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iの研究


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第三回 <私>の研究

<私>の研究ですが、わたし自身の研究ではありません。
安心して下さいね。
先日の新聞にこんな記事が載っていました。

ホームページに自分の全裸の写真を掲載した露出狂男を逮捕。

この男、なかなかですねぇ。
露出狂といえば、女子高の通学路の電柱の陰あたりに潜んでいて、女子高生が通るとぱっと躍り出て、コートの前を開くが定番です。
この男、北海道らしいです。
今の時期、まだ寒いですよね。
露出狂にはつらい土地、季節です。
そこでヌクヌクとした室内で自分の趣味を堪能出来ないか、とこの男は考えたわけです。
考えようによっては怠惰の誹りを受けるかもしれませんが、メディアとは身体の拡張、理屈には合ってます。
出会い系のページで公開されてる女性のアドレス宛てにメールを書いて、自分のページに誘ったようです。
多分デジカメでセルフヌードを撮って、サーバーにアップして、この男はパソコンの前で待ちかまえていたのでしょう。
アクセスカウンターが動くのを今か今かと。
スゴイ想像力だと思います。
アクセスカウンターの数字で興奮してしまうわけですから。
「オースティン・パワーズ」を連想しました。
なんかティストが似てるような。
「変態」というのは概ね想像力の世界の住人ですが、どこの誰がアクセスしたのか解らないのに想像力だけで興奮するんですから、レベルが高いとも言えるような、言えないような。
「デジタル変態」とでも名付けましょうか。
しかし面白い事件でした。
(被害者のことを考えると面白がってばかりもいられないのですが。)

さて、<私>の研究とこの事件は関係あるか?
それは最後にならないとわたしにも解らない。


<私>が外に流れ出している。


何時からか思い出せないのですが、わたしはそんな気がしています。
今までは社会の片隅にいた
<私>が知らず知らずのうち中心に流れ出している。
街を歩いていても、電車に乗っていても、テレビを見ていても、時々そんな気がします。

わたしの考えている<私>をちょっと説明します。
個人という概念があります。
ここで言う個人は社会を構成する単位としての個人です。
表向きの人格とでも言えましょうか。
それに対してプライヴェートな人格として<私>があります。
同じ人間の中で使い分けをしています。
公人、私人という区別もあります。
小渕総理は公人であり、小渕恵三は私人です。
が、ここでの私人は個人の事です。
その個人の中に<私>がいる。
小渕さんは総理を辞めても社会を構成する単位としての個人の立場は変わりません。
個人はルールに係わる存在です。
権利を持ち、義務に縛られる存在でもあります。
そこからもっとも離れた人格として<私>があります。
貴方が自室=マイルームにいる時の事を想像して下さい。
一般的に言えば居心地が良くて落ち着きますよね。
世間の喧騒や面倒くさい事からも逃れられてホッとします。
ここのルールは貴方が作ります。
人に迷惑をかけないかぎり、貴方の自由です。
そこだったら全裸でも大丈夫です。
そんな時の貴方の精神状態、人格をわたしは<私>と考えます。
まず空間的領域があって、そこで育っていった人格です


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都築饗一さんの「TOKYO STYLE」をご覧になったことがあるでしょうか。
この写真集は相当数の自室を大型カメラで撮ったものです。
撮られた自室を見ていると、住居主よりも濃厚に<私>が出ています。
人は<私>を見られたくないと思って擬装をする時がありますが、自室は意外と無防備に<私>をさらけ出すようです。
<私>の愛しているもの、好きなもの、<私>が寛げるスタイル。
自室の数だけ<私>のルールがある様にも見えます。
概ね楽しい部屋が多いので、眺めていると面白いです。
しかし、<私>が外に流れ出すと話は別です。
ダブルスタンダードになってしまいます。
個人が結んだ社会のルールと<私>のルールとの。

ある時、わたしは飲み屋で酒を飲んでいました。
知り合いと話をしながら飲んでいたのですが、カウンターの隣では一人の客が携帯電話で話をしながら飲んでいました。
二十分ぐらいは話をしてたと思います。
友達と話していたのでしょう。
<私>が流れ出ているな、とわたしは感じました。
数年前、高校の教師をしている美術家と仕事の話をした事があります。
彼は授業をこう説明しました。
「生徒同士で話をしてるか、漫画を読んでるか、きちんと先生の話を聞いている生徒は殆どいない。」
もちろんわたしの学生時代もそんなもんでしたが、何かが違います。
わたしは授業が退屈だっただけですが、彼らは自室にいる時と変わらない人格でそこにいるのではないでしょうか。
すっかり寛いで。
二つの話は極端な例かもしれませんが、いろんな所でいろんな時に<私>の流出を感じます。
最近のテレビは<私>の垂れ流しです。
これには閉口します。
シロートのどうでもいい<私>より、クロートの上等なウソをわたしは好みますから。
わたしは寛容な人間ですから(←どこが?)、これらを「由々しき問題だ」とは考えません。
うっかりした人間でもありますから、知らないうちにわたしも<私>を流出させているかもしれません。
要は、流出が始まったらそれを力ずくで止めることは出来ないのです。
構造が変われば自然と止まるものなのです。
あるいはそれが常態となるだけの話です。


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さて、<私>の流出の原因は。
自室が当たり前に与えられるような<豊かさ>。
貧しい時代には<私>は陰に潜んでいたと思います。
今や死語ですが、「滅私奉公」なんて言葉もありました。
それとメディア。
携帯電話=ケータイのルーツは当然普通の電話器(宅電)。
町内に一台が家庭に一台になって自室に一台、そこからケータイになりました。
自室に一台でワイヤレスになった時、それは<私>のツールになりました。
それがケータイになって<私>が流出した、とわたしは考えます。
ケータイのもう一つのルーツは「ウォークマン」です。
「ウォークマン」は自室で聞くものとされたレコード音楽を外に持ちだしました。
自宅で寛いで聞いている<私>を外に連れ出したのです。
思えば、SONYは家電メーカーではなくて<私>電メーカーではないでしょうか。
家電でもない、個電でもない、一貫して<私>電メーカー。
AIBOだって<私>電でしょ。
世界に名だたる<私>電メーカーSONYの日本から、オタクが出てきたのは当然かもしれません。
オタクとは自室の別名、つまり<私>に他ならないのですから。
宮崎勤が逮捕された時、あの膨大なビデオに囲まれた彼の自室を見て同世代は衝撃を受けたのでした。
自分の自室とさして変わらない事に。
この他にもいろんな原因があると思います。
<私>を有望な消費市場と見た資本の膨大な投資等。)
それらが複雑に絡み合って、<私>を流出させていると思います。

<私>の流出と表面的には矛盾する現象ながら、「引きこもり」は根が同じです。
新潟の事件ですね。
<私>のルールだけでしか生きられなかった男の監禁事件。
肥大した<私>がその根にあたります。
<私>を持て余してるわたし。
<近代>の個人でありながら、その悩みとも異なる<私>の悩み。
さぁ、こんな<私>をどうしたらいいのでしょうか?
抽象的な答えですが、
<私>のルールと<私>のルールを繋げたらどうか?
そこに何かが生まれたら・・・・・・・・。
楽観的かもしれませんが、
<私>の流出が常態になった時、<幸せ>でありたいなとわたしは思うのでした。


さてさて、
「デジタル変態」は引きこもり系の露出狂という矛盾を抱えた人でした。
彼は考えたんですね、矛盾の解決を。
それがあの事件でした。

<第三回終わり>

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