近代オリンピックの有名な標語といえば、「より速く、より高く、より強く」ですね。
これを日本の戦後近代化に当てはめると、新幹線(速く)、東京タワー・霞が関ビル(高く)、経済成長(強く)になるか思います。
見事に標語と近代化がシンクロしています。
今から考えれば、「より速く、より高く、より強く」には大きな弊害もあったのですが、その当時は夢中でした。
夢中だから、その意味をよく考えませんでした。
しかし、「より速く、より高く、より強く」の意義とは一体何でしょうか。
ローカルな風景です。
山梨県甲府市の甲府駅北口の風景です。
久しぶりに甲府市内をブラブラしていたら、いつの間にか高層ビルが建っていました。
後日調べたら、竣工されたばかりの25階建てのマンションでした。
25階。
超高層ではありませんが、イナカではダントツの高さで、ご覧の通り目を引きます。
場所は寂れた商店街がある住宅地で、駅に近いわりには静かな所です。
駅北口の再開発に便乗した形で建てられたようです。
その日は時間がなかったので、改めて25階建てマンション撮影の為に出掛けました。
上は甲府駅北口の風景です。
駅から見て25階建ては右方向(東方向)にあり、上は正面(西方向)にあたります。
甲府駅の表玄関は南口で、昔から北口は取り残された一帯でした。
商業地域や主要施設(県庁、市役所など)はすべて南口にあり、北口は武田神社へのアクセスに便利なだけでした。
チラホラと高層集合住宅やホテルが建ってますね。
恐らく中央奥のピンクの集合住宅が、25建て以前の県内一の高層ビル。
18階ぐらいでしょうか。
都市部では18階といえば中層ですが、イナカでは立派な高層です。
イナカは、地価が安い上に一戸建て信仰が強く、高層商業ビルも需要がありません。
そんなわけで、25階というのは充分にサプライズな高さなのです。
日本で最初の高層ビルといえば、36階建ての霞が関ビル。
1968年のオープンです。
ビールの年間消費量を、霞が関ビル何杯分という喩えがありました。
今なら東京ドーム何杯分ですね。
それほど、霞が関ビルは高層(大容量)の代名詞でした。
当時のテレビドラマに『37階の男』というのがあって、霞が関ビルが舞台でした。
主演は中丸忠雄で、36階の上のペントハウスに住んでいるという設定でした。
ビルの階数がタイトルになったくらい、「より高く」は日本人の願望でした。
その数年後に、新宿西口に47階建ての京王プラザホテルが建ち、今日の新宿高層ビル群の先駆けになりました。
間近で見た、25階建てのマンションです。
デザイン的には、特に特徴もありませんね。
周りに高い建物がないので、唐突にそびえている感じです。
一階にコンビニが入居していて、二階にはフィットネスクラブがありました。
このマンションのセールスポイントは、やはり眺望でしょうね。
甲府市内を一望できる眺めです。
(公式サイトを見ると、コンセプトは上質で豊かなタワーライフと謳っています。)
わたしは多くの人同様、高いところからの眺めが好きです。
京王プラザ、サンシャイン60を初めとする幾つかの超高層ビルの展望台にも上っています。
小さい頃からビルの絵を描くのが好きで、古くさい伝統から切り離された造形が好きでした。
昔のわたしでしたら、直ぐにでも住みたいマンションです。
高所からの眺望は、いってみれば非日常的な眺めです。
これが日常になったらどうなるか。
高層マンションに住んでみて、当初の感動がいつまで続くか。
素晴らしい眺めは、時間の経過と共に単なる空間に変わってしまわないだろうか。
こんな疑問が湧いてきました。
そんな折り、たまたま画廊で超高層マンションに住む知人と会いました。
一度お邪魔したこともある、勝鬨橋の50階建てマンションの最上階に住む知人です。
疑問をぶつけてみました。
眺めは、やはり素晴らしいそうです。
夕暮れ時や早朝などの景色は、感動を覚えるそうです。
ただし毎日ではなく、そのような天候と機会に恵まれた時に、眺めの良さを実感するそうです。
知人の50階の部屋は、お台場方面に向いています。
東京湾やレインボーブリッジなどが一望できるロケーションです。
日本でも有数の眺め、といっていいでしょう。
一方甲府の景色や夜景も、そう悪くはありません。
初めて見れば、その眺めに感動するでしょう。
いずれにしても、入居時の感動が過ぎれば、眺めの良さを感じるのは時々になりそうです。
一方で、高層マンションには欠点もあります。
それは、外に出るのが億劫になることです。
何せ高速とはいえ、エレベーターをその都度利用しなければならないからです。
知人もその点は認めていました。
新聞や郵便も一階まで取りに行かなければなりません。
ちょっとそこまでは、確実に減ります。
どうしても、部屋に閉じこもる時間が多くなります。
これは25階の、ついでの画像です。
同じ甲府駅の南口に建った大型マンションの、パーキングタワーです。
モノリスのような造形で、このような形に出会うと、ついレンズを向けてしまいます。
このマンションの真ん前に、わたしの育った二階建ての家がありました。
今は空地になっています。
わたしの部屋は二階で、東向きの窓から遠くの山や建物を見ていました。
マンションの建っている場所は、貨物駅でした。
その昔の貨物駅には牛馬の運送もあって、飲食店を営んでいた両親は、蝿が来て困ったそうです。
わたしの記憶は、深夜に響く貨物車の連結する大きな音。
泊まりに来た従姉妹がビックリしていました。
タワーの手前は、昔からあるカメラ屋の住居と物置で、その向こう側は広い空地でした。
その当時の常で、近所の子供とよく野球に興じました。
打ったボールがカメラ屋の住居の庭に飛び込んで、再三怒られたのも憶えています。
このカメラ屋も近々に建替えるそうです。
昔話はさておいて、「より速く、より高く、より強く」。
近代オリンピックの理念は失墜しましたが、標語はまだ生きているようです。
新幹線はスピードを更新し、都心では競うように高層ビルが建築されています。
グローバリズムの中で勝ち抜く経済も希求されています。
こういう社会に生きていると、やはり疲れます。
怠け者のわたしが疲れるくらいですから、バリバリの方はもっと疲れるでしょう。
いうまでもなく、「より速く、より高く、より強く」とは競争のことですから、当たり前です。
夢中で競争していた時代は幸福でしたが、今はどうでしょうか。
個人的なことをいえば、もういい加減に自分の足をしっかり地面に着けたいな、と思う今日この頃です。