相変わらずiPhoneの写真関係のアプリケーションは増え続けていて、ついにはAdobeからPhotoshop Mobileがリリースされました。
Photoshop Mobileは無料で、機能は多くありませんが、操作性はAdobeらしい工夫があります。
最初からエフェクトを施すカメラアプリと、Photoshop Mobileのようなレタッチアプリの使い分けが、iPhoneの写真のコツでしょうか。
2010年最初の更新だからというわけではないのですが、少し大きな話から始めます。
文明。
歴史をみればメソポタミアやエジプトなど大きな文明が幾つかありました。
教科書で習った記憶では、それらは物質、精神の両面で人類の進化と記されていました。
しかし文明は永遠ではなく、必ず滅びています。
それには、それなりの理由があったはずです。
今わたしたちの生活は西欧近代文明を基に築かれています。
この文明は、産業革命に端を発し、市場経済、民主主義などを特徴とします。
そしてこの文明が曲がり角に来ていることは、ここで述べるまでもありません。
深刻な環境問題や、20世紀から続いている戦争やテロなどが止むどころか多発しているからです。
共同体の崩壊や人間の内面の歪みも進行しています。
これはもしかしたら、曲がり角などではなくて、文明の黄昏、終焉なのかもしれません。
そういう実感が、ここ数年してなりません。
それが杞憂で終われば良いのか、それとも、今やソフトランディングな終焉を模索した方が良いのか。
その価値判断も大事だと思います。
西欧近代文明は多くの利器を生みました。
いわゆる、文明の利器です。
インターネットもその一つですね。
10年前には名前のみが喧伝されたインターネットも、あっという間に生活の一部となりました。
特に企業活動には欠かせないものになり、情報と通信のイノベーションが経済を牽引しています。
わたしたちは概念ではなく、肌で情報化社会を感じる時代に生きています。
インターネットとはネットワークのことですが、一般的にはWeb(World Wide Web)を指します。
Webの普及には、(私見では)二つの大きな出来事があったと思います。
画像を表示できるブラウザー(閲覧ソフト)Mosaicと検索エンジンGoogleの登場です。
わたしがWebを見始めたころは、既にMosaicの血を引き継ぐNetscapeの時代でした。
ですから、Mosaicが初めて登場した時の驚きは経験していません。
検索エンジンの重要性は、Web当初から、電話における電話帳に喩えられました
多くの検索エンジンが登場しましたが、検索結果の信頼性には欠けていました。
今でも憶えているのは、「ソニー」の検索です。
わたしはソニー本体のサイトに行きたかったのですが、検索結果はソニーに関する記事を載せたページばかり。
検索結果をどんどん下位に移動しても、ソニーのURLは一向に出てきません。
ソニーの文字はあっても、今と違って、そこへのリンクは皆無です。
イライラは募るばかり。
そんな時に登場したのが、Googleです。
これは、革命でした。
「ソニー」と検索ボックスに入力すれば、ソニーが最上位にランクされる。
今では当たり前のことが、この時から可能になったのです。
Googleの登場は、道具としてのWebが格段に使いやすくなった瞬間でした。
Googleの登場とパソコン普及のブレイクスルーは、ほぼ重なっています。
つまり多くの人は、最初からGoogleかそれと同等の検索エンジンを使う幸せに恵まれました。
あの長ったらしいURLを覚えて、正確に打ち込む苦労を味わう必要がなかったのです。
検索ボックスにキーワードを入れれば、ほぼ間違いなく、行きたいサイトに行けたのです。
(もちろん、若干のコツというものはありますが。)
Googleという会社は不思議な会社で、純粋な営利企業でありながら、半公共的な雰囲気、装いがあります。
それは意図的にインターネットの公共性とダブらせているのかもしれません。
Google は使命として、「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を挙げています。
注目すべきは、会社の目的ではなくて、使命と謳っていることです。
わたしはこの技術者優先でユーモアも解する先進企業を支持してきました。
営利に貪欲なマイクロソフトの対抗馬として、期待してきました。
いわばGoogle性善説(?)の人間でした。
事情が変わったのは、ここ数年です。
その使命に異様に忠実に、止まることを知らず、Googleは世界中の情報や知識を整理し続けているからです。
それは情報の整理であると同時に、集中、独占の危険性も孕んでいます。
又プライバシーとの兼ね合いも、難しい問題です。
他方で多岐にわたる企業の買収や、自前のOSの開発や提供も始めています。
オープンソースも積極的に活用していて、ここでも公共性の利用と貢献が目に付きます。
そして、コンピューターの先進であるクラウドの分野でも、Googleはトップランナーです。
SF映画の傑作に『ブレードランナー』があります。
あの薄暗い未来世界の映像の中で、ひときわ聳え立つ建物があります。
レプリカントを製造しているタイレル社のビルです。
あのタイレル社とGoogleが、わたしの妄想の中でボンヤリとダブっています。
それほどまでに、情報化社会の中でGoogleの存在が大きいように思えるのです。
「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」。
このことの利便性と弊害を、もう一度考えてみる必要があるかもしれません。
そしてそれが、Googleという一企業が為さんとしていることの意味も、考えてみる必要があります。
話を、少し戻しましょう。
文明は必ず滅びてきました。
それなりの理由があったから、滅びました。
これはまったくの想像ですが、文明には最初から過剰な部分があったと思います。
そしてその過剰な部分が制御できなくなった時、文明は滅びたのではないでしょうか。
何かの欠乏が滅亡の原因ではなく、過剰の増大が、文明社会を徐々に衰退させたのです。
この話とGoogleの話は別ではなく、どこかで結びつきます。
結論を急がず、それは折々に考えてみたいと思います。
新年の、少し大きな話でした。