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再会


松尾和子は、「ムード歌謡の女王」と呼ばれた歌手です。
自宅階段から転落して死んだのが、1992年。
今から13年も前のことです。

松尾和子はもともとジャズ歌手でしたが、フランク永井の薦めで歌謡界入りしています。
そのフランク永井との共演作「東京ナイトクラブ」がデビュー曲で、代表作にもなっています。
その後、和田浩とマヒナスターズと「誰よりも君を愛す」、「お座敷小唄」の大ヒットを飛ばしました。

松尾和子は出自(ジャズ歌手)からか、歌が上手い歌手とされていますが、わたしの感触は違います。
歌唱力よりも雰囲気(ムード)の人で、その悩ましげなヴォーカルスタイルが唯一無二です。
前述したヒット曲はいずれも共演作ですが、単独での代表的ヒットは、何といっても1960年の「再会」です。


 

「再会」はムード歌謡というより、シットリとしたポップ調の曲です。
歌詞は、切々と女心を歌うという歌謡曲得意のパターンです。
歌詞の一番と三番は、それこそありふれた心象の描写ですね。
ところが、二番は異色です。
恋愛とはほど遠いと想われる、「監獄」が突然出てきますから。

1960年当時わたしは11才で、「再会」が街に流れていたのを憶えています。
しかし、歌詞の中に監獄があったのは知りませんでした。
知ったのは、五六年前に買った松尾和子のベスト盤CDを聴いてです。
(蛇足ですが、このCDを聴いて、松尾和子はわたしのタイプの歌手ではないことが分かりました。わたしとっては「お座敷小唄」で必要充分です。)

その時は、「ああ、そういう曲だったのか」と少し驚きました。
監獄が出てくる曲では、プレスリーの「監獄ロック」が有名ですが、あれは今のヒップホップみたいな曲。
「再会」とはまったく情況設定が違います。
「再会」は日本歌謡史上稀な、監獄を間に挟んだ愛の歌です。
Googleのイメージ検索で、
「再会」のシングルジャケットを見ましたが、確かに女が刑務所の塀の前に立っています。

ここで想像力の豊かなわたしは、獄中の男の罪についてあれこれ考えてしまいます。
窃盗だろうか、傷害だろうか、それとも寸借詐欺、置き引きだろうか。
しかしどう考えても、ピッタリな罪状が見つかりません。
これが思想犯だとしたら、問題なく収まるのですが、歌詞にそのようなニュアンスは皆無です。



考え始めると、どうしても正解を求めるのが人間で、行き着かないうちは落ち着きません。
どんな罪で、どのくらいの懲役なんだろうか。
そんなわたしの悩み(?)に電球が灯るような答がありました。
それは、男がヤクザであることです。

男がヤクザであれば、歌詞のすべてに納得がいきます。
そうなると、男の罪状は多分傷害罪でしょうね。
ヤクザ社会においては、懲役は商社マンの海外単身赴任みたいなものです。
出てくれば、普通はそれなりの待遇が待っています。

つまり、女はヤクザに惚れて、そのヤクザは仕事絡みで懲役に服し、女は昔二人で遊んだ海に来て、又会える日を待ち焦がれている。
「再会」とは、そういう歌なんですね。
今考えると、このような内容の歌が大ヒットしたのが不思議に思えますが、ヒットの大きな要因はそのメロディーにあります。
歌謡界の大御所だった吉田正による作曲は、一度聴いたら忘れられない魅力に満ちています。
当時としてはライトで洒落たアレンジに、松尾和子の濃厚なヴォーカル。
この組み合せも、後を引きます。



男がヤクザであったという答を得て、わたしはスッキリしましたが、まだ引っ掛かることがあります。

みんなは悪い ひとだというが
わたしにゃいつも いいひとだった

この部分です。
一旦、男がヤクザであることを忘れて考えてみましょう。
みんなが悪い人というのは、悪い人に決まっています。
問題は、その悪い中身です。
女癖が悪いのか、世間的に悪党なのか。

女癖が悪いと知りながら、それでも付き合うのは確信犯ですね。
それでなかったら、バカです。
恋は盲目といいますが、存外女性は冷静です。
小さい頃から恋愛のシミュレーションをイヤというほどしていますから、女癖の悪い男はすぐ分かります。
となると、やはりこれは確信犯になります。

確信犯だとすると、次の「わたしにゃいつも いいひとだった」と矛盾するようですが、これは矛盾しません。
どうして矛盾しないか、解らない人はご自分でよ〜く考えて下さいね。

世間的な悪党になぜ惚れるのかは、不良がモテるのを考えれば分かります。
光と陰が同時にあるからです。
もちろん、悪党や不良がすべてモテる分けではなくて、良質の光と影を持っているごく少数の人だけです。
悪党の正統は裏社会に生きるヤクザですが、ヤクザの日常には死の影が潜んでいます。
その分、生に精彩があり、女はそこに魅かれるそうです。
これは、阿部譲二の著作に書いてあったことですが。

「再会」の歌詞で最も印象に残るのは、上記の二行です。
ある意味で、恋愛の本質かもしれませんね。




「再会」には続編があります。
同じ作詞作曲者で、「再会の朝」。
出所の朝の再会、を歌っています。

続編は、続編の常として、「再会」の大ヒットには遠く及びませんでした。