みうらじゅん原作/田口トモロヲ監督「アイデン&ティティ」のエンディングテーマはボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」。
吉祥寺の小さくて狭い映画館の客席で、わたしは「Like A Rolling Stone」の歌詞(字幕)をジッと見ていました。
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
どんな気がする
どんな気がする
ひとりぼっちで
かえりみちのないことは
誰にも知られないってことは
転がる石のように・・・・
転落して無一文のホームレスになった、かつては裕福で高慢だった娘。
その娘に向けてディランが問いかける歌です。
上はそのリフレインされる(サビの)歌詞です。
無一文になって、家を失い、今夜の食事の算段の知恵もない娘。
そんな辛さと同等かそれ以上なのが、誰にも知られないことです。
誰も自分を知らない。
この言葉の重さが、客席のわたしに突き刺さりました。
難解といわれるディランの詞の中では異例に解りやすい歌詞ですが、解釈は一つではありません。
栄華は久しからずか、どう転ぶか解らない人間の運命の儚(はかな)さがテーマなのか。
わたしは、「落ちるところまで落ちて、初めて解る自分そのもの」を歌っているのではないかと思いました。
「落ちないと決して分からない自分」、のことを歌っているのではないかと。
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映画のエンディングテーマが後々まで引いて、つい最近「Like A Rolling Stone」収録のアルバム「Highway 61 Revisited」を購入しました。
1965年リリースで「Like A Rolling Stone」は全米一位になっています。
1965年、わたしは高校一年生で洋楽ファンでしたから、ディランの「Like A Rolling Stone」をシングルで購入しています。
その後アルバムも買いましたが、それは「Highway 61 Revisited」ではなくて、日本独自の編集されたLPでした。
アルバムジャケットは3rdアルバム「The Times They Are A-Changing'」だったと記憶しています。
三十九年の月日を経て、久しぶりに自分の部屋で聴いた「Like A Rolling Stone」。
旧さなどまったくなく、驚くほどの音圧とディランのテンションの高さ。
矢継ぎ早に身体から吐き出される言葉のスピードと重量感。
思い出してみれば、高校生のわたしが初めて聴くアジテーションでした。
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あの時、ディランは何に怒り、何に苛(いら)ついていたのでしょう。
何に向かって反抗していたのでしょうか。
世の中に?
他人に?
あるいは、自分に?
ディランの後、形を変えながら反抗は続きます。
パンクがあって、ヒップホップが出現しました。
マシンガンのように吐き出される言葉と、身体を覚醒する音圧。
何かを切り裂こうとする音楽の血脈です。
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「Highway 61 Revisited」は「Like A Rolling Stone」で幕を開け、「Desolation Row」(廃虚の街)で幕を閉じます。
起伏があって、佳曲ぞろい。
ディランが紡ぎだすメロディーラインの美しさも格別です。
唯一のアコースティックヴァージョンがラストの11分に及ぶ「Desolation Row」。
ディランのボーカルとそれに絡みつくギターが、まるでボールルームのダンスのよう。
それにしても、カッコ良いディランで、カッコ良い音楽です。
年老いたブルースシンガーのようなボーカルなのに、若さだけが持つ色気が立ち上っています。
三十九年前を再訪(Revisited)したわたしは、新たな発見と再認識がごちゃまぜになりながら、又聴いています 。