わたしの小学校高学年の担任は美術の教師でした。
四年生から六年生までです。
その担任は恐ろしく教育熱心で、しかも管理主義者でした。
落ちこぼれのわたしにとっては、牢獄のような三年間でした。
暗い思い出の中には例外もあって、それは美術の時間でした。
教師はある時、「描く価値のあるのは、美しい景色だけではない」といいました。
わたしはよく意味もわからず、いわれた通りに校庭の外れの景色を写生しました。
教え通りとして、教師はその水彩画を誉めました。
今思い出しても、わたしにとって(誉められても)好きな絵ではありませんでした。
カメラで風景を写生していると、あの時の教師の言葉を思い出します。
教師のいった描く価値とは、光とそれが映し出すカタチのことだったのではないかと。
山梨県笛吹市の郊外です。
倒産して遺棄された工場です。
建具関係の会社だったらしいのですが、三棟の工場は荒れ果てています。
駐車しているクルマも窓ガラスがすべて割られ、ボンネットも開けられて部品が抜かれている様子です。
曇天の中の寒い風景ですが、フラットな光とチョコレート色の工場を収めたくてシャッターを切りました。
工場の入口を入って右側にある、作業場だったところです。
ガラーンとした内部に、奥から光が差し込んでいます。
工場の左側の部屋です。
資材置場か物置に使っていた部屋のようです。
不用になった家具が雑然と置かれています。
昼でも暗い室内の照明は、入口と窓からの光だけ。
曇天の柔らかな光が、内(なか)をボンヤリと照らしています。
実は今回の更新、このカットが気に入っての更新です。
雑然としていたはずの景色が、モニターで見てみると、不思議な秩序があります。
中央のイスを中心にして、事物が決められた場所に整然と存在しているように見える。
それは錯覚かもしれませんが、わたしにはそう見えました。
同じ室内(上のカット)の右側です。
こちらは入口からの光が幾分強く差し込んでいます。
建具の見本のようなものが、画面(写生)の中心なっています。
今回掲の画像、取り立てて掲載するようなものではないかもしれません。
描く価値があったのかどうか、自分でもわかりません。
でも、気になる画像でした。
撮影後にモニターで確認した、光と事物のカタチの在り方が、とても気になりました。