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認識


道路交通で重要な認識は信号機です。
赤信号で横断したらアウトですね。
人もクルマもアウトです。

下は東京の麹町の交差点の信号機です。



赤です。
この信号機はクルマ用ですから、クルマは停止です。
見慣れた信号機です。
わたしが生まれてからず〜と見続けてきた信号機です。

この信号機が去年の秋頃から替りました。
どのように替ったかというと・・・・。



このように替りました。
信号の赤い部分を良〜くご覧ください。

フラットでクリアですね。
従来はランプの信号機でしたが、これは発光ダイオードを使用しています。
クルマを運転していて、西日の所為で信号が見づらかった経験が一度や二度はあると思います。
赤なのか青なのか認識できなくて、焦りますよね。

この信号機だとそれがありません。
ハッキリと認識できます。
上の写真は藍画廊の入居しているビルの前の道の信号機です。
東京の銀座(中央)通りです。

わたしが東京で一番利用する道は甲州街道ですが、新しい信号機の数まだそれほど多くはありません。
都心でも古い信号機の方が多数です。
しかし数年のうちに全国に普及すると思います。
交通事故の減少に少なからぬ威力を発揮しそうだからです。

それはそれで大変結構なことなのですが、この信号機、ちょっとヘンです。
ノッペリしていて、「奥行き」がありません。
風景から浮いているように見えてしまいます。
風景には当然「奥行き」がありますが、点灯する信号の部分だけは奥がありません。

この違和感は慣れの問題かもしれません。
発光ダイオードの信号が大多数になれば、誰も何も感じなくなるでしょう。
それはたいした問題ではなくて、ちょっとした変化です。
風景の「奥行き」に関する、わたしの考えすぎです。
「奥行き」のない世界に対する、少しばかりの過剰な反応かもしれません。


さて話変わって、人には名前というものが付いています。
認識の手段ですね。
私事で恐縮ですが、わたしの名前は「ふくだまさきよ」です。
このサイトを以前からご覧になっている方や、更新通知を送信させていただいている方はご存知です。
なぜ平仮名にしているかというと、「きよ」の漢字がコンピュータに入っていないからです。
ひどく難しい漢字なのです。

今わたしはMacOSX(テン)に移行中です。
MacOSXに標準で内蔵されているヒラギノ書体には、外字が多数収録されています。
わたしの「きよ」の字があるかどうか、ちょっと試してみました。
使用している入力変換ソフトのEGBRIDEの機能に手書き認識があります。
マウスで書いてみました。



下手な字ですみませんが、こういう漢字です。
これを入力して、検索ボタンを押すと。



ありました、ありました!
アッパレ、MacOSX。
このウィンドウだけでも、難しくて読めない漢字がいっぱいありますね。
(隣の漢字はいったい何と読むのでしょうか。)

全国の難字姓名者には朗報です。
これで、晴れて本字で姓名を名乗れます。
わたしの場合ですと、こうなります。



タイトルの「名称未設定」というのが笑えますね。
「ちゃんと設定したのに!」、とツッコミの一つも入れたくなります。
ま、ともかく嬉しいです。
自分で作るドキュメントには漢字で名前を書けるわけですから。

もちろん電子メールやWebページでは、この漢字は不可です。
ですから、今まで通り電子の世界では「ふくだまさきよ」です。
ちょっと、残念。

この「ふくだまさきよ」は本名ではありません。
元本名です。
複雑な、わたしです。
もともとわたしは韓国籍で、日本に帰化するまではこれが本名でした。
帰化にあたり、この漢字が認められず名前を変えたのでした。

日本では結婚すると姓が変わり、元の姓は旧姓になります。
それは不都合だから何とかして欲しいというのが、「夫婦別姓」問題ですね。
その是非はともかく、同級会などに出かけて旧姓で呼ばれたとき、そこに何かしら不思議な感情が生まれると思います。
わたしのケースは、それに近いような気がします。

いってしまえば、名前は人に付けられたタグのようなものです。
単なる認識の一つです。
にもかかわらず、人は名前にこだわります。
それは、その認識がその人の歴史と重なる部分があるからでしょうね。


(自分で更新していて何ですが、自分の名前を大書きしたのはいささか恥ずかしいと思いました。)



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