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『カムイ伝講義』



わたしたちは江戸時代をどのようにイメージしているでしょうか。
わたし個人でいえば、学校教育、映画(特に幼少時の東映時代劇)で何となく江戸時代を想像していました。
江戸時代は、閉鎖的で遅れた印象の、鎖国という制度下にありました。
町人文化の華やかさに比べ、人口の大多数を占めた農民の生活も、暗く惨めな印象が強くあります。
果たして、それは本当なのでしょうか。

田中優子さんの著した『カムイ伝講義』は、そんな漠然とした江戸時代のイメージを覆す著作です。
田中さんは、江戸時代の社会、文化の学者、研究者です。
着物姿でテレビにも出演していましたから、ご存知の方も多いと思います。
現在は法政大学社会学部教授で、『カムイ伝講義』は、白土三平『カムイ伝』をテキストとした大学の講義録です。
(学部は違うものの、学生時代、田中さんはわたしの後輩筋にあたりました。)

『カムイ伝』、わたしたちの世代では誰でも知っている劇画ですが、若い人はどうでしょうか。
『カムイ伝』は1964年から1971年まで月刊誌漫画ガロに連載されました。
(続編である『カムイ外伝』はその後に少年サンデー、ビッグコミックで連載。)
カムイ(非人)、正助(農民)、竜之進(武士)が主人公で、夫々の視点(被差別民、農民、武士)で社会を描いた壮大な劇画です。
未完ですが、劇画史上最も優れた作品であることは疑いがありません。



書籍『カムイ伝講義』の帯には、以下のようなコピーが記されています。
「いまの日本はカムイの時代とちっとも変わっていない」競争原理主義が生み出した新たな格差、差別構造を前に立ちすくむ日本人へー。
このコピー、若干誤解を生みやすいと思います。
江戸時代の格差、差別構造は苛酷なものでしたが、社会全体としてみると、現代よりも流動性があり、ダイナミズムに溢れています。
本書の力点はそこにあり、その上で、武士という階級の疎外感を現代に重ね合わせています。

『カムイ伝』から抽出された百姓(農民)の生活。
その多様な能力は驚くばかりです。
それを知るだけでも、本書を読み価値があります。
江戸時代の下肥(人間の大小便を肥料にしたもの)が都市部から農村にリサイクルしていく過程は、循環の知恵が余すことなく活かされています。

忍の道に進んだカムイの出自は被差別民の穢多でしたが、その被差別民(穢多、非人)の世界を詳細に描いたのも『カムイ伝』の特質でした。
『カムイ伝』では連載当時の時代制約で穢多と非人の区別がありませんでしたが、本書では細かく分けて解説されています。
被差別民と河原(葬や芸能など)の関係、組織化された被差別民と武士の関わりなど、単なる差別とは違う複雑な構造に江戸時代の本質が見えます。



江戸時代は身分が基になった制度ですが、今考えられているほど固定的ではなかったようです。
移動もあったし、身分を重ね合わせたり、時や場所によって身分を代えたりすることさえあったようです。
管理も、今の方が余程厳しく、隅々にまで渡っています。
現代の特権とされる自由や平等がどれほどのものか、考えさせられます。

わたしは『カムイ伝』を通読したわけではありません。
ガロの連載で一部のほとんどを読んだ記憶はありますが、二部と外伝は不確かです。
『カムイ伝』の面白さはドラマの壮大な展開と圧倒的なリアリティ(黒澤明の時代劇と同じような)です。
そして、『カムイ伝講義』で田中さんが指摘している批評性です。
過去、現在、未来を見通し、世界とは人間とは何かを問う、批評性です。
その批評生に着目して、『カムイ伝』を教材とし、現代を問うているのが『カムイ伝講義』です。
その手捌きは、感心する他ありません。

『カムイ伝講義』の終章は「武士とは何か」です。
江戸時代、武力とはほとんど象徴のようなもので、実態は法治の社会だったようです。
そうなると武士の存在ほど曖昧なものはありません。
武力を専らとする者が、武力の使用を抑制する社会に生きている。
しかも権力者としての存在意義がハッキリしていません。
そして、武士階級の内部には凄まじい格差が存在していた。

百姓(農民)の多様で生に直結した生活に比べ、何とも疎外された存在です。
そのあやふやな武士の存在に、わたしたちは何を見るか。
『カムイ伝講義』の眼目の一つで、とても興味あるテーマです。

『カムイ伝講義』は幸いなことにWebで連載されています。
「カムイ伝から見える日本」
モニターでの読書が苦痛でない方は、こちらをお試し下さい。
そして楽しめたのなら、本書を購入するのが宜しいかと存じます。