1995年から昨年までの『「美」と「術」展』に替わり、本年より「世界」展を開催いたします。
企画は前展同様、iGallery(ふくだまさきよ)が担当いたします。
『「美」と「術」展』はグループ展形式でしたが、「世界」展は個展になります。
基本的に年末に開催されるのは、『「美」と「術」展』と同じです。
第一回の2004年は高野麻紀さんにお願いいたしました。
高野さんは1965年東京都生まれで、1989に年多摩美術大学絵画科油画専攻を卒業しています。
卒業後は個展、グループ展を多数重ね、昨年は文化庁海外研修員としてドイツに一年間滞在しています。
又、『「美」と「術」展』でも1995年に参加いただいています。
『「美」と「術」展』は呆れるほどストレートな展覧会名でしたが、「世界」も同様です。
どちらも雲をつかむようなタイトルで、展覧会名として優れているかどうか分かりません。
わたしの本心をいえば、展覧会名そのものにはあまり拘(こだわ)っていません。
「美術とは何か」、「世界とは何か」は、美術作品が本来的に含んでいる重要なテーマです。
ただそれを強調しただけの話で、それ以上の他意はありません。
(センスがあれば、もっと気の利いたタイトルを付けたでしょうね。)
『「美」と「術」展』はグループ展ですが、作家に自由に作品を制作していただきました。
制約は展示スペースだけです。
企画者の意図は、(小品展ではなく)小さな個展の集まりでした。
限られたスペースに各々が独自の世界を表出することです。
「世界」展も基本的には同じ意図の企画です。
とにもかくにも、作家には自由に作品を制作していただく。
そして、作品の中に必然的に含まれている「世界」をご覧いただく。
それにつきます。
又、『「美」と「術」展』同様企画者のテキストも毎回アップロードする予定です。
このテキストは展覧会の内容とは直接関係ありません。
これも『「美」と「術」展』の時と同じです。
展示作品の箸休め程度にお考えいただけたら幸いです。
「世界」展の最初のテキストは、世界の喪失の話から始まります。
ここはどこ、わたしはだれ・・・・。
世界の喪失ですね。
このフレーズは数年前ギャグとして流行りましたが、元々は記憶喪失の状態を意味します。
記憶を失って、自分を取り囲む世界との関係が切断された状態です。
世界の喪失です。
このフレーズを意味を少し考えてみましょう。
こことは、場所、空間のことです。
自分はどこだか分からないところにいて、場所の手掛かりもない。
その不安が、「ここはどこ」ですね。
大概の場合、このフレーズはその人の所属する場所で発せられます。
家だったり、学校や会社だったりです。
周囲の状況がそのことを何となく知らせていますので、不安は一層助長されます。
「わたしはだれ」は、わたしと他者との関係の喪失です。
他者との関係は、わたしの時間(歴史)が作りだしたものです。
血縁、友人、同僚等々です。
自分が慣れ親しんだ場所と思われるところで、見知った視線を送ってくる知らない人たち。
つまり、世界の喪失とはひとりぼっちのことであり、空間と時間がよそよそしく立ち現れている状態のことです。
恐ろしいですね。
想像するだに、恐ろしい世界です。
人と空間との関係を考えると、まず自然という言葉が思い浮かびます。
自然は人間を取り囲む環境としては、最も影響力があります。
人間の歴史は自然との戦いの歴史、という言葉もあるくらいです。
近年になると、地球温暖化やオゾン層の破壊、酸性雨などが、反作用としての環境が問題になっています。
自然は環境で、自然と人間の間には一線があります。
それが自然という言葉が持っている意味です。
人間という主体から見れば、客体としての自然が存在している。
その間にはハッキリとした区別があります。
自然を客体として観察する、そういう姿勢が自然という言葉には含まれています。
西欧近代の科学の認識として広まったのが、環境としての自然です。
自然と似た言葉ですが、トラディショナルな響きを持つ風土という言葉もあります。
風と土ですから、気候と土地ですね。
ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地形、景観などの総称である。
風土の定義ですが、定義したのは和辻哲郎です。
和辻哲郎の「風土ー人間的考察ー」は、自然環境を風土として捉え直し、風土と人間の関係を考察した労作です。
1935年の刊行ですから、古典といえる著作です。
現在、風土は余り馴染みのない言葉です。
いつの間にかそうなってしまいました。
風土に替わって、自然がわたし達の環境を指す言葉になっています。
和辻哲郎は「風土ー人間的考察ー」の<第一章 風土の基礎理論>で、風土と自然環境の違いを厳しく峻別しています。
人と自然を別個の存在として考え、その相互間の影響を観察する立場ではなく、人と風土を一体に考察しています。
風土とは単なる自然環境ではなく、人間の精神構造の中に刻み込まれた自己了解の仕方として見ています。
自己了解、難しい言葉ですね。
自分自身を認識すること、でしょうか。
本書では「寒さ」という気候を例にとって、風土と人間の存在論的関係を説明しています。
この部分は三ページ足らずですが、難解な論理です。
ここで語られているのは、人は風土(例えば気候の「寒さ」)を通じて自身の存在を確認するということです。
人は風土を内側(精神構造)に刻み込むことによって、自身を認識します。
風土という契機で、己の存在を了解するのです。
人と自然の相互の影響ではなく、人は風土を内側に抱え込んだ時点で、いわば風土と一体になるのです。
やはり、難しいですね。
難しいけど面白そうだと思った方は、「風土ー人間的考察ー」を読んで下さい。
論理が具体的風土で説明される二章以降を読み進めば、この難解な論理も何となく理解できると思います。
自己了解で重要なことは、人は根源的に我々としての自己を見いだすことです。
同じ「寒さ」を、共同で感じてしまう存在なのです。
(寒気を客観としても認識する、ことだと思います。)
「今日はお寒いですね」という日常の挨拶が成り立つのは、その所為です。
気候が人を我々=間柄(あいだがら)として認識させるのですね。
人と風土の関係は、人の心と身体の関係に似ています。
科学は心と身体を個別に観察して、そのメカニズムを研究します。
前述した、人と自然を分けて研究するようにです。
和辻哲郎の考察では、人と風土の関係を一体として見ています。
人にとって風土は切り離すことのできない存在の原点として認識しています。
人が「寒さ」によって自己了解すると、どうなるのでしょうか。
感じた「主観」を理解するのではなくて、服を着込んだり、暖房をつけたりします。
当たり前ですね。
まず、「寒さ」を防ぐための行動を起こします。
服や暖房機がなかったらどうするでしょうか。
服を作る、暖房機を生産する、方向に行きます。
すなわち寒さとの「かかわり」においては、我々は寒さをふせぐさまざまな手段に個人的、社会的に入り込んで行くのである。
人の生活=衣食住の始まりです。
(生活の原点に、風土による自己了解があるということですね。)
衣も食も住も、風土との拘わりでその特殊性が形成されます。
暑い風土であれば涼しい衣服、寒い風土では暖かい衣服。
衣服の素材も風土に規定されます。
食もそうですね。
人間は獣肉と魚肉とのいずれを欲するかに従って牧畜か漁業かの何れかを選んだというわけではない。
風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。
その通りです。
家も、風土の寒暑を重視して作られます。
さらに暴風、洪水、地震、火事などにも堪えなくてはいけません。
日本家屋が木材、紙、泥を建築材料に使用するのは、湿気の強い風土だからです。
衣、食、住には様式が存在します。
和服、和食、和風建築などと呼ばれる様式です。
様式とは固定された作る仕方で、長い間にわたる工夫の集積です。
つまり、様式には風土の空間と時間(歴史)が存在していることになります。
ここで、個人的に興味がある家について少し考えてみます。
わたしはiGallery Weblogの「建物シリーズ」で、家の写真を毎週掲載しています。
一戸建て、集合住宅、商業建築等々です。
近所の散歩や出先で見つけた家を撮影してアップロードしています。
無意識に多くの家(民家)を見ていると、伝統的な様式の家が少なくなっていることに気がつきます。
特に一戸建ての新築が盛んなイナカ(山梨)に顕著です。
新築の家の多くは洋風で、アメリカの郊外の住宅を思わせる意匠も少なくありません。
建築についてわたしは素人ですが、家の骨格が変わりつつあるのは分かります。
大手の建て売り業者の建築物は、工場でパーツを風土とは関係なく生産し、現地で組み立てています。
家は風土に規定されて、風土に対する工夫の積み重ねが固定されて様式になります。
その様式が大幅に崩れつつあるようです。
原因は、科学技術の進歩による住居設備の進化(変化)です。
エアコンディショナーや各種冷暖房器具、断熱材で寒暖や湿気を防ぐからです。
靴を脱ぐ様式(多湿気候)は辛うじて残っていますが、風土が生んだ様式の多くは洋風のそれになっています。
電化や化学素材で風土を遮断し、意匠として様式は多くが洋風です。
畑を挟んでそれらの家々が建ち並ぶ光景は、どこか奇妙で、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなります。
まァ、それで問題がなければ良いのですが、結構不具合が出てくるようです。
壁に黴(かび)が生えてきたり、新建材の多用で健康に不調をきたすこともあるようです。
水のつく土地を造成して売り出し、川が毎年氾濫して水浸しになる家もあります。
身体になじまない家、と感じている人もいます
風土との直接の関係が減って、仮の意匠のシェルターやカプセルに住んでいる感じです。
そこには、かつての家が形作っていた風土の空間も時間も希薄です。
無国籍料理のような家が、建ち並んでいるだけです。
風土は過酷なものですが、一方で潤いをもたらしたり、道具にもなります。
(道具としては、寒さで豆腐を凍らせたり、暑さで稲を育てます。)
家の様式は寒さ、暑さ、湿気を防ぐだけではなく、風土の心地よさを呼び込む機能もあります。
家の様式は、閉じながら開く機能も有していたのです。
風土を遮断した、シェルター、カプセルのような家々。
ここで営まれる生活で最も影響を受けるのは、人の身体ではないでしょうか。
風土が人間の精神構造の中に刻み込まれた自己了解の仕方であるとしたなら、その自己了解とは身体の自覚です。
そこから、人は人であることを認識します。
住(家)ばかりではなく、食も衣も風土と乖離しています。
冷凍技術と交通の発達で、世界中の食材、料理が食卓に上ります。
どこで採れたのか分からない、風土とは縁がない食が日常になっています。
衣服の素材、生産も多くは海外で、様式はファッションでしかありません。
すなわち人間が風土において己を見いだすことである。
個人の立場ではそれは身体の自覚になる。
が、一層具体的な地盤たる人間存在にとっては、それは共同体の形成の仕方、従って言語の作り方、さらには生産の仕方や家屋の作り方等々において現れてくる。
「風土ー人間的考察ー」で一貫している論理は、風土と人、身体と心、個人と社会、時間と空間を相即不離の関係として規定していることです。
相即不離とは、互いにきわめて密接に関係していて切り離すことができないことです。
なかんずく、物質として対象化されていた風土、身体の重要性を考察の柱にしています。
衣食住が風土と隔てられていても、人は生きていきます。
いってみれば、それなりの自己了解があるからです。
しかし、風土からの(自己了解の主体となる)身体の離脱は、精神の離脱を招かないとも限りません。
いや、「風土ー人間的考察ー」の論理でいけば、(心身は一体なのですから)必然になってしまいます。
冒頭の記憶喪失者の言葉をもう一度思い出して下さい。
この言葉は記憶喪失者の言葉ですが、わたしにはわたし達の言葉にも思えます。
そのように自己了解しなければ、世界はますます遠ざかっていくような気がします。
話は、「美術の世界」に飛びます。
といっても、「風土ー人間的考察ー」も続きます。
風土には型があって、それは自己了解の型になります。
人間の活動の型、広い意味での生活の型です。
「風土ー人間的考察ー」は三つの類型をあげて考察しています。
モンスーン、砂漠、牧場です。
類型の考察が「風土ー人間的考察ー」の第二章で、これ以降はぐっと文章が易しくなります。
(最後の章は再び難しいのですが。)
和辻哲郎の直観で捉えた各地の風土は、学術書とは思えない瑞々しさで描写されています。
現代美術は西洋美術の現在形です。
西洋美術の原点はギリシャです。
ギリシャから生まれた美術(芸術)という形式が、ヨーロッパに広まり、そして現在に至っています。
風土の観点から見て、ギリシャは牧場に分類されます。
以下は「風土ー人間的考察ー」を要約しながら話を進めます。
和辻哲郎によれば、牧場という風土の特徴は、自然が人間に対して従順なことです。
モンスーン(日本はこの型です)や砂漠の過酷な自然に比べると、農牧が容易です。
例えば、この風土では雑草が生えません。
日本の酷暑の中の雑草取りが農作業の重要な仕事であることを考えれば、その容易さは理解できますね。
ギリシャ及びイタリアでは自然の暴威(大雨、洪水、暴風)は稀にしか起きません。
地中海、エーゲ海はそういう風土なのです。
風は弱く、樹木は空に向かって真っ直ぐ延びます。
木の左右は、ほぼシンメトリーになります。
このような風土では、自然は合理的な姿で己を現します。
日本の木のように、風に抵抗して曲がりくねる必要がないのです。
ギリシャの気候を一言でいえば、「澄みわたる碧空、輝き透る天日」です。
空気が乾燥していて、明朗なんですね。
合理で明朗なギリシャ的精神はこの風土が生んだものですが、ギリシャ的精神はある変動によって結実となります。
その変動とは、農牧を捨てて海に出たことです。
人口の増加=食糧不足が原因であったようですが、農牧の民は生活の舞台を海に移し、「海賊」に転化しました。
海賊は、武力で他の部族の食糧、家畜、女を略奪します。
混血と異部族間の祭儀の混合が行われ、古い伝統は破壊されます。
昔の農牧生活とは著しく異なった新しい生活が始まりました。
新しい生活とは武士の生活です。
(自然を相手にすることに替わって)武器の制作、武術の鍛練が主要事になります。
この時点で、有名なポリスは形成されました。
農牧生活からの脱却で、人々は自然の拘束から己を解放しました。
ポリスの構成は、人口五十万に対して市民は二万一千人だったそうです。
市民以外は奴隷です。
この奴隷の労働に支えられて、ポリスの市民の人間的な創造活動が開始されました。
さて、合理的な姿の自然の風土は「見えざるもの」「神秘的なるもの」「非合理なもの」を求めません。
合理で普遍を指向します。
労働から一定の距離を獲得した市民は「ながめる」立場、「観る」立場に立つことが可能になります。
「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。
無限に新しいものを見いだして行くことである。
だから観ることは直ちに創造に連なる。
しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。
純粋に観る立場、科学、芸術の誕生ですね。
しかも、ギリシャには共闘の精神(競う精神)があります。
オリンピックの発祥の地ですからね。
だから、芸術も競って切磋琢磨することになります。
奴隷に労働(農牧)を負わせた市民は、新たな労働に着手します。
人工的、技術的な工芸品の製造です。
第二次産業の始まりです。
このラインが後の産業革命で一気に加速されます。
和辻哲郎はヨーロッパの運命を支配したものを二つ挙げています。
一つは砂漠から生まれたキリスト教。
もう一つが、学問や芸術におけるギリシャの合理性です。
今日世界を覆っている西欧近代のスタート地点は後者です。
わたしが関係している現代美術のスタート地点も、後者です。
しかし、幸いなことに(?)美術は西欧近代の末席を汚しているにすぎません。
科学のようなメインストリームではありません。
人間が従順な自然への支配を自覚し、自然の支配者として己れ自身の生活を形成し始めたとき、右のごとく風土的性格がギリシャ精神の性格となったのである。
右のごとく風土的性格とは、ギリシャ的な合理性を指します。
自然の支配は、自然との調和、自然の人間化、人間中心的な立場の創設を意味します。
和辻哲郎はギリシャ精神を「明朗なる真昼の精神」と形容しています。
「真昼」を生んだのは合理的なギリシャの自然と、その自然の拘束から解放された生活環境です。
ギリシャにもデメーテル崇拝のような「夜」はあったのですが、ギリシャからヨーロッパ、世界に浸透したのは「真昼」です。
地球が世界だとしたら、その半分は昼で、もう半分は夜です。
もし地球(世界)が昼、いや「真昼」だけだったとしたらどうなるでしょうか。
人間中心的で合理的な「真昼」だけだったら、どうなるでしょうか。
現代美術の出自は「真昼」ですが、美術そのものの出自は昼と夜(闇)です。
つまり、世界です。
「見えざるもの」「神秘的なるもの」「非合理なもの」を含んだ、世界です。
「真昼」のあまりの眩しさに気がついたのは、他なるぬ美術家です。
和辻哲郎が直観を武器に風土現象を考察したように、美術家も直観で世界を捉えようとしています。
その世界を、ご覧いただければ幸いです。