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 探偵物語(8)


男は、三年間の記憶を失いました。
自宅の階段を踏み外し、頭部を強打したのが原因です。
意識が戻ったとき、その時から遡る三年間の記憶を失っていました。

途方に暮れた男は、身内や周囲に尋ねて、記憶の欠落を埋めようとしました。
その作業は、記憶の回復ではなく、失われた時間の学習でした。
ジグソーパズルの空白がなくなりそうになったころ、新たな空白が出現しました。
男の秘密が、男の前に現われたのです。



男はクロゼットの奥深くに、一冊の本を見つけました。
本の間には、一葉の写真が挟まれていました。
写っているのは、男と見知らぬ女。
親しげに身体を寄せ合っている、二人。
背景は観光地らしい湖。

写真には撮影日がプリントされていて、それは空白の三年間の一日でした。
男には家庭があって、その写真の意味を知らないほど、愚かではありませんでした。
思案の末、わたしの事務所に男は足を向けたのでした。
自分の秘密を、知りたい為に。



わたしは、依頼者と面談するとき、決めていることが一つあります。
それは心をオープンにすることです。
いかようなモラルに反する話でも、聞く耳を持つ姿勢です。
そうすれば、依頼者も心を開いて、すべてを語ってくれます。

男は、自分の秘密が危険であることを承知していました。
もしヘタに動いた場合、それまで築いた人生に、大きな変化があることを知っていました。
それで、わたしに調査を依頼したのでした。
見ず知らずの女と、自分の関係について。



女は、濃密な三年間を忘れることができませんでした。
女も大人の年頃を過ぎていましたから、それなりの経験は積んでいました。
男と出会って破局まで、女は事細かく記憶していました。
女にとって、男は特別な存在だったのです。

わたしが調査を開始してから、女の所在に突き当たるまで、それほど時間はかかりませんでした。
当人同士が秘密にしていても、洩れるところでは、確実に洩れています。
探偵の手にかかれば、秘密の多くは「公然の秘密」と同じです。

破局は、男の決断でした。
男がどのような心の状態でそれを決断したかは、分かりません。
一悶着あった後、女は同意したのでした。

わたしは調査資料をまとめ、報告書に着手しました。
わたしは想像しました。
もしこの報告書を男が読んだら、男はどのように思うでしょうか。
あたかもタイムマシンにのるように、三年前に戻りたいと思うでしょうか。
自分の記憶に存在しない女と会って、(再び)恋愛に墜ちるのでしょうか。
それとも、欠落した時間の、自身の決断を尊重するでしょうか。



男は事務所で報告書を読み、頭を下げて言葉を発しました。
「どうも、お手数をおかけしました」。
男に動揺した様子はありませんでしたが、その眼は遠くを見つめていました。
事務的に調査費用の説明をし、振込先を指定すると、男は承知して椅子から腰を上げました。

男のその後は、わたしの関知するところではありません。
わたしは想像の続きを楽しむだけです。

時間(記憶)を失った男と、時間(記憶)に囚われている女。
再会すれば、男も女も時間から解放されます。

男の多くを知っている女と、女のほとんどを知らない男。
二人が再び出会って、録画を再生するように、時間を刻むのでしょうか。