わたしは今、森にいます。
ウォールデンの『森の生活』を気取っているわけではありません。
仕事です。
ネコの探索です。
今や、ネコの探索はわたしの生活を支えています。
人間社会の調査だけでは操業が不可能で、ネコで何とか月を越している状態です。
数カ月前、ネコの雑誌(人間が作っているネコの雑誌です)でわたしの事務所が取上げられました。
ネコ探索の名探偵という見出しで、ネコを抱いている写真入りで紹介されました。
それ以降各地から問い合せが増えましたが、遠方は断わっています。
探索には最低数日は要しますので、出張費(交通費、宿泊代)がバカにならず、費用面で折り合わないからです。
ネコの探索は気楽で、人間関係の複雑な澱(おり)のようなものに無縁です。
性にも合っています。
収入も、まぁ悪くありません。
それでもやはり、探偵を志した初心は忘れていません。
社会のことを深く知りたい、という初心です。
少しずつ軌道修正していって、ネコの探索に頼らない探偵業にしたいと思っています。
依頼は近県在住の夫婦からで、ここダイナマイトシティの森林公園でネコを見失ったとのこと。
夫婦はネコ同伴で一泊旅行に出掛け、森林公園でバーベキューを楽しんでいる隙にネコが逃げました。
森林公園の駐車場にクルマを停め、ネコは車中に残してきました。
移動用のケージに入れ、暑さ対策で窓を半分開けておいたのが仇となりました。
ケージのロックが何かの拍子で外れていたのです。
クルマに戻ってネコがいないことに気付き、暗くなるまで探したのですが、発見できませんでした。
帰宅してから、雑誌に載ったわたしの事務所を思い出し、翌日依頼があった次第です。
この森林公園は川沿いにあって、元々は洪水を防ぐ保安林でした。
相当な広さで、森林公園になってからは六つのセクションに分けられています。
セクションごとに、さくらの森やどんぐりの森、スポーツの森などと名付けられています。
ネコが逃げ出したのはその一つのセクションで、ここだけでも結構な面積があります。
逃げた駐車場はほぼ中央にありますので、このセクションに絞って探索を始めました。
休日は市民で賑あう森林公園も、平日とあって閑散としています。
駐車場にはクルマが数台停まっていましたが、犬の散歩の人か営業マンが休憩で来ているだけでした。
丹念に歩いてネコが潜伏していそうな場所を探しましたが、見当たりません。
街中の公園と違って、ここは近所の人が日常的に憩うような公園ではありません。
ロケーションとしては農村地帯といっていい所で、近所の人が徒歩で来るような公園でもありません。
つまり、休日はともかく、平日は圧倒的に人が少ない公園なのです。
特にこのセクションは静かで、日常的にネコに餌をやるような人は皆無です。
この公園の中にはネコはいないな、わたしはそう結論づけました。
わたしの勘です。
ネコはペットですから、人なしでは生きていけません。
人間の匂いのする所でしか生きていけません。
だとしたら、公園の付近の人家周辺の方が可能性があります。
公園のベンチを見つけ、わたしはしばし休憩することにしました。
木陰を歩いていても、この季節の湿気は体力を奪ってしまいます。
自販機で飲料を購入し、ペットボトルのキャップを開けながらベンチに腰を下ろしました。
この森林公園は人間の手で造られました。
公園という以上、当然ですね。
わたし達は、このような場所で「自然」に触れる一時を過ごします。
もし自然の定義が「人間の手が入っていない場所」であれば、地球上にはほとんど自然がありません。
どのような形であれ、あらゆる所に人間は関与しているからです。
ですから、カッコ付きの自然になってしまいますが。
以前読んだ本に、人類の歴史のうち90%は狩猟採集の時代だったと書いてありました。
狩猟採集とは、動物を狩って、植物を採ることです。
農耕、牧畜以前の生活形態で、人は森に住んでいました。
その当時、陸地の多くの部分は森林で、森林は人にとって世界そのものでした。
森林には神々や精霊も住んでいました。
農耕、牧畜とは、森林を畑や家畜の飼料である牧草に変えることです。
つまり、文明化です。
文明化によって森林面積は激減し、それに伴って気候も変動し、今日のアフリカや中国の大砂漠が生まれました。
元は緑豊かな森林だったそうです。
その本には、もっと興味深いことも書いてありました。
人類の祖は海から来たという説がありますが、海を出た因は、陸地に最適な環境が生まれたからです。
地球の誕生と人類の誕生が同じでないことは当たり前ですが、人類の誕生には、まず地球に環境が必要です。
環境があって生物は出現するのであって、その逆ではありません。
その環境とは、森林です。
わたしの生半可な知識では上手く説明できませんが、おおよそのところ、人類誕生の環境は森林にあったようです。
そのような意味でも、森林は世界であったのです。
いわゆる環境問題とは次元の違うところで、人にとって森林とは環境だったのです。
仕事(ネコ)のことを忘れたわけではありませんが、わたしの思いは遠いところに行っています。
言い訳ではありませんが、休憩とは仕事から離れることで、気分転換には遠い思いが最適です。
わたしの場合は、ちょっと極端かもしれませんが・・・・。
空のペットボトルを抱えてベンチを立つと、わたしは公園の外周を歩くことにしました。
外周の人家の状態を見て、ポイントを絞る作戦です。
予想通りにいけば、ネコは人間の様子を窺いながら、物置のような建物に潜んでいるはずです。
探偵物語(46)に続く