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名古屋


Yくんが亡くなってから二年半になります。
Yくんは美術家で、藍画廊を中心に活動しました。
その早すぎた死は残念という他ありませんが、彼は心に深く届く作品を残しました。

Yくんの墓は、生まれ育った名古屋にあります。
春にはと思っていた墓参でしたが、梅雨のさなかに、やっと名古屋に行くことができました。
山梨からだと中央道で三時間半、日帰りも可能な距離ですが、ご両親と夕食がてら語るべく名古屋泊としました。

前回、展覧会用の作品の拝借と墓参りの時は、老舗店のひつまぶし(鰻料理)をご馳走になりました。
今回は、Yくんとお父さんがよく通ったという、どて煮の店に行くことにしました。
どて煮とは、名古屋名物で「八丁味噌の煮込みおでん」のようなものです。
鍋に八丁味噌を主体とした汁を作り、その中に豆腐やスジ肉、大根、卵、はんぺんなどを串に刺して煮詰めます。
鍋の中は濃度の高いグツグツで、そのジャンクフード的雰囲気が食欲を大いにそそります。

ここでどて煮の話は一旦中断して、宿泊ホテル周辺について書いてみます。
前回は某有名チェーンのビジネスホテルに飛び込みで泊まりました。
しかし何ともお粗末な部屋の造作と朝食で、これに懲りて、少しランクが上のビジネスホテルにしました。
場所は名古屋の中心の栄地区で、歓楽街の錦(にしき)の外れです。

カメラを持参した名古屋行きでしたが、撮影の時間がほとんどなく、10カットほどしか撮れませんでした。
上の小さな画像は、朝撮影したホテルの窓からの風景。
どんよりした梅雨空とホテルの諸設備と近くのビルが写っています。



看板の「巴里(PARIS)」とはヘルスクラブで、ホテルの真ん前にありました。
夜はネオンがそれなりに魅惑的でしたが、朝の撮影ではどうということもありません。
このヘルスから右方面が歓楽街で、和服のおねーさんやタキシード着用の客引きお兄さんが多数道路に出てました。
左方面はガラッと変わって、繊維関係の問屋街です。
その間にホテルがあります。

上は朝食後にホテル周辺を散策した時のカットですが、都内とあまり代わり映えしない風景が続き、ご覧いただけるような画像がありません。
その代わりといっては何ですが、名古屋の野良ネコの画像を二枚掲載します。
Yくんのご両親宅の前と隣家の駐車場で撮りました。
二匹とも美形で、名古屋のネコの美的水準の高さを見せつけられました。
どて煮の話とはまったく関係ない画像ですが、名古屋の収穫ということで・・・・。

さて、どて煮です。
お店は北区の平安通りにありました。
下町的雰囲気の地区で、お店の周りは住宅街です。
そこにポツンと小さなお店があって、どこの町にもありそうな構えの、大衆料理酒場です。



一匹目です。
野良とは思えない、立派な容姿です。
毛足の長さからすると、ペルシャ系の血が混じってますね。
Yくんのご両親宅に、十日ほど前から現われるようになったとか。


店に入ると、カウンターが十席、ボックスが二つ、奥に座敷が少々。
カウンターに座って、まずは生ビールで乾杯。
梅雨時のビール、美味いですね!
それから枝豆、どて煮の数々と注文を重ねました。

話は自然とYくんの思い出話。
ここはYくんのお父さんが独身時代から通っていた店で、当時は屋台だったそうです。
カウンターの中は七十代とおぼしきご主人と奥さん、四十代の息子さんの三人で、忙しく働いています。
恐ろしくメニューの広い店で、どて煮、串かつ、煮物、焼物、サラダにチャーハン、焼そばまであります。
このチャーハンがYくんの好物で、お父さんと来ると、必ず注文していたそうです。

わたしは飲食業界に身を置いていますが、グルメではありません。
適価で適度のサービスが受けられ、ほどほどの美味で満足します。
ただ、好みの店というのはあって、家族中心の経営で、時世とは関係なく同じ味とメニューで通すところです。
このどて煮の店などは、まさにそれです。
狭いカウンターの中で、親子三人は無駄な動きがなく、要領良く働いています。
目配りも適度で、良い加減で放っておいてくれます。

Yくんは、この店が好きだったという。
時間が経ち、店の雰囲気に馴れると、わたしはYくんの気持ちが分かるような気がしました。
この店の居心地の良さは、適度のユルさと節度の案配です。
それを上手くコントロールしているのは店の人間で、客はその中で料理と酒と会話を愉しみます。

どて煮の店はごく普通の店で、その普通さ加減が、客にとっては貴重です。
普通とは、中庸で片寄りがないことです。
自然体です。
自然体というのは、一見するとユルいが、端正です。
料理ももてなしも、普通で自然体。

恐らく、この普通は受け継がれたものです。
市井の日常の生活の中で伝承されたものです。
無理に言葉をあてはめれば、それはやはり文化になります。
Yくんが作品の核に据えたものも、それと同じです。

わたしの酔った頭の想像が当たっているかどうか。
もしYくんがこの文章を読んだら、笑うかもしれません。
それでも良いと思っています。
残された者には、勝手に作品を読む自由があるからです。
誤読であっても、それはもう、わたしだけの作品になっているからです。



二匹目。
なんて麗しいネコちゃんでしょうか。
凛とした顔つきとポーズ。
首輪とリボンもオシャレですね。
名古屋の野良ネコ水準、恐るべし。


翌日、昼前に郊外のお墓に参りました。
Yくんの墓前には初期の彫刻が二点置いてあります。
コンクリートと鉄の立体。
後の作品に顕著な、ユルくて端正な形が、既にそこにありました。