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探偵物語(38)


上の画像、赤信号ですね。
どんな商売にも厄日というのがあります。
一日中、赤信号という日があります。

その日、午前中に三人の依頼人が来ました。
二人は予めアポがあり、一人は飛び込みでした。
探偵業にとって千客万来ですが、依頼は実際に話を聞いてみないと分かりません。
探偵の仕事ではなく警察の仕事であったり、法に触れるような依頼もあります。
聞いて見ないと、分からないのです。

その日は、ツイていませんでした。
最初の依頼人は警察の仕事、次の依頼人は個人情報保護法に引っ掛かる仕事、最後の依頼人は飛び込みでしたが、何を言っているのか分からない人。
依頼の内容が、いくら訊いても理解できないのです。
ヒマつぶしで、探偵事務所に来たのでしょうか。
すっかり落ち込んで遅い昼食を摂り、気分転換に例の個人的探索に出掛けようと思ったら、ドアをノックする音が。



入ってきたのは、三十代前半の男。
依頼は、母を探して欲しい。
行方不明者の調査です。

話を聞くと、男の母親が半年前から行方が分からなくなったそうです。
住まいはK市の隣市で、アパートで男と母親の二人暮らしです。
行方不明の動機については心当たりがなく、親戚、交友関係は当たったと言います。

男は失業中で、もうすぐ職に就く予定とのこと。
男の身なりは普通で、特に変わった様子は見られませんが、わたしの心の中で赤信号が灯りました。
この案件に関わると面倒なことになる、と赤信号が告げています。
これは職業的な勘ですが、依頼内容よりも依頼者に問題があるという警告です。
男の話しぶりのどこかに、危険信号が含まれていたのです。

しかし、わたしはそのシグナルを無視しました。
事務所の経営と、わたしの好奇心が、見てみないフリをしたのです。



男の話を聞くと、さほどの苦労もなく母親を見つけられそうです。
もちろん、そんな素振りは依頼者には見せません。
「何ともいえないのですが、精一杯の努力はするつもりです」。
決まり文句を告げ、調査費用の説明をして、契約と前金の振込先書類を渡しました。

翌日隣市に行って聞き込みを開始しました。
隣近所、交友関係を洗うと、案の定、勘が的中していました。
男は、とんでもない男だったのです。

事務所では母親思いの演技をしていましたが、覚醒剤不法所持で執行猶予中。
しかも再犯。
母親の稼ぎをあてにして働きもせず、DV(家庭内暴力)も日常茶飯事。
そのくせ女を騙すのが巧く、泣かされた女は脅されて泣き寝入り。

母親は男が怖くて、アパートには週のうち数日しか帰らなかったそうです。
常に全財産(現金と証書類)を身から離さず、健康ランド(スパです)に避難することが度々でした。
以前の母親の職場の同僚に訊けば、何回も男が母親に金の無心に来たそうです。


いってみれば、男は金づるの母親に逃げられて、探偵事務所に駆け込んだわけです。
執行猶予の身ですから、警察には行けません。
赤信号、ですね・・・・。

こんなヤツの依頼を受けてしまったのは、後の祭りですが、さてどうするか。
前金は振り込まれたものの、後金が踏み倒されるのは目に見えています。
そういう輩なんです、この手の男は。

赤信号と赤信号。
ここは先手ですが、調査を打ち切って前金を返すのもシャクです。
(既にそれなりの費用と時間は費やしていますから。)
取りあえず調査を続行して、様子をみることにしました。



母親の行方に見当がついたころ、わたしは決断を迫られました。
報告書と引き換えに後金を貰うか、それとも中途で打ち切るか。
ここは職業的倫理と良心のせめぎ合いです。
母親のことを思うと、打ち切ったほうが後々後悔しないで済みます。
その後の展開は、わたしの責ではありません。

わたしの欠点は、優柔不断です。
つまり、あーでもないこーでもないを、行き来してしまうのです。
その間に時間はどんどん経っていきます。

意を決して、男の携帯に電話をしました。
体調不良で調査を打ち切りたいと。



男の携帯は、呼出し音が続くだけです。
何度かけても呼出し音しか聞えません。
翌日男のアパートに行ってみると、親戚の人が何人か集まっています。
身分を明かして話を聞くと、男は交通事故で死んでいました。

酔っ払い運転でハンドルを切りそこね、立ち木に衝突して死んだそうです。
呆気ない幕切れで、拍子抜けしてしまいました。
分けの分からない無常観にも襲われて、事務所に帰らず自宅に方向にクルマを進めました。

わたしの優柔不断は続いて、男の事故死を母親に告げるべきかどうか。
母親は、わたしの手の届くところにいます。
それを告げるべきかどうか。

結局、告げませんでした。
いずれは、分かることです。
悲しむか、安堵するか。
それは、母親本人の問題で、わたしがコミットするべき事柄ではないと思ったからです。