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「探偵物語(55)」


カーテンを開けると、外の視界がハッキリしません。
中途から白い世界が拡がり、遠くは景色が消えています。
霧です。
霧が、十二月の朝を覆っています。

今日は休日。
予定もないので、ゆっくりと朝食を採りました。
コーヒーカップが空になると、思い立って、カメラを手に散歩に出掛けることにしました。
霧の風景を撮ってみようと思ったからです。



外に出ると、霧は先程より晴れています。
それでも遠くの景色は白く霞んでいます。
近くの川に出ると、土手に沿って歩き始めました。
歩き慣れた道が、少し違って見え、何気ない景色にもカメラが向きます。

冬の河原は茶色の世界で、地味な風景です。
それでも、所どころにハッとするような色が混じっています。
色に触発されて形を見れば、その多様なフォルムに、再び感嘆します。



途中の橋を渡り、川向こうの大きな会社の敷地を一周して、今度は対岸沿いの道で戻ることにしました。
その頃には、霧はすっかり晴れていて、雲間から陽も射してきました。
住居の近くのコンビニで買物をし、時計を見たら一時間半が経過。
普通に歩けば三十分ほどの道のりです。
随分と時間をかけて歩いたものです。

住居まであと少しという所で、声を掛けられました。
振り返るとユニフォーム姿の女性が立っています。
「失礼ですが、この近所にお住まいですか」。
年の頃は、六十歳前後。

「そうですが、何か」と答えると、一呼吸置いて「探偵をなさっていると聞きましたが」。
「ええ、そうですが、何かご依頼ですか」と再び問えば、「実はお願いがあります」。
女性はわたしのことをコンビニの店員から聞いたようです。
というより、店員同士の会話にわたしの話題が出て、それをたまたま聞いたようです。

このコンビニはいつも利用していて、店員とも顔馴染みでした。
いつか思わぬ場所で顔を合わせて、店員に問われるままに職業を話したのでした。
女性は電気のメータ検針を仕事にしていて、この辺りが持ち場でした。
女性は、寂しそうな顔立ちをしていました。
若いときには美人だったと思われる顔立が、とても寂しそうでした。



女性の依頼は人探しでした。
探偵事務所に赴(おもむ)くほど度胸もなく、コンビニでの会話から、とっさにわたしの後を追いかけたようです。
「立ち話も何ですから、後日事務所にお出でいただけませんか」とお願いすると、女性は「かしこまりました」と頭を下げました。
わたしは小さな散歩用バッグから名刺を取り出し、事務所の場所を説明し、予め電話をいただけるよう念を押しました。

数日後、女性は事務所にやって来ました。
派手ではないが地味でもない、その服装と薄化粧が、かえって寂しさを際立たせていました。
探す人は、女性の妹でした。
実の妹ではなく、異母姉妹でした。

女性の生い立ちはかなり複雑で、両親は愛人関係でした。
有体にいえば、母は妾でした。
父という人は、正妻以外に二人の愛人を持ち、それぞれに一子をもうけていました。
正妻にも二人の男子がありましたから、女性の異母兄弟は四人になります。
正妻の子供とは面識がありましたが、虐められて、疎遠になったそうです。
女性が探しているのは、もう一人の愛人の子供です。

女性の母は数年前に他界し、二十年前に離婚した女性には子供がありません。
母方の親戚とも縁が薄く、女性には身寄りがほとんどない状態です。
探している妹と一度だけ会ったのも、四十年前以上で、そのとき妹は幼児でした。
手掛かりは、女性が三十年ほど前に訪れた記憶のある、妹の母の勤めていた商店です。
その商店も、今は跡形もありません。

道筋は三つです。
四十年前に妹と会ったという、異母の住まい。
廃業した商店。
それから、父の家からの情報。

わたしは何とかなると、思いました。
例によって、精一杯努力しますがご期待に添えない場合もあります、と断りを告げ、調査費の説明に移りました。
この時、わたしは通常より低い費用を設定しました。
それは同情というより、女性の寂しげな表情が、そうさせたのです。
多分、他人事でない何かを、そこに感じたからです。



わたしの目論見は、外れました。
道筋は三つとも、途中で切れていて、その先は霧の中です。
女性の父と正妻の死去は聞いていましたが、跡を取った息子や親戚は、この件に関しては何も知りませんでした。
わたしは作戦を変えました。
幸いにして異母の姓がありふれたものではなかったので、電話帳や各種住所録を頼りに、片端から当たってみることにしました。
大都市では無効な作戦ですが、地方都市では案外有効です。
一点突破できれば、ゴールが見えてきます。

わたしは、女性と会ってから、血縁についてずっと考え続けています。
血縁とは何だろうか。
そのことを考え続けています。

わたしの両親は、その当時の常として、多くの兄弟がいました。
つまり、わたしには多くの叔父叔母がいます。
兄弟は弟一人ですが、血縁には恵まれている方でしょう。
幼少の時期は、叔父叔母、従姉妹が周りにいて、それが一つの世界を形成していました。

長ずるにつれて、血縁は鬱陶しいものなり、特に上京後はその感が強くなりました。
都会の中でスマートに生きる、生きたい。
そんな願望にとって、血縁はマイナス以外何ものでもありませんでした。
地方特有の距離間のない関係と、今でも幼少期のわたしのイメージを捨てずに接する親族が、とても恥ずかしかったからです。

探偵事務所の調査には、血縁が絡んだものが数多くあります。
就職して仕事を任されると、愛憎を顕にした人間関係を目(ま)の当りにするがありました。
今回のケースのような人探しもあれば、骨肉の争いの只中で調査することもありました。
しかし、深く感じるようなことはありませんでした。

女性の寂しさに感応したのは、やはりわたしが歳を取ったせいでしょう。
行く末が見えてきて、己を振り返ざるを得なくなったからだと思います。



血縁とは、最も基本的な共同体です。
学校で、そう教わりました。
このことは歴史的な事実ですが、血縁の関係(の濃淡)や伝承は共同体によって多少異ります。
これを勉強するとかなり面白いのですが、ひとまず置いて、縁について考えてみます。

血縁が濃密な関係なのは、運命共同体という認識があるからです。
まずその認識があった上に、単純に、一緒にいる時間が多い。
共同生活はもとより、親族とは何かと付き合いが多いものです。
特に幼少期の血縁との関係は、精神的な強い繋がりになります。
(逆にそれに齟齬を生じると、トラウマになります。)

ほとんど一緒にいる時間のなかった血縁とは、想像上の縁です。
それがどんなに近い血縁であっても、本来の縁(の関係)ではありません。
もしその人の訃報を聞いたとしても、親しい血縁が亡くなったときの悲しみは、そこにありません。
想像上の、悲しみがあるだけです。

女性は、いつか妹と再会したいと願っていました。
しかし同時に、妹はそれほど(自分ほどは)再会を願っていない、という恐れもあったはずです。
願望と恐れの間で揺れ動き、容易に行動が起こせませんでした。
もし恐れが現実となったら、女性が傷を負うことは必死だからです。

縁が(遥か昔まで遡る)大きな物語を担い、その一環として人が生きていたのは前近代です。
登場人物がどこまでも縁で繋がっている、歌舞伎のおどろおどろした世界は、その象徴です。
近代になると、縁の物語は徐々に姿を消していって、小さな家族が主流になります。
いわゆる家制度の崩壊で、その先に核家族が生まれました。
縁(えにし)ではなく、愛(LOVE )が新たなドラマのテーマになったのです。

女性の身の上は、昔だったら、物語になりました。
もちろん今でも物語ですが、それは小さな物語です。
家族崩壊が当たり前の、当世ですから。

女性が縁を取り戻すかどうかは、再会後の関係次第です。
想像上の縁が本来の縁になるような、親しい関係を築けるかどうかです。
通常とは逆の形で、縁を結べるかどうか。

探偵の分際をわきまえない余計なお節介ですが、わたしはそうなることを願っています。
LOVEだけが人間関係の接着剤ではないはずです。
縁という、摩訶不思議な接着剤も、捨てたものではありません。
そこから、新たな物語が始る可能性だって、無きにしもあらずです。

まずは、女性の妹を探すことです。
そう、わたしの仕事です。
第二の作戦が実を結ばなくても、第三の作戦があります。
こう見えても、わたしの引き出しは一つや二つではありません。
何としてでも、探し出してみるつもりです。
霧の向こうには、何かがあるはずです。