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「探偵物語(78)」


ここ一ヶ月、民事裁判の証拠調べの仕事で追われています。
弁護士からの依頼で、建築物の瑕疵(欠陥)に係わる損害賠償裁判です。
案件の損害賠償額が大きく、弁護士だけでは手が回らず、わたしのところに仕事が下りてきたのです。

テレビのCMでご存知の方も多いと思いますが、今、弁護士は消費者金融の過払い利息でウケに入っています。
黙っていても依頼が殺到する状態で、笑いが止りません。
それで少し面倒で手がかかる調査は、わたしのようなヒマな探偵に丸投げされています。



事務所のあるK市の郊外です。
今日はこの辺りの建築業者を調べていて、適当な時間に仕事を切り上げました。
遅い昼食をファミリーレストランで済ませ、クルマをそのまま駐車場に置いて、いつものプライベートな探索に出掛けました。
ここは、近くに幹線道路の国道(バイパス)がありますが、一歩外れると小さな会社や工場と住宅が散在しています。
田畑もまだ多少あって、農家も若干ですが残っています。



同じ場所のショットです。
どうもわたしはこういう場所が好きなようで、いつも足が止ります。
郊外の小さな工場や倉庫と、そこに置いてある資材や機器。
どうってことのない風景ですが、わたしは惹かれます。

この辺りは、20年前にはまったくの農村だったところです。
それ以前、どこまで辿れるか分りませんが、ずっと農村だったと想像されます。
農村とて変化はあったでしょうが、その変化のスパンは非常に長いものでした。
戦前と大正、明治期と江戸時代以前。
そんな区分で緩やかな変化があったと思います。



今の時代、地方は不況の最中(さなか)ですが、幹線道路沿いは変化しています。
閉鎖される店舗があれば、新たに建築される店舗があります。
改装もあれば、移転もあります。
常に変化していて、その辺りを数年も通っていなければ、様変わりに驚きます。

変化しないことは、時代に置き去りにされることで、人々はそれを恐れます。
そして時代は隣近所ではなく、世界中と共に歩むようになりました。
この片田舎にリーマンショックが波及したように。



わたしは、小さな工場や倉庫と同じように、置き去りにされたものが好きです。
時代に置き去りにされた住居や店舗やビルが好きです。
そこにかつて在っただろう人々の騒めきや賑わいの余韻が、わたしの想像力を刺激します。

もう随分と昔のことになりますが、大学時代の恩師が、変化しないことの重要性を説いていました。
授業で聞いたのか、それとも酒席で聞いたのか忘れましたが、その言葉は耳に残っています。
先生の言わんとしたことは、文明以前の古代の人々の知恵(哲学)だったと思いますが、つい最近までその知恵は村々などに残っていました。
理由(わけ)なく村内の仕来りや慣習を変えることは許されませんでした。
変化は、決して好ましいものではなかったのです。
(それといわゆる政治的な保守とは、別の問題です。)



今の経済は、変化の経済です。
生活を消費によって次から次に変えていくことで成立しています。
変化はゴージャスであろうとエコであろうと、関係ありません。
今はたまたまエコの時代で、エコに見合った消費が奨励されています。
エコは永遠に続くわけではなく、又、変化していきます。

わたしたちにとって、変化しない生活はもう無理かもしれません。
いや、言葉を換えれば、逆に、本当の変化と縁遠い生活から離れられないかもしれません。
諸行無常という変化は、上辺(うわべ)の変化に隠されて、わたしたちの実感に触れてきません。
日々はただただ経つだけで、実の変化の様相を見せてくれません。
これは、相当に不幸なことなのではないでしょうか。