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藍 画 廊



太田武志展
記憶 - 器


もし人間に影がなかったら、それはかなり不可解な存在ではないでしょうか。
具体としての影、メタファーとしての影。
人間と影の関係、分ったようで分らない関係ですね。
影という視点から人間や世界を見てみたらどうなるか、それが今回の展覧会です。

展示風景です。



小さな四角い木片に彫刻刀で何かが彫られています。
それが等間隔に壁面に展示されています。
何が彫られているのでしょうか。



どこかで見たことがあるような形ですが、思い出せません。
地図か何かだったような・・・・。

今回の展覧会について太田さんが記したテキスト、「影を(ランドスケープに)起こす」を読んでみました。
この形は、「湖沼」だそうです。
湖や沼のことです。
なるほど、これは水を入れている「器」としての「湖沼」の形状ですね。


画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。

湖や沼といったとき、その表している実体は水です。
その実体に対して、水の容物である底の形状は影であり、容器です。
そう考えると、その器はランドスケープ(風景)の影といえます。

右側と入口横右の壁面です。

ランドスケープの影である湖や沼の輪郭をもとに、木にその容器の形状を彫ったが今回の作品です。
輪郭は実在の湖や沼をほぼ正確にトレースし、形状は太田さんの想像で彫られています。

右横壁面から左側壁面を見たところです。

展示されている作品は全部で16点です。
この作品はシリーズになっていて、126点制作されていています。
(数点は未完成。)
本展の展示はシリーズの一部ということになります。


作品のクローズアップをご覧いただきます。



湖や沼といわれれば、確かにその形ですね。
不定形な輪郭は地図帳で見た記憶があります。
場所は日本各地で、作品に湖や沼の個有名は付けられてはいません。

太田さんの発想の原点には、日本の庭があったそうです。
海景を模し、周囲の自然の状態を造作に取り入れてきた日本の庭。
具体的でありながら、実体を暗示する、つまり庭はランドスケープの影です。

そこから視点を反転し、影から実体を見ることを試みます。
湖や沼の立体的な形状=器=影から、湖や沼を見る視座です。



太田さんのイメージはそこから又拡がり、器を道具のメタファーとして捉えます。
有史以来続く生産という人の営みに、そのイメージが拡大します。

一方で太田さんは、器は人の身体のメタファーかもしれないと考えています。
身体を殻と考えてみると、それを型に還元したものが器=影になります。
つまり、太田さんの言葉でいえば、この器は虚実一体としての身体を表現したものです。


人の身体と営為を暗示するとともにランドスケープ=理想形(理想郷)の影を表した「記憶-器」を通して「私はどこから来てどこへ行くのか」という原初的な問いと向き合うことはできないだろうか。
太田さんのテキスト「影を(ランドスケープに)起こす」より




影がなくなりつつある世界、影がなくなりつつある人間。
それは光だけが散乱する、眩しい風景です。
光は収斂される影を持たず、あちこちで反射してぶつかり合います。

世界の今は、光を失いつつあるのではなくて、影を失いつつあるのかもしれません。
影=器が壊れて、光だけが顕在している世界。

作品を観て、このページを作っていたら、フトそんなことを考えました。


御高覧よろしくお願いいたします。

記憶 - 器 作品一覧

前回個展




会期


2003年7月21日(月)-7月26日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)



会場案内



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