自転車に初めて乗ったのは、いつ頃のことだったろうか。
最初は三角乗り(サドル下の三角形のフレームに片足を入れる)で、そのうちにサドルに座ってこげるようになった。
その時の喜びは、今でも記憶に残っている。
自転車は、当時一般的だった黒の厳(いか)つい実用車だった。
中学に入学した時、通学用に自転車を買ってもらった。
わたしの町には一軒の自転車屋があって、注文した軽快車はそこで組み立て届けられた。
自転車屋には二人の息子がいて、長男は少し不良で、近所の子供の小遣いを巻き上げていた。
その自転車で中学に通学し、開通したばかりの笹子トンネルまで足を延ばしたこともあった。
あの頃は、どこに行くにも自転車だった。
自転車が盗まれたこともあった。
しばらくして遠くで発見された自転車は、バラバラの状態だった。
自転車を買い直した憶えはないが、高校も自転車で通学し、やはりどこへ行くにも自転車だった。
大学時代は自転車とは無縁で、喫茶店を始めたころ、友人から譲渡された自転車(プジョーだった)に乗りだした。
しかし短期間で盗まれ、これは出てこなかった。
その後、店の近くの親切な自転車屋から、バスケットの付いた黒い自転車を購入した。
妻専用で通勤に使っていたが、何時からかわたしが主に乗るようになった。
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この自転車も盗まれて、忘れていた頃警察から電話があった。
夜中の三時の電話で、何事かと思ったら、築地の方で自転車が見つかったという知らせであった。
かなりボロになっていたので、修理して乗っていたが、今はアパートの入口で埃を被っている。
単身赴任で帰った山梨の職場に、大学生のアルバイトSくんがいた。
ある日、Sくんが買ったばかりのスポーティな自転車に乗ってきた。
とても乗りやすそうなので、わたしも同じ自転車の色違いを購入した。
八万円ぐらいしたが、自転車の価格を聞くと皆ビックリした。
(ママチャリは一万円前後から売っているので、驚くのも当然かもしれないが。)
その自転車に、今も乗っている。
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わたしの、自転車にまつわる簡単な個人史でした。
掲載した画像はテキストとは関係ありませんが、わたしは自転車を見るとレンズを向けるクセがあります。
被写体として好きなんですね。
特に、一台だけポツンと置かれた自転車の佇(たたず)まいが好きです。
何とは無しに、哀愁を感じてしまうのです。
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上は都内の個人宅の駐車場で撮影したものですが、この自転車には哀愁はありませんね。
端正な姿と停車場所に目が留まって、シャッターを切ったものです。
もし自転車が高級スポーツ車だったら、撮影しなかったと思います。
背景から浮かず背景に埋没しない、そんな自転車だったからではないでしょうか。
風景の中の被写体としては、普通の自転車の方が好みです。
派手なロードレーサーは、風景の中の一部ではなくて、完全な主役になってしまいます。
わたしは機能美を撮りたいわけではありませんから、普通の方が良いのです。
銀座の老朽空店舗の側に放置された自転車です。
サドルの上にあるのは、クルマのホイールキャップですね。
主(あるじ)が去った時、そのままにされてしまったようです。
現役時代は、出前や配達で活躍した自転車だったのでしょう。
ここまでくると侘びしいですね。
自転車の魅力は、「ちょっと、そこまで」の魅力です。
つまり生活圏から出ても、そんなに遠くまでは行かないことです。
徒歩だとキツイ距離だが、自動車だと近すぎてドライブにならない距離です。
軽装に小さなショルダーバッグ一つで、出かけられる距離。
自転車に乗って楽しい季節は、初夏と秋の頃です。
こぎ始めると、風が身体を撫でるように通過します。
特別なあてもなく、ゆっくり流れる風景を眺めながら、気の向くままに走る。
そんな時間が、自転車の時間です。