものです。
そしてそれは、美術の因にも、なっているものです。

ご高覧よろしくお願い致します。

2004年藍画廊個展
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会期


2008年4月14日(月)ー19日(土)


11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)



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