九月に入ってすぐ、新宿歌舞伎町で火災がありました。
四十四人の犠牲者を出した大事件でした。
その時から、いつになくテレビを見る機会が増えました。
それから一週間余りが過ぎたころ、台風15号が本土に接近してきました。
わたしが居住している山梨も直撃を受けそうな様子でした。
近所の川の水位が上がっているが気掛かりです。
準備という準備もないので、仕事が終わると「iの研究」の更新に没頭していました。
何故か、妙に心が落ち着いて更新作業に集中することができました。
それでも台風は心配だったので、夜になると頻繁にテレビで進路を確認していました。
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一夜明けて直ぐにテレビをつけてみると、どうやら直撃は避けられたようです。 横浜を通過して東京23区が暴風雨圏に入っていました。 その時点での自室のベランダからの状況が左の写真です。 まだ暗雲が垂れ込めていますね。 |
午後になると空は明るくなり、いわゆる台風一過の青空が出現しました。
台風シーズンには早い時期だったので、ちょっと蒸し暑い陽気でした。
夕方近くなると、雲がほんのり薔薇色に染まりだしました。
南の空です。
青い空がまだ残っています。
雲が徐々に薔薇色になっています。
大分暗くなりました。
白い雲がグレーになり、空全体が紅くなり始めています。
南西の空。
高い雲は薔薇色、低い雲はグレーですね。
その遠近感に眼を奪われました。
夕焼けのクライマックスです。
比較的明るい方角の空を撮りました。
空の青も高さによって色合いが違います。
台風が去った安心感もあって、夕方の一時、鮮やかな色彩の変化を楽しみました。
それから一週間。
NYの惨事です。
又、テレビの前に釘付けになりました。
頭が思考停止のまま、旅客機がビル突き刺さって爆発するシーンを何回も何回も見ました。
撮影地点が違う、アングルが違う映像を飽きもせず眺めていました。
それはいかように想像力を働かせても、その中にある「地獄」が見えません。
青空に、銀色の飛行機が、スラッと伸びたビルを突き破り爆発する映像は、いつまでたっても現実感がありません。
この映像は、過去に絶対に見ているはずがないのに、どこかで見たことのあるような不思議な感覚。
子供の頃、第二次世界大戦の空襲の映像をよく見ました。
それは、恐ろしい映像でした。
それが内包する「地獄」が想像できました。
そこには、カタルシスのカケラもありませんでした。
既にわたしの中の何かが壊れているのか、それともあの映像のシチュエーションが特殊なのか。
何もかもがクリアなあのCGのような映像には、行間がない気がしてしまう。
(現実がCGをシュミレートしていると思ってしまう倒錯は、果たして正気なのか。)
頭が少しずつ冷静になって現場から離れてみると、世界の広さが実感されてくる。
アメリカの常識はアメリカの常識に過ぎず、アメリカの正義はアメリカの正義に過ぎず、アメリカの民主主義はアメリカの民主主義に過ぎない。
テロリストを生み出した広大な地域の常識も、又常識である。
大国が、力と経済でその常識を踏みにじったとしたらどうなるか。
今わたしが考えているのは、そのあたりからです。