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『巡礼』


『巡礼』 とは橋本治の著した小説です。
長編というほど長くもなく、中編と言うほど短くもない、小説です。
主人公は、ゴミ屋敷の独居老人です。

粗筋を簡単に記せば、戦時中に少年時代を過ごした荒物屋の長男が、戦後をただまっとうに生きてきたはずなのに、いつの間にか家族も道も失って、ゴミ屋敷の主になってしまった過程の物語です。
その主人公の変遷と郊外の戦後史が重なって、戦後の日本人とゴミ屋敷というものの存在が明らかになっていきます。

荒物屋。
荒物屋とは家庭用の雑貨類を売る商売で、今でいえばホームセンターに近い存在でした。
瀬戸物屋、乾物屋などと並び今は絶滅寸前ですが、スーパーが出現する前は、昭和の時代にはどこの町にもあった商店です。
まずこの荒物屋を小説の舞台に持ってきたことが、物語の時代を写すことに成功しています 。
そこで働き始めることは、入社ではなく、奉公と呼ばれたました。
(今はどんな小さな商店でも、会社組織になっていれば、店員ではなく社員です。)



今の世の中は、何かが狂っています。
しかし、何が、どう狂っているかは、ワイドショーでは解明しません。
ゴミ屋敷があれば、ゴミ屋敷の惨状が迷惑で、主が狂っているというだけです。
あたかも、映す人、語る人、見ている人はいささかも狂っていないかのようで、何がどう狂っているのかには触れません。

荒物屋の長男であった男は、ごく普通の家族の中にありました。
ごく普通の家族で、長男である男はそれ(家業と家族)を当然のように継ぎました。
しかしそこにはちょっとした行き違いや時代の流れがあって、男は家族と生き方を見失いました。
そしてそれを取り戻そう、引き留めようとする行為が、異常なゴミの収集であり、結果としてのゴミ屋敷です。



小説の主人公としてゴミ屋敷の主を設定する。
このアイデアは秀逸です。
ワイドショー的な話題を逆手にとって、日本の戦後史と個人の家族史を重ねています。
そして終章では、一人の人間の生と死を静かに語ります。

小説を読んでいると、わたしたちは主人公の男の内面にいるかのようです。
男が生きた時代を、生きているかのように感じます。
郊外の町が拓け、土地が変わっていく様子や、家族や人間関係が変わっていく様子が・・・。
その描写力と文章のリズムが、この小説の力です。

いつの時代にも異物は存在します。
しかし今の時代ほど、異物を自身とは関係ないものとして排除しようとする時代もありません。
異物は、わたしたちの社会やわたしたちの内面から生まれてくるものです。
それを見つめないと(検証しないと)、わたしたちのそれも崩れていくでしょう。
『巡礼』は、そういうことを気付けさせてくれる小説です。