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 探偵物語(2)


探偵は、探し物をするのが職業です。
探し物に貴賎はなく、どれも平等なはずです。
ところが、実際には格差があります。
探し物が動物の場合、それは人間よりもランクが下になってしまいます。

わたしは、半日は探偵で半日は夢の中の人です。
前回お話しましたね。
そういう探偵には、当然のごとく仕事があまり来ません。
これは覚悟していましたから、報酬の少ない下請け仕事を主にしています。
探偵仲間から調査期限がさほど厳しくない仕事を請けています。

それで多くなったのが、行方不明になったイヌやネコの探索です。
特にネコ。
こんな仕事は便利屋の仕事じゃないの、と当初は毒づいたものですが、背に腹は代えられません。
やってみると、人間相手では不可避なドロドロした関係が見えないので、気は楽です。



つい最近の話です。
わたしはネコの探索を依頼され、ネコが逸(はぐ)れた町まで出かけました。
何でも、飼い主が親戚を迎えに駅までクルマで行き、そこで同乗のネコが逃げたというのです。
親戚が乗り込むちょっとした隙に、ネコはドアから車外に出てしまいました。
いつもは大人しく座席に座っているネコが、何の拍子か外に出てしまったのです。
気が付いたのは相当走った後で、戻ってみるとネコは姿を消していました。

上の画像が、その駅です。
手前の横断歩道を渡った先が町です。
わたしは見当をつけて、町で聞き込みを開始しました。
結論からいえば、二日でネコを発見し、今は事務所のケージに収まっています。

依頼主には連絡していません。
もう二日ほどしたら連絡するつもりです。
そうです、調査費用の水増し請求です。
あまりにも呆気なく見つかったので、ボーナスだと思って旅行費用にでも充てるつもりです。
いえいえ、こんなことは滅多にしていません、一年に一度あるかないかです。
だから、誰にも言わないで下さいね。



わたしが二日間(正確には半日×2)探し回っていた町の一角です。
この町は市の外れにあります。
駅の反対側は、昔は市外で農村地帯でした。
今では郊外になって、町が廃れたとの反比例するかのように人口が増えています。

廃れた町は、もともと賑やかな町ではありませんでした。
小さな工場や倉庫が多い町で、道路が広い割には商店や人家の少ないところでした。
それが一層過疎になって、今や生きているのか死んでいるのか分からない町です。
ネコが、喜びそうな町ですね。
(わたしも好きな町なので、再訪したというわけです。)




町の一角はお菓子の工場で、建物沿いに進むと、看板が見えました。
カネボウの工場ですね。
建物の感じからすると、相当古い工場のようです。
看板にも時代が窺えます。

わたしはネコの写真を持って、駅から手当たり次第に聞き込みをしていました。
根気のいる仕事ですが、調査や探索の基本は人間でもネコでも変わりません。
それで、この工場まで来ました。
その時、ピンときました。
いわゆる、勘というやつですね。

どうも、この工場が怪しい。
さして敷地の広い工場ではありませんが、逃げ出した駅からの距離と、城壁で囲まれたような感じが、ネコを呼び寄せそうです。
わたしは工場の入口を探して、守衛に用件を告げ、内部に入る許可をいただきました。



入口です。
良い感じですね。
特に中央の銀色の煙突が、良いですね。
あ、もちろんこれは個人的な好みで、皆さんは何とも思わないかもしれませんが。

ま、それで、中を探しましたが見つかりませんでした。
当然、そう簡単には見つかりません。
そこで従業員の方に聞き込みです。
丁度昼休みだったので、ネコの写真を見せながら聞き回りましたが、反応はありませんでした。
ここで諦めては、探偵失格です。
こういう工場はパートが多いので、今日出社していない従業員もいるはずです。
明日もう一度訪れることにしました。

話が長くなるのではしょりますが、翌日の聞き込みで、案の定昨日は出勤していなかったパートの主婦から重大証言を得ました。
呆気ない解決で、その主婦が工場の裏で見かけたネコを家に連れ帰ったのでした。
捨て猫だと思ったんですね。
主婦は家に七匹もネコを飼っていました。
ま、そんなわけで、わたしが引き取って事務所に収容しました。
主婦には後日依頼主からのお礼を渡すつもりです。



裏口の方から撮った工場です。
ドラマのない話で申し訳ありませんでしたが、時には今回のように労せずゴールに辿り着くことがあります。
いつもはもっと曲がりくねっていて、足が棒になった頃、やっとゴールにたどり着きます。

何回通ってみても、この町には時代というものが見えません。
いつの時代に存在しているのか、分かり難い町です。
この工場を見ていると、工場というものが地方にやって来た時を想像させます。
多分、その当時この工場はピカピカに光り輝いていたと思います。

子供のお菓子を、子供自身がお金で買うようになったのはいつからでしょうか。
わたしの経験では、小学生低学年は駄菓子屋で駄菓子を買い、高学年から菓子屋でメーカーのお菓子を買いました。
1960年前後の話です。
それ以前の菓子(和菓子)は子供が買うものではなく、駄菓子は工場というより家内製造でした。

工場製のお菓子は衛生的で、小奇麗なパッケージに包まれていました。
わたしは工場製で、初めてキャラメルやチョコレートの味を覚えました。
感激したかどうかは忘れましたが、今でもチョコレートの甘美な味が無性に欲しくなる時があります。

子供の小遣いを、少し貯めれば買えるメーカーのお菓子。
今に続く消費の習慣は、この時に芽生えたような気がします。
大量に生産された画一な商品ですが、そこには何かしらの夢や幸福が付与されていました。
それを産み出していたのが、工場です。

工場は、夢と一緒に欲望をわたし達に植え付けました。
際限のなく再生産される欲望です。
わたし達は商品を買い続けることによって、その夢に近づこうとします。
見果てぬ夢の原動力は、欲望です。

この町の古びた工場の景色が、わたしは好きです。
(あのネコが引き寄せられたように。)
それは、幾分複雑な色合いを持ったノスタルジーかもしれません。
あるいは、「チョコレート工場の秘密」に誘き出された探偵の性(さが)かもしれません。
とりあえず、この景色をファイリングすることにしました。
わたしの探している何かに、役立つかもしれませんから。