正方形の写真を眺めていると、横よりも縦が長いように見えます。
もちろん錯覚ですが、わたしの眼にはそう映ります。
正方形、つまりアスペクト比(縦横比)が1:1の写真は珍しいものではありません。
中判の一眼レフや二眼カメラなどでは、よく使われるフォーマットです。
わたしはその辺りのカメラには詳しくありませんが、正方形の写真は見た憶えがあります。
特にモノクロームのポートレイトに、正方形が多かったような記憶があります。
わたしの撮った、正方形の写真です。
カメラは、中判フィルムカメラではなく、コンパクトのデジタルカメラです。
1000万画素を超えたコンパクトは、機能の競争に突入していて、正方形が撮れるカメラも市販されています。
ま、そのカメラがたまたま手許にあったので、撮影した次第です。
正方形は構図が難しいと聞きましたが、馴れるとさほど気になりません。
思い出してみれば、二年ほど前に16:9というアスペクト比のコンパクトを手にしたことがありました。
その時も物珍しさで、横長の16:9で盛んに撮影しました。
新奇に弱い体質は、なかなか直らないものですね。
ちなみに、16:9はハイビジョンのアスペクト比です。
一般に、写真もテレビも映画も絵画も、窓です。
風景なり情景なりを、切り取る(切り取った)窓です。
その窓の縦横比は様々で、従来のテレビやパソコンモニターは4:3の比率ですが、最近は16:9と16:10が主流になっています。
前者はハイビジョン、後者はワイド画面のパソコンモニターで、後者の16:10は黄金比率です。
テレビの4:3は、映画のスタンダードサイズからの流れで、元はエジソンが適当に決めた比率です。
さしたる根拠があるわけではないようです。
黄金比率も、それがベストの縦横比ではありません。
美しい縦横比の一つ、と考えた方が良いと思います。
映画のアスペクト比にも流行りすたりがあって、一時は超ワイドのシネマスコープが盛んでした。
今はそれよりも横が短いビスタサイズが主流のようです。
巨大スクリーンでワイドの、70mmとかシネラマが注目を集めた時期がありました。
両者ともスクリーンの大きさから上映館が限られていて、シネラマでは、今はなきテアトル東京が有名でした。
京橋の藍画廊の斜向かいにあって、わたしは『2001年宇宙の旅』、『大地震』などを見ました。
当時としては珍しい全席指定でした。
絵画のキャンバスにも、規格のアスペクト比があります。
縦横比の小さい順に、F(人物)、P(風景)、M(海景)で、S(スクウェア/正方形)もあります。
一つの目安ですから、PやMに人物を描いても構いませんし、抽象画に於いては、規格は比率以外の意味はありません。
現代美術では、S(スクウェア/正方形)を使った作品が多くあります。
話を正方形に戻すと、わたしたちが最も眼にした正方形の画面は何でしょうか。
それは、レコードのジャケットではないでしょうか。
直径30cmのレコードを収めたスリーブ、LPジャケットです。
LPジャケットは単なる内容の表示、包装紙ではなく、それ自体が表現でした。
音楽と画像の幸せな蜜月、それがLPレコードの時代です。
跡を継いだCDのスリーブも、12cm角の正方形です。
しかし音楽と画像の親しさは、LPに及びません。
やはりあの、30cmという大きさが、音楽と張り合うには必要だったのかもしれませんね。
時代はデジタルデータのダウンロードに移りつつあります。
今は正方形のジャケット画像も(iTunes Storeなどでは)一緒にダウンロードされますが、これは過度期だと思います。
いずれは正方形に囚われない、自由なアスペクト比の画像が、音楽とコラボレーションするに違いありません。
写真もテレビも映画も絵画も、窓です。
外界を切り取った窓ですが、見方を変えれば、内面の世界を映し出す鏡です。
例えばテレビ、あの画面にはわたしたちの欲望や願望、喜びや悲しみが投影されています。
そのあからさまな喚起と短絡に辟易しながら、それでも見続けることを止めません。
正方形の写真。
この形が特別だとは思いませんが、横長の画面を見慣れた眼には、ほんの少し新鮮です。
窮屈なようでいて、焦点の定まりが良い。
だから、ポートレイトの写真が多いのでしょうか。
(わたしの記憶と実際が必ずしも同じとは限らないので、単なる思い込みかも知れません。)
この端正な鏡は、風景に仮託して、わたしの何を映し出しているのでしょうか。
欲望や願望、喜怒哀楽。
あるいは、それらの間にある微妙な感情。
もしくは、情感が立ち上がる瞬間の、何かなのでしょうか。