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「池」


上の画像、ごく一般的な外観の集合住宅(マンション)です。
中央線の国立にあるこのマンション、わたしと妻の友人が入居しています。
二十年来の友人ですが、彼女は都内を転々とするのが趣味(?)です。

知りあったときに彼女が住んでいたのは吉祥寺で、その後の住まいはすべて訪問済みです。
国立に越したのは去年で、つい先日お訪ねしました。
用件は、光ファイバーにしたらインターネットに繋がらない、というサポート依頼でした。


集合住宅の入口です。
どこにでもある、集合住宅の玄関ですね。


お邪魔したのは夜の七時ごろで、外は真っ暗でした。
(今回の画像は再訪して、昼間撮影したものです。)
ほの暗い玄関ロビーを過ぎると、小さな中庭に出ました。
中庭には照明がほとんどないので、外の暗さとほとんど変わりません。

庭の下を見ると、鯉が泳いでいます。
地面の窪みにできた水溜りに、鯉が何尾も泳いでいます。
よ〜く見てみると、窪みは自然にできたものではなくて、自然にできたように見える小さな人工の池でした。



池の全景です。
想像してみて下さい、子細が定かでない夜の暗がりでここに足を踏み入れた時のことを。
水溜りに見えますよね。
池の縁の傾斜が緩やかで、自然の水溜り(池)のようです。
その水溜りに鯉が泳いでいたとしたら、驚くと同時に感動します。
わたしはこの気の利いた演出に感心して、しばらくの間、用件を忘れてしまいました。



別アングルからのカットです。
中庭は完全な吹き抜けになっていて、真上は空です。
一方の壁面にはステンドグラスが嵌め込まれています。

友人の話では、この集合住宅は1979年の建設で、大手商社が意匠に力を注いだ物件だそうです。
(建物の名前は、その商社の集合住宅ブランド名になています。)

住居の内部もどことなくモダ〜ンな雰囲気で、当時としては斬新な集合住宅だったのでしょう。


遠い昔の話です。
ここが国立(国分寺と立川の間)などいう、戯(たわ)けた地名になる遥か以前の話です。

武蔵野の、甲州街道からも外れた辺鄙な場所に、一つの村がありました。
村の奥まったところには、鬼神(おにがみ)池という美しい池がありました。
池には多種の魚や植物、生物が生息し、季節となれば、水辺は色とりどりの花が咲き乱れました。
池の主は鬼神様で、村人に豊かな景観と憩いの時を与え続けました。

ある時、不心得な村人が、疫病で死んだ家畜の始末に困って池に投げ込みました。
怒った鬼神様は、一瞬のうちに池の生物や植物を死に絶えさせ、池を恐ろしい死の世界に変えてしまいました。

それから、また時が経ちました。
村には謡(うた)が上手な盲目の娘がいました。
娘は美しい声で、巧みに謡をうたうことができました。

娘は、村人が近づかない鬼神池で謡うことを習いとしました。
不思議なことに、水辺で娘が謡い始めると池の気配が変わり、以前のような豊かな世界になるのでした。
鬼神様が、娘の謡を好んだからでしょう。

娘には恋人がいて、二人は逢瀬の一時を池で楽しみました。
誰にも邪魔されず、娘は謡い、夫(おとこ)はそれをうっとりと聴くのでした。

村一番の身上の家に、邪悪な跡取り息子がいました。
息子は盲目の娘に横恋慕し、娘とその美しい謡を己だけのものにしようと画策していました。
夫さえいなければ娘は自分のものになると考え、他所のゴロツキを使って夫を殺してしまいました。
ゴロツキは夫の死骸を鬼神池に投げ捨てました。

息子が娘を迎えに行くと、悲観した娘は逃げ出して、池に身を投じてしまいました。
怒ったのは鬼神様です。
娘の謡が聴けなくなったばかりか、息子とゴロツキによって、再び池が汚されたのです。
たちまち池の水が溢れ、溢れた水は村を覆い、辺り一面を水没させ、村を全滅させてしまいました。

そしてまた、時が経ちました。
水没した村の様子を見ようと、代官とお供が村のあったところを訪れました。
水はきれいに引いていて、村は跡形もありませんでしたが、鬼神池は昔の豊かな池になっていました。
池には二尾の鯉が、仲睦まじく泳いでいました。
(それを眺める一行の耳に、美しい謡がきこえてきたような・・・・。)

集合住宅の中庭にある池の、(わたしが夢想した)由来です。
中庭の池で泳ぐ鯉は、鬼神池の二尾の鯉の末裔かもしれませんね。



集合住宅に住む人々のほとんどは、他所者です。
期間の長短はあっても、仮の住まいとして過ごします。
その気軽さが集合住宅の良さであり、落着きのなさです。

効率を重視して建てられる集合住宅には、住民を繋ぐモノがありません。
あったとしても、単なる小さな空間でしかない庭や、お粗末なモニュメントです。
住民の、内面に触れる何かがありません。
旅行から帰ってきたとき、それを見て安堵するような何かです。

この池の自然な素振りは、「ふれあい」などではなくて、住民一人ひとりが安堵できる何かのような気がします。
建築のグッドデザインとは、そのような機能がさりげなく備わっているモノのことではないでしょうか。



池の向こう側にあるらせん階段を上り、真上から池を見てみました。
水面には、建物の内部や空が映り込んでいます。
青い空を泳ぐ鯉。
もうしばらくすれば、鯉のぼりの季節ですね。