「世界」展はWebサイトのiGalleryが企画し、銀座藍画廊で開催される展覧会です。
2010年は浜田涼さんに展示をお願いいたしました


わたしの
コンピューターには、他人が撮影した写真はほとんど入っていません。
メールに添付されてくる写真以外は、わたしが撮影した写真です。
そのほとんどが風景を撮ったものと藍画廊の会場写真です。
ただ例外もあって、それは浜田涼さんが撮影した一連の写真です。

写真のデータの日付を見ると、2004年の5月になっています。
その年のゴールデン・ウィークに浜田さんとその友人、藍画廊のスタッフなどが、山梨のわたしの住居に遊びに来ました。
浜田さんは買ったばかりのデジタル一眼レフをわたしに見せてくれました。
当時カメラに興味のなかったわたしは、失礼にも冷淡な対応をしましたが、その精緻なシャッター音は記憶に残りました。
(余談ですが、翌年、わたしはその音が忘れられず同じ一眼レフを購入しました。)

翌日、クルマ二台を連ねて、近場の山と渓谷、温泉などに遊びに出かけました。
浜田さんは購入したばかりの一眼レフでその様子を撮影し、帰り際、記録したコンパクトフラッシュを貸してくれました。
わたしはカードリーダーを使って、それを自分のコンピューターにコピーしました。
それが前述した一連の写真です。



今回このテキストを書くにあたって、改めて写真を見てみました。
その大半は行楽の記念写真で、6年の歳月の経過は懐かしさを覚えます。
しかし写真自体は、オーソドックスな記念写真の域を出ないものです。
そこに作家性を読み取ることはできません。
撮影者の浜田さんにも、特にそういった意識はなかったと思います。
撮影を楽しんで、その結果として写真(記録)が残っています。

40枚の写真の中に8点ほど、浜田流のピンボケ写真が混じっています。
浜田さんの作品をご存知ない方のために説明すると、作品の素材として彼女はピントを外した写真を使っています。
いわゆるピンボケ写真を撮影して、それを加工して、作品にしています。
そのピンボケ写真が40枚の中に混じっていて、他の記念写真とはまったく違う印象を与えます。

それをスライドショーで見てみると、余計に記念写真とピンボケ写真の落差がハッキリしてきます。
記念写真は、思い出として楽しく見ることができます。
あの時の出来事が、コンピューターのモニターから蘇ってきます。
しかしピンボケ写真と比べると、リアリティの質が大きく異なります。
ピンボケ写真の画面になると、様相が一変します。
空気感が、俄然リアルになるのです。

浜田さんのピンボケ写真は、コントロールされたピンボケ写真です。
ただ単にピントを外した写真ではありません。
どのようにピントを外すか、感性と経験で図って、シャッターを切っています。
つまり彼女のピンボケ写真は、表現者としての写真の撮り方なのです。


友人の親子のツーショットや子供単独、あるいは桜の咲いている画像。
これらは作家としての浜田さんが撮影した写真です。
モニターに映るピンボケ写真は、風景の要素から、光と空気、色と形を美しく抽出して、わたしの現前に在ります。
事物の輪郭は不鮮明ですが、その写された世界は逆に鮮明です。
そこに記念写真の懐かしさはなく、浜田さんが捉えた、瑞々しい世界が開示されています。
過去の特定の時間の記録ではなく、あえていえば、時間そのものが定着されています。

写真が現代美術の範疇に入ったのは、遠い昔ではありません。
美術は美術、写真は写真といった時代が長く続きました。
それが交じり合ったのは、60年代のウォーホールなどの版画からです。
それから又時間を置いて、1980年代にストレートな写真も現代美術として展示されるようになりました。

現代美術側からの写真へのアプローチ、写真側からの現代美術へのアプローチ。
その双方が交差したのが1980年代です。
浜田さんはといえば、それ以降に美術作家になった人です。
つまり、カメラ(写真)は画材の一種として既に存在していました。

しかしだからといって、それを不用意に使うことはしませんでした。
美術の文脈で、慎重に写真と対応しました。
なぜなら、浜田さんは写真家ではなく、美術作家であり、もっと端的にいえば画家だからです。
画家の、絵画の文法で、写真に向かったのです。
この文法の違いは、意外に重要です。
それを無視すると、写真をピンボケにする意味は見えてこないでしょう。



先日、この展覧会の打合わせ(という雑談)で、わたしは問いました。
なぜ絵を描かないで、写真を撮るのかと。
答えは予想外のものでした。
真っ白な紙やキャンバスに向かうのが嫌になったから、というものです。
白い面に一から描くのが、嫌になったというのです。

後になって考えると、その答えは、さほど不思議なものではないことに気がつきました。
わたしが浜田さんの作品から受ける最も大きな要素は、光です。
その光をカメラという光学装置で、一瞬で捉えることは理に適っています。
一から描くより手っ取り早いし、今から考えれば、間に装置(カメラ)を通す方が、浜田さんの質とも合っていたからです。

今一度、わたしはあの時のピンボケ写真を見ています。
写っているのは友人の子供です。
山の中の道路ではしゃいでいる子供の様子です。
その写真には、写真の匿名性や記録性はスッポリと抜け落ちています。
逆に、浜田さんという個人の見ている世界があります。
浜田さんの視点が、ピンボケ写真にしっかりと写されています。

カメラは、いうまでもなく光学装置です。
写真とは、レンズで光を集め、それをコントロールし、定着させた画像です。
絵画も、その要素の中心にあるのは、光(あるいは、闇)です。

大きく違うのは、カメラは機械、装置として進化を強いられる運命にあったことです。
その代表例がオートフォーカスで、誰でも難なくピントが合わせられるようになりました。
それによって、写真はその匿名性をますます強めていきました。
いうまでもなく、オート(カメラ任せ)と個性は反するものだからです。
カメラメーカーの目指すのは、誰が撮っても失敗のない、キレイな写真が撮れることです。


浜田さんのピンボケ写真は、事物の境界を曖昧にします。
境界はボヤけて、その詳細は不鮮明です。
それと引き換えに、光が増幅され、空気の層が厚みを増します。

その増幅は、喩えとして正しいのかどうか自信がありませんが、音楽のギターの場合に似ています。
エレクトリックギターをアンプで増幅したような、ノイズを含んだ音の増幅です。
カメラの進化がノイズの排除だとしたら、ピンボケはノイズの増幅です。
写真にノイズを混入させて、輪郭の曖昧と引き換えに、光を空気を、色と形を風景から抽出させています。
(エレクトリックギターのノイズが、不協和音であっても、人間の感情のある種の表現に不可欠なように。)

さて、浜田さんはなぜピンボケという手法を採ったのでしょうか。
その答えの一つは、浜田さんが写真家ではなく、美術作家だからです。
写真家の文法に従う必要性がないからです。
しかし、これはさほど重要な点ではありません。

問題は、浜田さんと世界の関係です。
浜田さんは、ピンボケという方法で、世界と触れています。
ありふれた風景や日常から、リアルな世界を出現させています。
精緻なカメラにノイズを混入させて、光と空気と色と形を抽出し、世界を写し取っています。
そして、その過程で、自己を世界の一部として確認しています。
その一瞬を慎重に選んで、世界の有り様を提示しています。



わたしたちは、世界の一部です。
科学技術の進化は世界を(一見)見通しの良いものにしました。
交通と情報の発達は、世界を一つに見せかけています。
しかし、わたしたちはその世界と真に触れることができません。
世界はそこにあっても、疎遠なものとしてしか実感できません。

ピントを外す。
翻訳すれば、隠されている世界を直視することです。
そのことで、世界と触れているのが、浜田涼さんの作品です。
そして、その触れた世界の色と形の美しさに、わたしは魅入っています。
その世界との触れ合いに、改めて、光と空気の存在を実感します。

ご高覧よろしくお願いいたします。


iGallery企画 「世界」2010
浜田涼展
HAMADA Ryo

2010年2月15日(月)-2月27日(土)
21日(日)休廊
11:30ー7:00pm(最終日-6:00pm)

15日(月)5:00pmよりオープニングパーティをおこないます

会場案内


(本ページの掲載画像は2009年浜田涼展/藍画廊の作品を撮影したものです。)