それは一昨日(7月25日)のことでした。
昼過ぎ、西荻のアパートの近所でお茶を楽しんだ後、画廊に向かうため駐車場まで歩き始めました。
しばらくすると大粒の雨が降り出してきました。
あっ、これはクルかな。
自然と足が速くなりました。
幸いなことに,それ程濡れずにクルマまで辿り着き、すぐにエンジンをかけて走り出しました。
雨が激しくなったのは、新宿辺りからです。
新宿駅南口の横断歩道です。
阪神大震災の光景を思い出しません?
グニャ〜と景色が歪んでますね。
震災直後の神戸の街は、平衡感覚が狂ってしまうほど歪んでいたそうです。
この写真は、クルマのフロントガラス越しに撮ったものです。
もちろん、赤信号で停止している時にです。
フラッシュを発光させないために、できるだけガラスに近づけてシャッターを押しています。
ですから、ファインダーは覗いていません。
激しい雨とフロントガラスがシュールな世界を現出しています。
渋滞の名所が、奇妙な静けさにつつまれています。
同じ場所です。
信号が変わって、歩行者が渡り始めました。
何となく絵画のようですね。
写真をもとにした絵画のようです。
真中の黄色い傘の女性の足が明るいのは、わたしのクルマのライトの所為です。
この辺りの不自然さも、写真的絵画に似てますね。
ここは、どこだったのか憶えていません。
新宿通りの四谷近辺だと思いますが。
このカットは、サイドウインドウから撮ったような気がします。
ますます絵画に近づいてますね。
ガラスの水滴が平面性を強調しているからでしょうか。
写真より写真らしい絵画がハイパーリアリズムでした。
不自然なくらい、隅々までピントがあっていました。
あれは70年代でしたね。
その後、写真を意識した写真的絵画は逆にピントをずらす方向に向かいました。
例えば、ゲルハルト・リヒターです。
これも、同じ場所です。
信号待ちの間に雨が一層激しくなりました。
少し、抽象絵画に近づきましたね。
信号やクルマの尾灯の赤がアクセントになっています。
信号は燃えているかのようです。
さて、ここまでくると浜田涼さんの作品まで後一歩ですね。
方向は違うが、渡辺寛くんの作品までも後一歩。
ま、クオリティが全然違いますし、わたしのは単なる遊びですから、「後一歩」というのは失礼にあたります。
お許し下さいね。
景色に対する認識が、絵画に対する認識が、「後一歩」という意味です。
過去を振り返ってみれば、印象派の認識にも「後一歩」かもしれません。
(その「後一歩」が、実は千里万里なのですが。)
激しい雨が街を洗い流した後、うっすらと差した光は輝いています。
街に残った水滴が光を反射してキラキラしています。
夏の日の午後、この一瞬は何かの始まりのようでちょっとワクワクします。