「Rhythm Of The Rain」の邦題は「悲しき雨音」で、毎年梅雨の時期になるとラジオから流れてくる曲です。
歌っているのはカスケーズで、典型的な一発屋で、この曲以外にヒットがありません。
しかし約半世紀に渡って毎年毎年流れてくる「Rhythm Of The Rain」、山下達郎の「クリスマス・イブ」と並ぶ(もしくはそれ以上の)偉大な曲です。
バカの一つ憶えのように、題名に「哀しき、悲しき」を付けるのが日本の風習です。
しかし「悲しき雨音」は、その通りに悲しい失恋の歌です。
去っていった恋人への未練が、雨音として、切なく悲しく胸に響く歌です。
この歌がヒットしたのは1962年。
アメリカの50年代からの黄金時代が、そろそろ終り告げようとした時です。
キューバ危機とベトナムでの戦火、マリリン・モンロー怪死。
そして翌年から全世界に衝撃を与えるビートルズが、この年にレコードデビューしています。
「悲しき雨音」は悲しい曲ですが、ドリーミーなポップソングの系譜を引く最後期の歌です。
わたしが音楽に目覚めたのは日本の歌謡曲ですが、レコードを夢中で買い始めたのはアメリカンポップ。
その夢の中にいるようなメロディーと、心をウキウキと明るくするリズム。
貧しかった極東の地方都市で、わたしのような少年と少女は夢を見ていました。
しかし美しい薔薇には棘があります。
1950年代から大量に生産されたスウィートなポップソングは、アメリカの大量消費社会のBGMでもあったのです。
デビット・リンチが『ブルー・ベルベット』の冒頭で流した同名曲は、その甘い世界の裏側へのプレリュードでした。
戦後のアメリカの文化政策は徹底していて、駐留軍の日用品にまで及んでいました。
その豊かな生活を生活用品に象徴させ、ことさらにプロパガンダ(アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ)したのでした。
映画や音楽は、アメリカが最も力を入れた文化兵器で、その影響力は全世界に及びました。
ポールとポーラは、アメリカという夢の世界の恋人たちでした。
わたしは今年(2009年)に還暦を迎えた団塊世代です。
そして、正真正銘のビートルズ世代です。
何と言っても、東京オリンピックの閉会式よりもビートルズ映画の封切を選んだ人ですから。
しかしそのビートルズの前の、夢のようなアメリカンポップスも好きです。
人工甘味料の塊のような、ラブソングが好きです。
その毒は全身にまわって、イカれたロックと一緒になって、今のわたしがいます。
「悲しき60才」(坂本九)で、もう少しすれば「When I'm Sixty-Four」(ビートルズ)です。