人生に勝者がいれば、必ず敗北者がいます。
正義の人がいれば、悪の人がいます。
陽の当たる道を歩む人がいれば、日陰を歩む人がいます。
そして、生者の世界があれば、死者の世界があります。
ティム・バートンが描くのは、後者の人々です。
あるいは、前者の抱えた闇や、両者の境界にある薄暮です。
19世紀のイギリス。
無実の罪で投獄され、その首謀者に妻も娘も奪われた男が、名前も姿も変え、ロンドンのフリート街へ戻ってくる。
15年ぶりに理髪店を再開した彼は、理髪師スウィーニー・トッドとして腕を振るい始めるが、彼は目に狂気を宿らせながら、かつて自分を陥れた男への復しゅうに燃えていた。
『スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』の簡単なイントロダクションです。
その後、男の運命はさらに狂って、大量殺戮、血の惨劇の首謀者になります。
ティム・バートンはファンタジーの名手ですが、そのほとんどが暗い夢想劇です。
今でこそファンタジーは童話と同義であったり、「夢とファンタジー」などと形容される言葉ですが、起源は神話世界に属しています。
神話が民話になり、近代になって、人間中心のヒューマンな物語になったのが現代のファンタジーです。
神話世界では人間が主人公とは限らず、物語も(今の感覚では)残酷なものが多数あります。
そのような意味では、ティム・バートンは正統なファンタジーの後継者といえます。
ティム・バートンの映画の最大の特徴といえば、その映像世界が閉じていることです。
『スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』ではロンドンのフリート街、バットマンシリーズではゴッサムタウン、『シザーハンズ』ではアメリカの郊外。
そのどれもが、ジオラマのように閉じています。
観客は、その閉じた世界を覗き込むようにして、映画の中に入っていきます。
これは形容でも何でもなくて、精巧なミニチュアの街の俯瞰から始まるオープニングは、そこが作り物の世界であることを如実に語っています。
ティム・バートンはアニメ出身の監督で、三本のアニメーション映画(ストップモーション・アニメーション)の製作もしています。
そのうちの『ティム・バートンのコープスブライド』は監督も務めています。
実は、『スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』はこれらのアニメーション映画の実写版ともいえる体裁を持っています。
登場人物は、アニメーションの人形のようなメイクで、アニメーションの人形のような演技をしています。
そして、歌を歌いながら、踊る。
『スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』はミュージカル映画で、ブロードウェイのミュージカルが基になっています。
ティム・バートンとミュージカルの組合わせは意外な感がしますが、バートン映画のほとんどはミュージカルの要素があります。
前作『チャーリーとチョコレート工場』のチョコレート工場の内部シーンは、50年代MGMミュージカルそのものでした。
歌って踊って馬鹿騒ぎ、はむしろ得意とするところです。
バートンに繰られた人形が繰り広げる惨劇。
おびただしい量の血が流れ、愛憎の交錯は、男を地獄に引きずり込む。
愛が盲目のように、憎悪も盲目であることを、男は知らなかった。
綿密に計算された色彩と演技。
無駄のない脚本とカメラワーク。
個人的には、『バットマン・リターンズ』以来の快作と思いました。
(今回掲載の画像の上下は、『チャーリーとチョコレート工場』の金色のチケットのチョコレートに因んで、シルバーで包装されたチョコレートです。)