鈴木敦子展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「ながれ」(帆布 ・インク・水彩・油彩)で、80.7(H)×100.3(W)cm、
「緑」(帆布 ・水彩・墨・油彩)で、33.5×19.2cmです。
入口横右の壁面です。
左から「花びら」(綿布・糸)で、14.3×24.3cm、
「雨」(木・油彩)で、33.3×19cm、
「舞う」(綿布、糸)で、16×22.8cm、
「春雨(しゅんう)」(綿布・インク)で、18.2×14.3cmです。
左側の壁面です。
左から「露」(麻布・糸・ジェッソ・アクリルガッシュ・油彩)で、130×162cm、
「月」(麻布・ジェッソ・水彩・糸)で、27.5×27.5cmです。
画廊内の展示は以上の八点で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。
左壁面の「露」です。
縦のストライプの抽象画に見えますが、近づいてい見ると、様相が変わります。
画面に糸が縫い付けられています。 制作過程は、最初に麻布に糸を縫い付け、それを木枠に張って、ジェッソ・アクリルガッシュ・油彩で描画しています。 画面に見えるのは、「露」の景色です。 糸、ジェッソ・アクリルガッシュ・油彩が混然となって、春の露を表現しています。 |
次は左壁面角と右壁面の作品です。
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「月」と「緑」です。
「月」は、春の朧な夜に浮かぶ月を描いた作品ですが、中央の白い月が、刺繍であるのがユニーク。
朧な夜のうっすらとした色彩と小さな月の質感が絶妙。
「緑」は、萌え出ずる植物を描いた作品で、水彩、墨、油彩の混合技法です。
正面壁面の「ながれ」です。
俯瞰した川の流れですね。
水を大きな粒子(?)のように描く作風が鈴木さんの特色です。
動きのある絵ですね。
しかもその動きの全体像が、眼から身体に伝わってくる作品です。
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入口横右壁面の四点から二点をピックアップしました。
「雨」と「舞う」です。
木の板に直接油彩した「雨」は、水面を揺らす雨滴でしょうか。
シンプルな描画と素材が、日常の光景を眼を遊ばせる眺めにしています。
「舞う」は、半透明の綿布に糸で刺繍した作品。
絵の一部と化した木枠の質感と刺繍の繊細さが、春の季節を巧みに表しています。
両作品とも、技法と表現が一体となった、独自の世界が開示されています。
今、季節は春。
本展も春の季節に焦点を当てた展示です。
陽光の温もりと頬に心地良い風。
草木や流れる川にも生命に息吹が感じられ、朧な月にしっとりとした雨。
抑えた表現が、春の季節を過不足なく描写しています。
鈴木さんの作品で特徴的なのは、刺繍などに見られる手仕事への愛着です。
それと、素材の組合せ方。
縫うという作業は、手先の思考によって生まれます。
絵筆による描画も手の仕事ですが、それよりも手が勝っています。
反対に、今わたしがやっているマウスとキーボードの仕事は、手があまり考えていない。
タッチがいかに流麗であろうと、手は従属の立場から逃れられません。
手が考えるとは、どういうことでしょうか。
刺繍でいえば、布に手を触れながら糸を通し続けます。
その過程で、手は(主に)触感を頼りに判断を下し、布と糸を会話させます。
視覚が介在するのは、要所だけです。
作業をリードするのは触感で、判断の基になるのは経験です。
手が考えるとは、そのような積み重ねではないかと思います。
鈴木さんの絵画は、眼を遊ばせてくれます。
しかし重要なのはその先で、眼が身体に春の生態を伝えることです。
いってみれば、身体全体で春を感じさせる絵画です。
それは、手仕事(手の思考)と素材がそうさせるのではないかと思います。
季節は巡る、当たり前の事実です。
毎年繰り返されるその事実に、わたし達は何かを感じます。
特に、春の息吹に再生を見る時は。
繰り返される季節のドラマは、世界が自然が、繰り返しの構造を持っていることを示しています。
その流れの中で、人も生きています。
鈴木さんの作品には、そのような世界観、自然観が内包されています。
最後に、道路側ウィンドウに展示された作品をご覧いただきます。
画廊内の作品とは異なった、色彩に溢れた春の作品です。
-「咲く」(綿布・インク・墨・色鉛筆・油彩) 60.8×60.8cm-
ご高覧よろしくお願いいたします。
2006年藍画廊個展