藍 画 廊



高馬浩展
KOMA Hiroshi


高馬浩展の展示風景です。



壁面に平面が五点、床置きの台に立体が一点の展示です。
各壁面ごとの展示をご覧下さい。


画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。

左から、作品タイトル「狭き門より入れ」で、P100号、
「緑」で、P40号です。
入口横右の壁面です。

左から、「午前4時」で、P6号、
「果て」で、P6号です。
左側の壁面です。

左は、「天青」で、S50号です。
右の立体は、「混沌」で、145(H)×63(W)×63(D)mmです。


以上の六点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウと芳名帳スペースに各一点の平面作品の展示があります。
平面はキャンバスに油彩、立体は石膏を使用しています。
掲載した撮影画像の色相は正確ではありません。実際の色相とは微妙に違いますので、画廊でご覧いただきたく思います。)

画廊に入ると、展示空間は整然としていますが、心地良さを感じます。
モダンでクールな展示のようで、どこか温かい。
画廊に留まる時間が長いほど、空間の心地良さが増してきます。



左壁面の「
天青」です。

展示された平面作品は、一見すると単一の色面のように見えます。
しばらく眺めていると、ボンヤリとした景が浮かび上がってきます。
色や形が、少しづつ見えてくるのです。
しかし、景が像を結ぶことはありません。
中途の状態の、景であり続けます。



正面壁面の「狭き門より入れ」です。

絵画には、描かれるモノについての一般的な常識があります。
具体的な何か、あるいは純粋な色や形、という常識です。
その常識を持ってすれば、ここには描かれたモノがありません。
具体的な何かも、純粋な色や形もないからです。
では、何が描かれているのでしょうか。



右壁面の「緑」です。

わたしの推測では、描かれているのは様子です。
様子、つまりその場のありさま、状態です。



入口横右壁面の「午前4時」と「果て」です。

様子は常に変化していますが、常に安定しています。
そういう状態が、描かれています。




立体作品「混沌」です。

立体で造形されているのも、同じく様子です。
その場のありさま、状態です。


美術とは描写ですが、描写されるものは様々です。
高馬さんの描写は、様子、状態といった運動や変化に関するものです。
かなり特殊で、さらに特殊なのは、様子や状態にモデルがないことです。
何かの様子や状態を描写しているのでなくて、その様子や状態を作品の内部に造りだしているのです。

花や風景を描いた絵画に比べると、相当に特殊ですが、元々の美術とはそういうものであったと思います。
美術の始まりは、様子や状態を造ることであり、模すことや再現、あるいは自我の発露ではありませんでした。
歴史の進行が、普遍を特殊に変えてしまったのです。
そのような意味で、高馬さんの作品には美術論が内包されています。

様子や状態は、常に変化していていますが、安定しています。
これは一つの世界が正常に循環している姿です。
変化とは時間であり、安定とは変化の連鎖が循環していることを指します。
つまり、自立、独立した世界です。

高馬さんの作品は、ほぼ毎年拝見しています。
その度に、原初、原始という言葉が頭に浮かびます。
人間が生まれる遥か以前の、世界の始まりの光景です。
光景といっても、そこにあるのは風景ではなく、運動の様子、状態です。

混沌としていて、定かではないのに、いささかの不安も感じない。
すべてが動きながら、一つの世界を形成している。
そのような世界に、人間は生を受けたのだと感じ入ってしまいます。
そして、その世界の美しさに少なからぬ感銘を覚えます。
その色彩に、その様子や状態に。

ご高覧よろしくお願いいたします。

2000年藍画廊個展
2001年藍画廊個展
2002年藍画廊個展
2003年藍画廊個展
2005年藍画廊個展
2006年藍画廊個展
「美」と「術」2003


会期

2007年8月27日(月)-9月8日(土)

日曜休廊

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内