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「探偵物語(56)」


街を歩いていると、街の主人公には道を譲らねばなりません。
郊外では尚更、主人公に従わねばなりません。
主人公とは、クルマです。
東京などの大都市を除けば、街の主人公は、人ではなくクルマです。

わたしのクルマは商売道具の一つですが、オフの時はできるだけ乗らないようにしています。
徒歩か自転車を愛用しています。
運転の楽しさも知っていますが、風景を感じるには、徒歩か自転車に限ります。
鬼門の真夏以外は、日中はどの季節も快適な移動を楽しめます。

K市に探偵事務所を開業して数年後、ある失踪者の所在確認の依頼がありました。
失踪者は48才の男性で、一家の長でした。
小規模の繊維問屋の経営者で、ある日突然の失踪です。
(失踪とは、大概ある日突然なのですが。)
家族にも従業員にも心当たりがなく、途方に暮れて、妻が探偵事務所のドアを叩いたのでした。

もちろん、依頼以前に警察には届けが出ていました。
しかし事件性のない失踪なので、警察も一通りのことしかしてくれません。
まァ、警察もそれなりに忙しいのです。

男は、クルマで失踪しました。
所持金は、推定数万円。
預金等が下ろされた形跡もなく、カード類の入った小物入れは、自室の机の上に置きっぱなし。
いわば、身一つで失踪しました。


わたしは定石通り、仕事関係と交友関係を洗いました。
繊維問屋の経営は芳しいものではありませんでしたが、切羽詰まった資金繰りでもありません。
取引先とのトラブルはなし。
銀行との関係も問題なし。

交友、主に女関係ですが、これもさしたる収穫はありません。
念を入れて男関係も洗いましたが、こちらも反応はゼロ。
親戚、友人に聞き取りをしても、首を傾げるばかり。
失踪するような動機、トラブルが見当たらないのです。

許可を得て、失踪した男の机も調べました。
日記やメモの類いもなく、あったのは商売用の手帳だけ。
これにもプライベートな記述は一切ありません。
お手上げです。

実はこの調査、成功報酬の契約がありました。
失踪人の所在を確認したら、調査費用以外に謝礼が支払われるという取り決めです。
簡単に諦めるわけにはいきません。
わたしの事務所の経営も、さほど芳しいものではありませんでしたから。



手を尽くして男の行方を探しましたが、手掛かりが掴めません。
半年後、調査を一旦打ち切り、報告書をまとめて家族に説明をしました。
男からの連絡や、男に関する新たな情報があれば、直ちに調査を再開することを約して了解を得ました。

それから更に一年、失踪と同様に、ある日突然に男は帰宅しました。
家族からの連絡で、わたしは男の許を訪ねました。
男はなぜ失踪し、何処にいたのか。
今後の調査の為にも、それだけは知っておきたいからです。

男は軽く頭を下げ、「ご迷惑をおかけしました」と詫びの言葉を述べて、こちらの質問に応えました。
男にとって、失踪は恥じるような事柄ではないらしく、幾つかの問いに淀みなく答えが返ってきました。
失踪の動機は、ただ単純に、あくせくした生活と煩わしい人間関係からの逃避でした。
繊維問屋の経営は傍目で見るよりも神経をすり減らし、仕事と人間関係の何もかもが嫌になり、発作的に失踪したようです。
子供が成育して手を離れたのも、念頭にあったそうです。

男はクルマで日本各地に行っていました。
一ヶ月ほど働いて、数ヶ月は何もせずの繰り返しで、車上生活を楽しんだようです。
苦労したのは駐車場所で、水場とトイレが近くにあって、職質を受けない場所。
それを探すのに、一番苦労したそうです。
男は、旅の途中で野良犬を拾い上げ、一緒に生活して、一緒に帰宅しました。



今思い出すと、男の話にはクルマ生活の自由が感じられました。
好きなときに、好きな場所に速やかに移動できる。
誰の干渉も受けない、個人の自由な移動が体現されていました。
先を深く考えない能天気さと、住所不定の不便さを併せ持っていたとしても、それは確かに自由でした。

クルマは、もともと個人主義を象徴する乗物でした。
発祥はヨーロッパでしたが、広い大陸のアメリカで普及したのも、彼の地の個人主義と相性が良かったからです。
アメリカ文化の影響下にあった日本人のクルマ観も、個人主義への憧れが濃厚です。
束縛を嫌って探偵に成り下がった、西海岸の物語(ハードボイルド)には、クルマが付き物です。
生きていくのに、自分の自由な足だけは欠かせないからです。

しかし、それも過去の話です。
クルマや、それを運転する許可証である免許証は、管理の道具として機能しているからです。
路上のクルマとドライバーは、自らを明らかにするIDをぶら下げた、物体と人間です。
官庁のネットワークで照会すれば、たちどころに氏素性が判明します。
これほど便利な管理の道具はありません。

失踪した男が事件絡みであれば、交通Nシステムによって、移動経路が判明します。
Nシステムとは、主要道路に設置されたナンバー読み取り装置です。
(同時に運転者と助手席も撮影されます。)
この記録を辿っていけば、クルマが何処から何処に何時移動したか推測できます。
移動の自由は保証されていても、移動の過程は権力に筒抜けです。

もっとも、徒歩や自転車が管理の網の目から見逃されているわけではありません。
各所に取り付けられた防犯ビデオカメラによって、その移動は記録されています。
自由や個人主義は、透明な檻の中で保証されているのです。



男が失踪に使ったクルマ、誰もが乗用車だと思ったでしょう。
わたしも、最初はそう思いました。
実際は上の画像のような幌付きのトラックです。
(もちろん、使用している画像のトラックやクルマは本文と関係のないものです。)
問屋の配送に使っていたトラックで、失踪しました。

失踪後は、主に荷台を生活の場にしていました。
考えてみたら、トラックは最も簡易なキャンピングカーかもしれません。
断熱には段ボールを利用し、幌の天井を開閉できるように工夫して、夏は夜空を眺めながら寝たそうです。
簡単な煮炊きもカセットコンロでこなし、風呂は銭湯に通う。
トラックを使って運送の仕事を請けたこともあったそうですから、何とも生活力のある失踪人です。

帰宅後、男は元の生活に戻りました。
失踪で英気を養ったせいか、以前よりも元気に仕事をしていると聞きました。
男の束の間のロマンは、今の世の中では通用しません。
管理の網の目は、あの当時とは比べ物にならないくらい精緻になっています。
世間の目も、余裕がなくなっています。
路上に自由など期待できない世の中に、なってしまったのです。

男とクルマの幸せな一時(家族にとっては不幸な一時)は、ほんの少し前の過去に過ぎません。
時代は、思っている以上に速く流れています。