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「住宅」(2)


わたしは地方の生まれですが、家を持ちたいと思ったことがありません。
借家、マンション、アパートの方が気楽で、性に合っています。
だいたいが、家を設計するなどという大仕事は手に余ります。
(もちろん設計は専門家がやりますが、プランは出さなくてはいけませんからね。)

せいぜいが、借家を工夫して住むぐらいがわたしの力量です。
つまり、グータラな根無し草なんですね。
これは謙遜でもなんでもなくて、真の実です。
時々、これでマジに悩んでいますから。

こんなわたしでも、中学生の頃に夢見た家庭の像があります。
自室の窓から山が見えて、その山の向こうに、家庭の像がありました。
(実際は、山の向こうも山だったのですが。)
わたしと妻と、子供もいたような気がします。
モダンなリビングで、天井には蛍光灯が灯っていました。

ただそれだけの像で、それもその時だけでした。
それ以降、家庭の像を想像したことがありません。
これは、性格的な欠陥なのでしょうか。
このことでも、時々悩むことがあります。


わたしの住宅遍歴、二回目です。

甲府市の太田町近辺の借室に居たのは二年ぐらいでしょうか。
そこから100メートルほど離れた、建って間もない長屋に越しました。
引っ越しは、叔父さんがリヤカーで荷物を運んでくれました。

長屋は三軒棟続きで、三棟か四棟ありました。
狭い玄関の脇がトイレで、六畳と小さな台所が付いていました。
前の借室に比べれば、室内にトイレと炊事場が付いているのですから、大変な進歩です。
借室時代の終り頃から小学校に通いだしましたが、この長屋がわたしの黄金時代でした。
台所から延びている煙突ならぬ細い換気筒から、本当にサンタクロースが入ってこられるのか、真剣に心配しました。
タンスの上のラジオを聴くのが楽しみで、少年向けドラマや落語を良く聴いていました。
歌謡曲を聴いたのも、このラジオでした。
(この小学校で、天皇の戦後全国巡行の旗振りをしたのも憶えています。)

この長屋も二年ほどで引っ越しになり、又100メートルほど離れた借家に越します。
今度は大家(鳥肉屋)の裏の、離れみたいな住まいで、前が小さな庭でした。
二間あったような記憶がありますが、確かではありません。
ちょっと広くなりましたが、庭の樹のせいか、暗くて涼しい家でした。
家で母が内職をよくしていました。

ここの家の台所、トイレについての記憶がまったくありません。
憶えているのは、ラジオと新聞から得た、立教時代からの長嶋の活躍と王の名前。
それと、近くにあった蕎麦屋のテレビ(野球中継)を蕎麦屋の窓越しに見たことです。
母の内職を自転車で届けた記憶がありますから、自転車に乗れたのもこの時代です。

借家にいたのも二年弱で、一家は前述した甲府駅近くの貸していた家に戻りました。
1957年頃のことです。
店子が飲食店をやっていたので、そのまま飲食店を営むことになりました。
一階が店舗と台所で、二階が二間あって、六畳と四畳半でした。
六畳が両親、四畳半にわたしと弟が二段ベッドで暮らしました。
もちろん、上段は兄であるわたしでした。
この二段ベッドがわたしにとって初めてのモダンファニチャーでした。
(単なる木製の簡易なベッドでしたが、嬉しかったです。)

二階の階段脇にタンスなどが置いてあるスペースがありましたが、ここは何とも暗い感じで、前近代的に見えました。
「ここを何とかしたい」が幼いわたしの願望でしたが、両親は忙しくてそれどころではありませんでした。
この家にわたしは高校卒業まで居て、後年一時的に一年ぐらい住みました。

小学校の三年生の時の引っ越しだったので、転校を余儀なくされ、青空の小学校生活から曇天の小学校生活に劇的に変化しました。
この家での十年間は、ほぼ日本の高度経済成長と重なります。
(ハイライトは何といっても、1964年の東京オリンピックです。)
テレビもエアコンもクルマも、わが家(わが店)にやって来ました。
家も途中で改装し、ビニールの壁紙と印刷した木目の新建材が要所に用いられました。
わたしの部屋の天井は、新たに白い正方形に規則的に穴の空いた石膏ボードが貼られました。
あれは、吸音効果でもあったのでしょうか。

ともあれ、この家がわたしの故郷のような場所です。
今は猫の額ほどの空地になっていて、昔の町内の半分は駐車場で、後の半分にも住民はわずかしか住んでいません。
あの当時の、商店と商人宿が多かった町の面影はほとんどありません。
近所に日通の倉庫があって(家の前が貨物駅でした)、倉庫と倉庫の間でよく遊びましたが、だんだん犬の糞が多くなっていったのを憶えています。
隣町の児童公園も犬の糞だらけで、気が付くと運動靴の底にベットリでした。
野良犬が多く、飼犬の散歩も後始末なしが普通の時代でした。
その頃になると(中学生ぐらいから)、学校の友達と他所で遊ぶことが多くなりました。

次回は上京編です。




「住宅」(3)に続く