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「iPhone's photo(26)」


iPhone3Gが日本で発売されたのは三年前の七月でした。
恐らくその時が、日本におけるスマートフォン元年だったと思います。
それ以前のスマートフォンは、オバマ大統領の愛用していたBlackberryのような法人向けのものでした。
iPhoneの爆発的な売れ行きにより、スマートフォン市場がコンシューマ(一般消費者向け)に拡がり、Appleの一人勝ちの時代がしばらく続きました。

それに待ったをかけたのは、通信キャリアや端末メーカー
ではなく、あのGoogle。
米のAndroid社を買収して、携帯情報端末のOS(プラットフォーム)Androidの開発に乗り出したのです。
その意図は携帯情報端末の広告収入にあります。
無償でAndroidを公開し、その見返りに情報端末からの広告収入が入るという算段です。



スマートフォンと従来の携帯=フィーチャーフォンとの違いは、スマートフォンがコンピューターそのものであることです。
フィーチャーフォンもコンピューターですが、通信に特化したコンピューターでした。
つまり、OSなりアプリケーションなりを意識することなく、使用することができる通信端末です。
(パソコンとかつてのワープロの違いを想像すると分かり易いと思います。)
それが日本では独自に進化して、ワンセグや電子マネーなどの多機能が付属するようになって、通称ガラケーと呼ばれるようになりました。
とはいっても端末の自由度はほとんどなくて、通信キャリアの許容範囲でユーザーは使わざるを得ませんでした。

わたしはもともと携帯電話が嫌いで(今でも嫌いですが)、その第一の理由は行動の自由を阻害されること。
第二は上述の通信キャリアの囲い込みです。
パーソナルコンピューターの世界は、それに比べると遙かに自由で、主体はあくまでもユーザーにあります。
しかし携帯の場合は、通信キャリアが主体で、ユーザーにはカスタマイズする権利がありません。
それがわたしの携帯電話嫌いに拍車をかけました。



携帯電話の話を書いていたら、数十年前の電話事情を思い出しました。
わたしが大学生の時代だったと思います。
その当時は、市内だったら何時間かけても公衆電話は1回10円、家庭用電話は7円でした。
今考えると、信じられないような話ですが、本当の話です。
駅の赤電話(公衆電話)は長蛇の列で、前の人の通話が終わるまで皆じっと待っていたものでした。
のんきな時代といえば、のんきな時代でした。

さて、スマートフォン。
これはまったくのコンピューターですから、スマートフォンの時代とは、人が常時にコンピューターを携帯する時代のことです。
あの赤電話の時代から考えれば、驚愕の時代になったものです。
未来はいつの間にか到来していて、それが少しも未来チックでないと思うのが、わたしの所感です。
わたしの想像していた未来は、もっと幸せな世界だったような気がします。
高額な定額パケット代を気にするような、しょぼくれた時代ではなかったような・・・。



iPhoneでAppleが我が世の春を謳歌していたのは、意外に短い時間でした。
Androidがあっという間に普及したからです。
Androidは無償の上に、Googleの技術力がバックに付いていますから、携帯メーカーが採用しないわけがありません。
雪崩を打ったように各社がAndroidを採用したスマートフォンを開発、発売して、トップシェアを奪いました。
後れをとったauは大々的なAndroidキャンペーンを張ったほどです。

わたしは現在iPhone4を使用していますが、ほとんど不満もなく使っています。
唯一の欠点は、ガラスとステンレスの筐体なので滑りやすいことです。
何回か落としました。
わたしのiPhoneの使い方は、iPodとカメラがメインで電話はサブです。
つまりアプリケーションとして、(幸運なことに)電話の起動はさほど多くないのです。
何せ、わたしは携帯電話が嫌いですから。



今後のスマートフォンの予想をすれば、Androidのシェアは揺るぎないでしょう。
ただし機種別のシェアでは、iPhoneがトップであり続けると思います。
かつてのWindowsとMacのような図式にはならず、Apple(iOS)のシェアは20%前後で推移しますが、機種としてはiPhoneが売れ続けるでしょう。
先日知人のAndroid端末に触れる機会がありましたが、完成度ではまだまだiPhoneの域には達していません。

ついでの話ですが、iPodのヒットからAppleは一コンピュータ企業から総合情報企業に発展しました。
これもわたしの当てにならない予想ですが、AppleのIT業界の主導権も数年で後退期に入ると思います。
ジョブズの健康問題もありますが、時代はAppleが牽引する経営思想から、もっと急速にオープンに変わっていくような気がするからです。
オープンだからといって市場原理が変わるわけではありませんが、時代は非情にもAppleを追い抜いていくのです。



携帯端末の主流はiPhoneやAndroidの普及によって、スマートフォンに移りつつあります。
長らく世界の端末メーカーのトップシェアを独走してきたノキアは、時代に乗り遅れました。
iPhoneのような端末から遅れ、エコシステム(周辺経済機構)を築けず、業績は低迷を余儀なくされました。
スマートフォンのプラットフォームをAndroidに移行する案もあったようですが、先頃、あっと驚く選択を発表しました。
同じく落ち目の(失礼)MicrosoftのWindows phone 7をOSに選んだのです。
これは両社の合併にも匹敵する出来事でした。

さて、この選択はAndroidやiOS(Apple)を凌げるでしょうか。
個人的には、はなはだ疑問に思います。
恐らくWindows phone 7をプラットフォームにする端末メーカーは、ノキア以外には数えるほどしかないと想像します。
なぜなら、Windows phone 7には革新性もなければ、搭載するメリット(無償のAndroidのような)もないからです。

正直にいえば、フィーチャーフォンがそうであったように、一般消費者にとってプラットフォームが何であろうと関係ないことです。
要は使い勝手と通信エリアの方が重要でした。
それはスマートフォンも同じです。
時間が経過すれば差異はほとんどなくなります。
(Appleのようなブランド力は残るとしても。)
しかしプラットフォームのような見えないところで、マーケットの勝負は決まります。
Android=Google、恐るべしです。



長々と、嫌いな携帯電話について書き連ねてしまいました。
Webで仕入れた、生半可な知識で申し訳なく思っています。
多分、予想も外れたり、当たったりだと思います。
じゃ、なぜ書いたのといえば、それはわたしのガジェット好きが原因です。
携帯電話は嫌いですが、なぜか、ガジェット(オモチャ)は好きなのです。
そしてフィーチャーフォンよりもスマートフォンの方が、ガジェット度が俄然高いのです。
誠に、申し訳ありません。