子供時分の夢想に、丸の内のサラリーマンになる、がありました。
別に、丸ノ内のサラリーマンになって仕事をバリバリやりたかったわけではなく、昼休みに日比谷公園や皇居で(女子社員と)バレーボールをするのが、そのイメージの実態でした。
たわいない夢想ですが、それは多分に当時の東宝映画の影響です。
高島忠夫や小泉博が扮するホワイトカラーに憧れたのです。
モダンでスマートに見える仕事ぶりと、明るいオフィスの環境が新しい時代を象徴していました。
今ふと思えば、夢想の半分ぐらいは実現していたことになります。
丸の内とは目と鼻の先の、京橋に毎週通っているからです。
観光や旅行ではなく、夢想のように日常生活として実現していたことになります。
皇居から見た丸の内です。
広場の向こうの、霞んだような丸ノ内のビル群に注目置き下さい。
夢想の話の続きを、もう少しします。
わたしはいろんなことを夢想しましたが、大抵は実現しました。
もっとも、それはわたしの努力の成果ではなく、(少しの幸運にあずかったにせよ)時代の変遷でそうなっただけです。
子供時分に夢想した生活は、年を重ねるごとに現実になっていきました。
高度経済成長と共に育ったわたしの世代は、多かれ少なかれ、その思いがあるはずです。
ですから、夢想が現実になっても、今や大した感慨もありません。
テレビやクルマや電子機器を所有する物質的豊かさや、モダンでクールな生活様式も、単なる日常の一部に過ぎません。
かえって、貧しかった頃を感傷的に懐かしむのが関の山です。
困ったものです。
もし振り返るとしたら、空虚になってしまった心の因を、しっかり見つめなければいけませんね。
画廊と目と鼻の先(徒歩10分足らず)にある皇居ですが、いつも周りをクルマで通過するだけです。
先日の午後、用事までの時間が空いたので、ちょっと足を運んでみました。
目指すは、二重橋です。
鍛冶橋から東京フォーラムの横を通り、馬場先門の交差点を過ぎると皇居の外苑です。
はとバスも二台ほどしか停まっておらず、閑散とした様子です。
楠木正成の像を見て、売店で買ったソフトクリームを食べていると、小さな団体が二重橋方面に歩いて行きます。
子供連れの多い、中国か台湾の方々のようです。
外苑を横切る二重橋前交差点を越えると、広大な皇居前広場に出ます。
上の画像は、皇居前広場から振り返って馬場先門方面を撮ったものです。
修学旅行の生徒ですが、団体でゾロゾロではありません。
今どきは、少人数のグループで好きな場所を訪れるのが主流のようですね。
二重橋です。
(本来は写っている橋の奥にあるもう一つの橋の方を二重橋というそうですが、一般的には二つの橋の総称になっています。)
濠の前で記念撮影に勤(いそ)しんでいるのは、先ほどの小団体です。
その他にも白人のグループがチラホラで、日本人の姿はほとんど見られません。
よって、昔ながらの集合記念写真屋は開店休業状態でした。
和やかな二重橋周辺の観光客から離れて、左方面に行くと桜田門があります。
その途中のショットです。
石垣と濠と、この季節らしい鮮やかな緑。
春と夏の間の、皇居の風景です。
一時間余りの皇居散策でしたが、印象に残ったのは、何もない広場の気持ち良さと、皇居を囲むビル群です。
この日の天候は晴れでしたが、空の青さは今一つでした。
季節と暑さと時刻(三時前後)の所為でしょう。
遠くの建物は霞んだように見え、あたかも蜃気楼のようです。
わたしは歩きながら、高層化した丸の内や日比谷のビル群を度々眺めました。
石垣と濠を見ていても、背景のビルが気になりました。
霞の向こうの建物は、現実感を失って、美しく並んでいます。
わたしは、その美しさの正体に思いを巡らせました。
それは、儚(はかな)さかもしれません。
鉄と石とガラスで建てられた、強固さと合理性と機能美を誇る建物達。
でも、ここ(皇居)から見ると儚げで、一時の夢の楼閣のようです。
いつかは醒める夢でも、今はこうして、ただ眺めていたい気分です。