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福田昌湜展 -路上にて3- 作品詳細 
ギャルリ イグレグ八が岳

FUKUDA Masakiyo


福田昌湜展 -路上にて3-の作品詳細です
作品はすべてアーカイバルピグメントプリントです。
サイズはL(200×300mm)、M(180×270mm)、S(120×170mm)、正方形(180×180mm)です。
作品をご覧下さい。


左からS、M、L、M です。


左からM、L、M、M です。


左からS、M、S、S です。


左からM、M、M、M です。


左からS、M、M、M です。


左からL、L、L、L です。


左からL、L、M、M です。


左からL、L、正方形、正方形 です。


M です。


以上の33点(+1)で展覧会は構成されています。
ご高覧よろしくお願い致します。

なお会場にはショートテキスト(小文)も6編置かれていますので、こちらもご覧いただけたら幸いです。
そのうちの2編を掲載いたします。

「美術」
わたしは小学校の時分、転校しています。
甲府市内で転居したのに伴い、4年生からは市内中心部の学校に通いました。
それまではクラスの剽軽者で、成績も良かったので、楽しい学校生活でした。
ところが、転校先の教師と相性が悪く、しかも卒業までクラス替えがありませんでした。
教師は異常に教育熱心で、時間割や、休み時間、下校時間を無視して、朝から晩まで授業を続けました。
1時間目に算数があると午前中は全部算数で通し、ノートの取り方から何から自分の思うように生徒を躾け、学校では学習以外一切許しませんでした。
なぜわたしが目の敵にされたのは分かりませんが、クラスで最も叱られ、何かというと廊下に立たされました。
体感的(?)には授業の半分は廊下で過ごしていたように思います。
そんなわけで、卒業して中学校に進むのは安堵以外の何もでもなく、子供心にも人生をやり直すような心境でした。

教師は、美術の先生でした。
小学校ですからほとんどの教科を教えますが、元々は美術の先生で、黒板の上には自作の静物画が掛けてありました。
それは油絵で、レモンが中心に描かれていたのを今でも憶えています。
教師の絵は西洋絵画の王道を行くような、光と影を重視した具象画でした。
ある時、図工の授業でわたしが線で輪郭を描いていたら、厳しく注意を受けました。
それから図工の時間が苦手で嫌いになりましたが、一つだけ学んだことがあります。
写生で美しい風景ばかりを描くのではなく、取るに足らないような日常の光景にも眼を向けろという教えです。
端的に言えば、モチーフと視点の問題ですね。
これが教師から授かった唯一の教えで、あとは辛くて無駄な時間が只々過ぎていった3年間でした。今から思うと、わたしにも当然落ち度があったはずですが、70年の人生の中でこれほど相性の悪い人はいませんでした。

あの地獄のような3年間。
そこで学んだたった一つの教えが、今のわたしの美術の中で生きている。
分からないものですね、人生は。
恐らく美術に限らず、生きていくということはそういった意外性に富んでいて、人と人は関わっていくものかもしれません。

 

「昭和」
今から15年前に映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が公開されました。
舞台を昭和33年の東京下町に設定したドラマで、CGで再現された当時の街並みが話題になりました。
しかしそれは昭和のテーマパークに行ったような感覚で、実際に経験した空気とは微妙に違っていました。
昭和を懐かしむなら、当時撮影された映画の方が面白いと思ったのを憶えています。

最近は配信の映画を楽しむのを習慣にしていますが、そこに『洲崎パラダイス 赤信号』がラインナップされました。
監督は『幕末太陽傳』の川島雄三で、舞台も東京下町、年代も『ALWAYS 三丁目の夕日』とほぼ同じです。
当たり前ですが、当時の映画ですから臨場感というか空気感はCGの比ではありません。
匂いや温度まで伝わってくる濃厚さで、ドラマの作りも綿密、演出や演技も出色の映画です。
これがプログラムピクチャー(週替わりの二本立ての一本)ですから、当時の日本映画の水準の高さが窺われます。
戦後の復興間もない赤線「洲崎」の周辺を舞台にした映画ですから、登場人物の多くは貧しい庶民です。
主人公は流れ者の男女で、若い新珠三千代と三橋達也が演じています。
食い詰めた二人は洲崎の一杯飲み屋の女将(轟夕起子)に拾われるような形で住みつきます。
女は蓮っ葉で遊郭にいた過去があり、男は甲斐性も覇気もないダメ男です。
それを後年の役柄とはほど遠い汚れた役を、新珠三千代と三橋達也の美男、美女が演じています。まさにあの当時にいたような軽薄で、その日暮らしのだらしない男女です。
この二人と轟夕起子の家族、女の愛人、男が勤め始める蕎麦屋の女店員が交わって物語は進行します。

映画を見て感じるのは、当時の社会のスカスカした、風通しの良い世相です。
人と人の間が隙間だらけで、しかも直(じか)の関係しかない簡潔さです。
テレビもまだ普及前で、メディアといえばラジオだけ。
電話もまだまだで、ネットも携帯もメールもSNSもないので、すごくシンプル。
人間関係の逃げ場がないといえばその通りですが、その身軽な感じが新鮮に映ります。
だからかもしれませんが、ホームレス寸前の若い二人の生き方は行き当たりばったりながら、愛憎が深く、どこか飄々とした感じが拭えません。
浮き草のような二人に、荷物はほとんどありません。
あるのは三橋達也が持つ小さな風呂敷包みとボストンバッグだけ。

今の若者には馴染みのないボストンバッグですが、当時の旅行カバンの言えばボストンバッグでした。
あのボストンバッグは、CGの街並みよりもずっと昭和を象徴していました。
モバイルといいながら複雑なネットワークと小物に囲まれた現代よりも、ずっとモバイル。
濃い愛情関係と身軽な出で立ち、片や薄い人間関係と重装備の日常。
どっちが良いか分かりませんが、ボストンバッグ一つの人生から、時代は後者に進みました。

 

作品配置図
プライスリスト1
プライスリスト2

<日時>
2020年7月4日(土)〜26日(月)
開廊日 土・日・月
12:00-17:00


<会場>
山梨県北杜市高根町上黒沢1706-3
080-6531-3131
http://y-yatsu.com/index.html