「木綿のハンカチーフ」は1975年に太田裕美によってヒットした歌謡ポップスです。
作詞は元はっぴいえんどのドラムスだった松本隆、作曲は筒美京平。
誰でも知っているヒット曲というのがなくなってから久しいのですが、「木綿のハンカチーフ」は誰でも知っていました。
現在40才以上の方なら、あのメロディーをきっと憶えているはずです。
(出だしの「♪ 恋人よ〜」で胸がキュンとなる人もいるはずです。)
数週間前、クルマのFMのスイッチを押したとき流れてきたのがこの曲でした。
とっさに曲名が浮かばなかったのは、それが太田裕美のオリジナルヴァージョンではなかったからです。
知らない歌手が、ハードなリフのロックをバックにアッケラカンと歌っています。
メロディーはほとんど崩していないのに、受ける印象がまったく違う。
一発で、気に入ってしまいました。
曲後のDJの紹介で、それが椎名林檎ヴァージョンであることを知りました。
さっそくCDショップに足を運びましたが、新譜コーナーには見当たりません。
帰宅後WWWで調べると、2002年リリースの二枚組CD「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜椎名林檎」の一曲であることが判明しました。
しばし思案の後Amazonの購入ボタンをクリックして、一週間後には思う存分聴きました。
(定価3600円がAmazonで若干ディスカウントされていたのにも、背中を押されました。)
全曲カヴァーアルバム「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜椎名林檎」は、コアな椎名林檎ファン向け、といった評価をWWWでは散見しました。
アタマから最後まで流して聴いてみると、たしかにそんな気がします。
飛び抜けて良いのが「木綿のハンカチーフ」、これもWWWのページのほぼ一致した意見。
つまり「木綿のハンカチーフ」は名カヴァーだが、それ以外はイマイチということです。
それから、FMでは気がつかなかったのですが、「木綿のハンカチーフ」は松崎ナオとのデュエットでした。
この曲は、都会に出ていった男と田舎に残った女が交互に心情を語っていますが、男パートが椎名林檎、女パートが松崎ナオです。
初聴では声質が似ていることもあって、椎名林檎のソロと思ったのですが、CDで聴いてみるとお互いの個性がキチンと出ています。
重唱のパートがないので、デュエットというよりは、CDの表記のwith松崎ナオといった方が正確かもしれません。
CDに添付された解説によれば、この曲はニューミュージックと歌謡ポップスの橋渡しをしたとあります。
歌謡ポップス以前は歌謡曲の時代ですが、歌謡曲とそれらの違いは何でしょうか。
私見では、歌謡曲はトラディショナルな音楽とラテンからクラシックまでも含む多くのジャンルとのごった煮。
歌謡ポップス以降は英米のポピュラーミュージックと歌謡曲との混交、ではないでしょうか。
特に、ニューミュージックはロック、フォークの強い影響下にありました。
それがJポップになると、ブラックミュージックの要素が入ってきます。
簡単にいえば、そんな図式になるかと思います。
各パートの前半(四行)が男の気持ちで、椎名林檎が歌い、後半(五行)の女の気持ちを松崎ナオが歌っています。
椎名林檎はストレートに、アッケラカンと歌い、松崎ナオは少し舌足らずな低い声に感情が入っています。
メロディーラインでは、男パート最後の繰り返しと女パート最後の繰り返しが耳に残ります。
名曲とは時代の風雪に耐えて生き残った歌のことですが、「木綿のハンカチーフ」は名曲ですね。
何といっても詩と曲が良くできています。
風景に感情を託した歌詞(←解説による)と、洗練されていながら歌謡曲のエッセンスが入った親しみやすい楽曲。
歌詞が見事にメロディー、リズムにのっています。
オリジナルの太田裕美はこの曲にあった歌唱、キャラクターでした。
ですからヒットは当然ともいえますが、個人的には太田裕美に魅かれませんでした。
わたしは椎名林檎(with松崎ナオ)ヴァージョンの方が圧倒的に好きです。
椎名林檎のファンというわけではなく、この曲の解釈とアレンジ、バックの演奏を含めた音楽の全体像が好みです。
男(あるいは女)が都会に出て、女(男)が田舎に残って、そのうちに別れる。
このシチュエーションは、都会というものができて以来何度も歌にされてきました。
珍しくも何ともないですね。
しかし、現代では説得力のないシチュエーションです。
違いはあるとはいえ、都会と田舎の距離は精神的にも時間的にも縮まったからです。
交通の進歩とメディアの発達ですね。
ファッションだって、歴然とした違いのあった昔とは異なり、ほとんど区別がつきません。
「木綿のハンカチーフ」がヒットした1975年は、まだそのシチュエーションに説得力のあった時代です。
田舎が急速に変化しつつあった時代でしたから、吸っている空気にまだ違いがありました。
田舎が荒(すさ)む以前の、田舎の郊外が出現する以前の時代でした。
都会っ子である松本隆と、(歌謡曲界の)異才筒美京平と、田舎と都会を合わせ持ったような太田裕美。
このトリオと時代が一致して、「木綿のハンカチーフ」という名曲は生まれました。
椎名林檎ヴァージョンには歌詞の説得力はありません。
もう、そういう時代ではないからです。
「都会の絵の具に染まる」、は過去の形容です。
それでも、椎名林檎ヴァージョンは良い。
椎名林檎(with松崎ナオ)の「木綿のハンカチーフ」には、ヒリヒリとした感情の発露があります。
元気はつらつ、アッケラカンの椎名林檎の歌唱の裏にそれが見え隠れし、軽い(?)暗さと諦観がないまぜになったような松崎ナオのボーカルにもそれがあります。
そして、それが交わるような交わらないような距離にも、それがあります。
このヒリヒリとした感情が、今という時代の感情そのもので、歌にリアリティを与えています。
バックの単調ともいえるハードなリフに混じるノイズが、その感情を増幅して、聴くものを歌の世界に引きずり込みます。
都会に行った男と田舎に残った女という過去のシチュエーションを借りて、そこで表現されているのは、今という時代と、今という時代に生きる男と女です。
それが、椎名林檎ヴァージョンの「木綿のハンカチーフ」。
ヒリヒリとした感情を持たずにはいられない時代の、「木綿のハンカチーフ」です。
椎名林檎をまともに聴いたのはこの「木綿のハンカチーフ」が初めてですが、この人は正統アングラ系のディーバ(歌姫)ではないでしょうか。
戸川純の後継者とでもいえるタイプ、と思いました。
その戸川純がゲルニカ時代に残した名唱が「蘇州夜曲」。
これもカヴァーでしたが、忘れ難い曲です。
「木綿のハンカチーフ」も、同じようなポジションにある曲かもしれません。