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探偵物語(65)


時として、調査すればするほど分からなくなる調査があります。
利害関係がややこしく絡まっていて、奥に行けば行くほど真相から遠くなるような調査です。
今係わっている調査が、それです。
まったく、嫌になってしまいます。
おまけに調査の依頼が弁護士。
刑事事件の弁護資料の調査で、期日までに終わらないと裁判に影響が出ます。

こういう時は、一時調査を中止して、頭をリセットする必要があります。
再度白紙の状態から、違う糸を辿る必要があります。
遠回りでも、結局はそれが最良の方法です。

では、頭をリセットするにはどうしたら良いか。
できるだけ調査とは関係ないことをすることです。
事務所や自宅に居ると、つい考えてしまいますから、どこか出掛けることです。
ということで、わたしは県の秘境と呼ばれる村落に行くことにしました。
一日がかりで、行ってみることにしました。



仕事柄というか資質というか、旅行には滅多に出掛けません。
零細な個人探偵事務所では、来た仕事を逃すと、次がなかなかありません。
それが怖くて旅行に出られず、日帰りのドライブでお茶を濁しています。
優雅な海外旅行などは夢の又夢で、違う世界の話です。
(もっとも、友人にいわせれば、君の頭はいつもトリップしているから旅行など必要ないね、になりますが。)

秘境の村落の近くにある、吊り橋です。
村落はNという村で、この湖(ダム湖)の先にあります。
ここまでK市からクルマで1時間30分余り。
途中からは山道でしたが、舗装はされていて、快適なドライブ。
その昔は大変な奥地だったと思いますが、今は想像の中です。

N村が秘境と呼ばれた理由は、その立地条件と、村が周囲と孤立していたからです。
陸の孤島と呼ぶに相応しい山奥で、周辺とは生活慣習、方言が異なっています。
そこで、(真偽はともかく)平家の落人部落というのが定説になっているようです。
まァ、その村を一目見てみたいというわけで、クルマを走らせてきました。
リセットには丁度良かろう、と思いまして。



湖からしばらく行くと大きな電力関係の建物があり、その先は行き止まりでした。
あれ、村落はどこにあるのだろう。
引き返して湖まで戻ると、道端に観光地図があって、探してみれば、そこから山の方へ登って直ぐが村落でした。
斜面に20戸ほどの集落で、山村の風情はあっても、秘境とはいうほどでありません。
交通と情報が隅々まで発達した今日、秘境を求める方が間違っているのかもしれません。
それでも集落の中心に古い神社があって、村の要(かなめ)になっているのが、今時とは違う感じです。

目的を果たしたわたしは、他に見るべきものもないので、帰路につきました。
途中広場のように開けた場所があったので、クルマを停め、外に出ました。
周りは新緑の山々です。
しばらく山を眺めていると、山の複雑な景観に目が釘付けになりました。

わたしの生まれ育ったK市は盆地で、山に囲まれています。
視線をちょっと遠くに遊ばせれば、否が応でも山が目に入ります。
自分の部屋の窓からも、近くの山が見えて、その景色はお気に入りでした。
あの山の向うには何があるのだろうか、と夢想するのは楽しい時間でした。

少ない経験ですが、学生時代、山に登ったこともあります。
しかし、この今ほど山を凝視したことはありません。
当たり前過ぎて、正視する機会がなかったのでしょか。
樹木が隙間なく生い茂る四方の山々。
見れば見るほど、複雑です。



その複雑さに圧倒されて、しばらくは立ち尽くすしかありませんでした。
何がどう複雑かは、うまく説明できません。
樹木の生命力が山全体を覆い尽くしている。
ただその事実と、緑の生命力の現れ方が、ともかく複雑なのです。

恐らく、山の内部はもっと複雑で、多くの生物や植物が共生、連鎖して一つの世界を造っていると思います。
そんな自明のことに、今更思いを巡らしているのは、現前のビジュアルの複雑さが何ともいえないからです。
この複雑な造形だけは、今も昔もそれほど変わっていないでしょう。
秘境は、観光の秘境になってしまっても、山は複雑さを失っていません。

その昔、山は滅多に入る場所ではありませんでした。
ご神体で、霊が宿る所でした。
何処でもというわけではありませんでしたが、山は複雑な場所でした。
地方によっては、山は治外法権を有していて、無宿者や犯罪者の逃げ込む場所として機能していました。
そういう場所が、恐らく共同体、社会には必要だったのです。

わたしが感動しているビジュアルの複雑さとは別に、山は複雑でした。
考えてみれば、人間社会は錯綜していますが、糸を手繰っていけば、案外単純です。
わたしの職業経験からいえば、そうです。
複雑ではなくて、ややこしいだけです。
利害やら何やらで、ややこしいだけです。

そのややこしさは、人間の本性かもしれません。
ややこしさを緩和したり解消したりするために、法律なぞがあるのかもしれません。
そう思うと、昔の人は知恵があったとしかいいようがありません。
どういうことかといえば、人間同士のややこしさに山の複雑さを介入させたからです。



突然の紅葉ですが、これは昨秋撮影した画像です。
場所も違いますが、改めて見てみると、やっぱり複雑な光景です。

話を戻すと、人間社会のややこしさに対して山の複雑さは、スケールが違います。
万物が連なり、異界や霊界とも繋がっています。
その大きな世界にややこしい人間社会を組込んで、ややこしさの卑小を知らしめ、中和してしまいます。
そういう奥深さとスケールが、山の複雑さにはあります。
それは後世信仰と呼ばれる考え方ですが、やはり知恵だと思います。
山を征服する対象として見た時、残念ながら、その知恵は消えてしまいましたが。

わたしの頭がリセットされたかどうか、不明です。
ただ、この案件のややこしさは大したことないな、と思い始めたのは事実です。
ややこしくしているのは人間ですから、枝葉の削ぎ方さえ間違わなければ、案外シンプルな道筋が見えてくるはずです。
三島由紀夫の小説に『複雑な彼』がありますが、本当に複雑なのは彼ではなくて、彼の周りの山や海です。
彼は、ややこしいだけです。