iの研究

第七十六回 <歌謡>の研究
「性愛」 昭和の歌謡④


ポピュラー・ミュージックのテーマで最も多いのは恋愛です。
もちろん歌謡曲も例外ではなく、恋愛を歌ったものが大半を占めます。
その中で性愛を主題にしたものを、記憶を頼りに数え上げてみたら、少なからずありました。
大半はダブルミーニングや隠喩で触れたものですが、直截に性愛を謳い上げた曲も存在します。
その代表とも言えるのが、青江三奈『恍惚のブルース』です。

作詞は川内康範で、作曲は浜口庫之助。
共に歌謡界を代表するソングライターですが、和風で濃い川内に洋風で洒脱な浜口の組み合わせは異色といえます。
タイトルにブルースが付いていますが、黒人ブルースとは一切関係なく、至極適当なネーミングです。
そのアバウトな感覚も歌謡曲の特色と美点(?)です。
しかし今振り返っても、恍惚のブルースとは凄いタイトルです。
性愛の恍惚を歌い、それが大ヒットしたのもスゴい事実ですね。

さて青江三奈ですが、この人の出自はクラブシンガー。
その昔の昭和にはクラブというハコ(夜の社交場)があって、歌手とバンドが付き物でした。
そこで青江三奈はジャズ、ラテン、シャンソン、タンゴなど、客層に合わせて歌っていたそうです。
青江三奈がジャズのスタンダード『You’d Be Nice to Come Home To』をカヴァーしたアルバムを聴いたことがありますが、オリジナルのヘレン・メリルそっくりでビックリしました。
声質も似ていて、ジャズのフレーズも無理なくこなしていて、洋楽の素養が確かなものであることに感心しました。
クラブシンガーとして鍛えられた歌唱にハスキーの声がマッチして、デビュー以降歌謡界を代表する「夜の歌手」に成長していきます。

歌詞を見てみると、快楽に溺れている様子がリアルに描写されています。
「あとはおぼろ あとはおぼろ〜」のリフレインも効果的で、このフレーズは後々まで印象に残ります。
「ブルーシルクの雨」とか「ブルーパールの霧」とか若干意味不明ですが、全体に漂う淫らな雰囲気を盛り上げていることは確かです。
この歌のリリースは1966年で、当時歌謡曲は国民的共有でしたから、茶の間にあったテレビにも普通に流れていました。
家族で聴いていると、やはり微妙な空気になったのは確かですが、今となってはそれも懐かしい思い出の一つです。
多分に、団欒には直裁なタイトル、歌詞と青江三奈のセクシーなヴォイスが大人(アダルト)過ぎたのです。



日本の歌謡曲には『恍惚のブルース』という傑作性愛ソングがありますが、欧米ではどうでしょうか。
もちろんあります、フランスに。
そうです、セルジュ・ゲーンズブールとジェーン・バーキンの1969年リリース『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』です。
こちらはズバリ、性愛実況中継。
ライブです。
因みに、バーキンはエルメスのバーキンです。

シャンソンは保守的な音楽ですが、ゲーンズブールは反逆者として、フランスのポピュラーミュージックに大きな足跡を残しています。
この性愛ソング以外にもレゲエを取り入れ、スライ&ロビーなどジャマイカミュージシャンをバックにしたアルバム『Aux armes et cætera』など、実に洗練されたカッコ良い音楽を世に残しています。

青江三奈に話を戻すと、『恍惚のブルース』がデビュー曲で、その二年後の1968年には『伊勢佐木町ブルース』が出ています。
この曲もイントロのセクシーな吐息が話題になりました。
平成も28年、『恍惚のブルース』に匹敵するような性愛ソングは生れたでしょうか。
そう言えば、最近は性に関する放送禁止歌の話題も聞かないようですが。

性愛の歴史(と言うほど大袈裟なものではないのですが)を振り返ると、やはり明治維新が境になると思います。
近代化以前と以降ですね。
一昨年の春画の展覧会(東京は永青文庫)が話題になりましたが、浮世絵に限らず、性愛の楽しみ方は江戸時代の方が洗練されていてスマート、尚且つ豊かと想像します。
ひょっとすると、明治維新は罪作りな改革で、性愛の面でも退歩だったのではないでしょうか。

『恍惚のブルース』
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』


<第七十六回終り>