BACK→CONTENTS


iの研究



第六十三回 <少女と少年>の研究


夜空に一筋の白い光が駆け上がる。
その光は中空で一旦止まり、束の間の沈黙。
弾けるような軽い音と身体を揺さぶる重低音が同時に襲い、漆黒の空には色鮮やかな光(火)の大輪。
一瞬、辺りは昼のような明るさ。
待ち焦がれた観客の心も一気に高揚し、光と歓声が呼応する。

花火大会のオープンニングです。
この瞬間はたまらないですねぇ。
何よりも、あの音です。
花火は視覚と聴覚を刺激して、わたし達を日常から非日常に誘ってくれます。

わたしの住む町では、今夏も恒例の花火大会が催されました。
観光祭の一環として河原で打ち上げられる花火に多くの観客が集まります。
昼頃から席取りが始まり、ウカウカしていると座るところが無くなってしまいます。
観客で目立つのが若者です。
どこにこんなに若者がいたのでしょうか。
普段の町中では想像もできない若者の数です。

花火大会とロックコンサートは似ています。
会場が暗くなり、ペンライトの誘導でおもむろにポジションにつくミュージシャン。
はやる観客の心を焦らすような間。
ざわついた客席が静まった一瞬、場内を揺るがすような轟音と視覚を直撃するライト。

どうです、似ているでしょう。
だから、花火大会に若者は集まるのですね。
退屈な日常に飽き飽きした若者は、集って花火大会に繰り出すのです。

前半はそこそこのペースで運び、後半に山場を持ってきて盛り上げる。
これも同じです。
フィナーレ(花火大会ではナイアガラですね)は盛大で、その余韻を引きずって観客は帰途につきます。

見物した河原から土手に上がり、土手沿いに延々と並ぶ夜店と人込みを横切ると道路です。
いつもはクルマの行き交う道路も、今夜は歩く人でごった返しています。
その道路の前には町役場があって、建物の前の広い駐車場も今夜は見物客用で駐車禁止。
そこには若者が幾つかの輪を作って、地べたに座り込んだり、所在なげに立ち話をしています。

花火の余韻を楽しみながら歩く人々とは違い、妙に醒めた若者たちの中で目を引いたのは少女たちの輪です。
高校生ぐらいでしょうか、同じようなヘアスタイルとファッション。
流行りの、バービー人形のような人工的な可愛さです。
しかし、わたしが感じたのはその表層とは裏腹な少女たちが放つ気配です。
一人一人というより薄暗い駐車場に座り込んでいる少女たちが集団で放つ、敵意の気配です。

少女たちは恐らく不良といった部類のグループでしょう。
どの程度の不良かは判断できませんが、コースを外れていることだけは確かです。
不良が敵意を撒き散らすのは当たり前で、そのことで驚いたのではありません。
不良とは、今も昔も世の中や世間に向かって「バカヤロー」といっている若者のことですから。



問題はその敵意の種類です。
敵意を放たれた者が、その敵意の意味や深さを推し量りかねてしまう。
敵意を放つ者と放たれる者の間には断絶があり、その断絶に心が閉じてしまうような種類の敵意です。
関係を全く拒絶した上で尚も放たれている敵意、そう表現した方が分りやすいでしょうか。
一昔前の暴走族の敵意とも種類が違う、わたしが今までに感じたことのない敵意です。

コンビニの前や道路の真中で座り込んでいる若者たちを見たことがあると思います。
その若者たちが同じような敵意を放っていることがあります。
皆が皆ではなくて、そういう時がたまにあります。

道路をそぞろ歩く花火見物帰りの人々と駐車場の若者たち。
そこには目に見えない一線があります。
興奮の余韻を楽しむ家族連れやカップルと、敵意の気配が支配する駐車場の若者たち。
わたしにとってはちょっとショックな、祭りの後の光景でした。

少年の事件が世間を騒がし始めたのは六年ほど前からです。
(その前兆としては、両親を金属バットで殺害した事件や、宮崎勤の事件があります。)
神戸の小学生殺害事件から、豊川の主婦殺害、香川のバス乗っ取り、岡山のバット殺人、大分の一家六人殺害。
最近では長崎の幼児殺害事件がありました。

少年が理解不能の事件を起こしているとき、少女は何をしていたのでしょうか。
援助交際や下着販売が話題になっていました。
事件ではありませんが、犯罪スレスレの行為です。
殺人やストーカーの被害者として事件に登場したこともあります。
しかし最近では、少女が事件の共犯者や関係者として表に出てくるようになりました。
例えば、熊谷の殺人事件です。
いったい少年や少女に何が起こっているのでしょうか。

ここで、少年と少女の違いに触れてみます。
少年と少女の精神年齢を比較してみると、同年齢では少女の方が数歳は上です。
概ね少年はバカで、少女はリコウということです。
バカとリコウの違いは現実認識の違いです。

わたしは男ですから、少年時代というものがありました。
今振り返ってみれば、バカの一言です。
(まぁ、今でも立派なバカですから、これは少年時代限定ではありません。)
現実が何であるか全く理解できず、バカな遊びや趣味に熱中するか、思春期の性を持て余して悶々としているかのどちらかです。
稀に男同士の権力争いはありますが、それとて現実とは別のお山の大将の座を巡ってです。
好意的に見ればバカを楽しむのが少年時代で、逆にヘンに現実的な少年は煙たがられたものでした。

一方、少女は早い時期に現実と直面します。
まず容姿の美醜という生来の要件で、現実は容赦なく識別(差別)して来ます。
「可愛い」か「可愛くない」かで、少女は物心ついたころから現実と直面します。
何かにつけて可愛く振舞った方が得であることは、言うまでもありません。
少女が容易に想像できる未来の現実には、就職としての結婚が待ちかまえています。
それに反発して、現実を変えようとする少女もいます。

少年が持て余した性は、少女には違った形で姿を現します。
少女は己の肉体に商品価値があることを何となく気がつき始めます。
雑誌のグラビアや映像に氾濫する女の裸体。
これが商品であり、肉体は換金可能なモノかもしれないという現実に気がつき始めます。

もしその気があれば、援助交際という異常に率の良いバイトが直ぐそこに転がっています。
それと同時に、世の中が男を中心に回っていることを理解します。
どう転んでもアウトサイダーでしかない現実の中で、幸せとは何かを模索し始めます。
(絶対にアウトサイダーにはなりたくない、そういう世の中は間違っている、と決心した少女は男と渡り合う決意を固めます。)



少年は現実を知らないまま成長し、初めて出会った現実に恐れおののきます。
そこで勇気を出して現実に立ち向かえば、概ね現実は男に優しく振舞ってくれます。
何故なら、現実とは男を中心として回っている世界なのですから。
しかし、そういう現実も過去のものとなりつつあります。

競争の激化です。
役に立たないと判断された男は、問答無用でお払い箱(リストラ)される現実になってしまったからです。
役に立つ、立たないは価値の基準をズラせば変化するものですが、一つの価値が支配する今の現実では機能しません。
キャラクターや価値の多様性が豊かさを生む、という柔軟な発想が社会や企業になくなってきたからです。

少年が社会に出るのを躊躇したり(フリーターの出現)、一旦出た社会から隠遁(引きこもり)するのは、本人の要因以上にそういう現実があるからです。
単一の価値しか存在せず、その価値もイマイチ信用できない。
そういう現実が膨大な数の現実避難を生みだしているのです。

少年犯罪の原因として、仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)が指摘されるケースがあります。
現実と仮想現実の区別がつかなくなってしまった、という理屈ですね。
しかし現代におけるメディアの発達を考えれば、そもそも現実と仮想現実を厳密に区別することは不可能です。
痩せ細った現実を仮想現実が補強することによって、現代のリアリティは成立しているからです。
仮にその理屈の上で考えても、過度の仮想現実への没入に対する説得力のある説明はほとんどありません。

少年や少女の事件が多発している、それは即ち日本の社会がおかしくなっている証拠です。
社会の病巣や歪みを最も敏感に感じるのは少年や少女であり、直撃を受けるのは彼らのナイーブな感性です。

少年や少女の事件の根底にあるものは一体何でしょうか。
少年法の改正や道徳教育の強化は、あくまでも対処的な療法であり、問題の周縁にあるものです。
ある閣僚の長崎事件の「加害者の親を市中引き回し」発言などは、問題の本質からは遠く外れた思考です。
(こういう閣僚がいること自体、日本がおかしい証拠ですが。)
既に個々の事件の関係者に責任を限定する事態ではなくなっています。
わたし達全体の問題として考えないと、事件の核は見えてきません。

社会という漠然としたものを考えるとき、基本単位の家庭を検証することは有効です。
生活のベースであり、人間関係はすべてここからスタートします。
少年少女の事件を時代の相として見ていけば、(変わらないようでいて)その変化が激しかったのは家庭です。
そして、彼らが最も影響を受けていると想像されるのも家庭です。

熊谷事件の少年や少女の家庭はいわゆる欠損家庭です。
両親の離婚や死別があって、特に少年の場合は事件当時は一人暮らしという極端な家庭です。
しかしこの環境を重視しすぎると、わたし達との繋がりが見えてきません。
何故なら、ごく普通と思われる家庭の少年や少女も事件を起こしているからです。
異端(特別な環境)に注視しながら、普遍(ありふれた環境)を考える必要があります。

わたし達が生を受けて最初に感じるものは何でしょうか。
それは愛情です。
親(両親あるいは片親)から受ける無限大ともいえる愛情です。
それは恐らく、動物の親が子に与える愛情と同質です。

親の愛情は社会的ルールに反しないかぎり盲目的なもので、その庇護によって子供は育ちます。
昔の親(少なくとも戦前生れ)は子供の面倒をほとんど見ませんでした。
ほったらかしで育てました。
(地域や兄弟がその分を補って面倒を見ました。)
ところが、事が起きると親は子供の庇護者として敢然と対処しました。
どこまでも子供の味方として、子供の信頼を裏切らない行動に出ました。
(子供の行為が社会的ルールに反する場合は、逆に子供が親から制裁を受けました。)



絶対的な保護、それが愛情の中身です。
これは過保護と似ているようでまったく違うものです。
過保護の主体は親の方にあって、自己愛の変形としての、過ぎたる愛情です。
親の愛情の主体はあくまでも子供で、子供は成人するまでその愛情の中で育ちます。

この親と子の関係はごく普通のもので、取り立てて説明する類いのものではありません。
普段は愛情の片鱗すら見せない親でも、いざとなると身を挺して守ってくれる。
それはごく普通のことで、殊更(ことさら)ではないのですが、あえてここでは愛情とよびます。
子供は、そういう見えない保護を受けながら未熟な時期を過ごします。
それがあることを確信しながら、育っていきます。

家庭の軸になっているのは、そのような親が子の与える愛情です。
わたしは、この愛情の欠落や不信が少年少女事件の根底にあるような気がしてなりません。
いわば勘のようなものですが、揺るぎないと思われえていた家庭の軸にブレが起きているような気がします。
その勘に頼って、考察の重心を家庭、親に置いて考えたいと思っています。

愛情を言葉で説明するのは簡単ですが、それを体現するのは難しいものです。
恋愛という愛情を考えてみれば、良く解りますね。
それで年がら年中悩むのが年頃というやつで、それを過ぎても悩むのが今時です。
愛情は内側の事柄だけに厄介で難しいものです。
(難しくなってしまったこと自体が問題だ、という問題の立て方もありますが。)

愛情の欠落、不信は事件を起こした個々の家庭、親だけにおきている現象ではありません。
程度の差はあっても、広く日本を覆っている現象です。
その弱い部分、愛情に替わる支えのない部分(層)が、崩れ始めているのです。
崩壊が連鎖しないという保証はどこにもありません。

家庭、親に事件のベースがあるとして論を進めると、今度は、どうしてそういう家庭、親が出現したかを考えねばなりません。
事件を起こす少年、少女の年齢から推測すると、親の年齢はおおよそ30代後半から40代になります。
出生年時でいえば、1953年頃から1968年頃までです。
高度経済成長の時期と重なります。
そして、その後のより豊かな生活を求めた時代に育っています。
多くは80年代のバブル期に青春時代や新婚生活を送ているはずです。

もちろん、わたしはその世代の人々に責任を負わせようという気はサラサラありません。
わたしが注視しているのはその背景です。
もし世代の責任論でいけば、わたしのような団塊世代の方がよほど罪が重いと思います。
(今、そのツケで右往左往しているのがわたしの世代ですから。)

日本でいう戦後は第二次世界大戦の後という意味ですが、この時期は長い歴史の中でも特異な期間です。
外側(地球環境)も内側(人間の内面)も、今までの歴史には見られないほど、短期間に変化、変質しました。
「もはや戦後ではない」は昭和三十年(1955年)に発せられた言葉です。
戦後の復興期を終え、生活水準が戦前と同じになったからです。
しかし皮肉なことに、今から考えれば戦後の本当の始まりはその時期からだったのです。
現時点から歴史を遡って戦後の意味を問うたなら、復興期が終ったその時から戦後の本質が始まっています。



もし復興期以降の時期を呼び表す適切な言葉があればそれを使いますが、生憎とそのようなものはありません。
焼け跡の何もない地平で夢想した新生活は、復興が終ったときにその第一歩を歩み始めました。
戦いの後始末が終ったとき、戦いの後が始まったのです。

ですから、わたし達の抱えた問題は戦後の問題といえます。
家庭や親の変遷を考える場合、戦後の変化の著しい時期に成育した人々だけに焦点を当てるのは間違っています。
その前(つまりわたしの世代です)を射程に入れて、変化の胎動から考えなければなりません。
先ほどもいいましたが、責任論でいえばそちらの方が重いのです。

愛情という個人の内面の授受は、内面と内面で循環するものではありません。
外面が内面に影響を及ぼし、その反映が再び外面に影響を与るという往復関係にあります。
外面とは社会のことです。
わたしが問題にしている愛情は、当然社会との関連で考察される必要があります。

しかも社会と個人は複雑に絡み合いながら歴史を刻みますから、一つの視点では捉えきれません。
複眼で、そして社会や生活の些細な事柄からその変化を見なければなりません。
残念ながら、わたし達(少なくともわたしは)は頭脳明晰な名探偵ではなく、足で稼ぐ地道な刑事です。
その刑事が地道に足で稼いでも、事件の道筋が見えるとは限りません。
徒労に終るかもしれません。
でもそれをやらないと、わたし達の足下は崩れ落ちます。

わたしの職場に中学生を子に持つ父親の方がいます。
彼から聞いた話です。
子の友達で友人宅を泊まり歩く子供がいるそうです。
自宅に帰るのはほんの僅かで、大抵は友人宅で過ごしています。
時々携帯電話で親と連絡を取り、それで親も安心しているそうです。
特に家出というわけではないそうです。
彼の説明では、親は子供の兄の方を溺愛していて、その子には無関心らしいとのことです。
事の真相は別にしても、それが事件にならない時代なんですね。
わたしにはそっち(事件にならない)の方が事件ではないか思います。


わたしは不安です。
わたし個人の行先も不安ですし、わたしが生きている社会の行先も不安です。
不安とは、その不安の正体が分らない心の状態です。
正体がわかれば、それはきっと安心に変化するはずです。
どんなに困難なことでもそれを克服する策を考ようとすれば、そこには希望があります。
人間は脆いものですが、存外にタフです。

わたし(わたし達)の不安を一挙に解決していくれる、目新しい理論や理屈はもうありません。
コツコツと、わたし達が生きてきた社会や生活の歴史を子細に点検していくしかありません。
「解」があろうとなかろうと、わたし(わたし達)はそうするしかないと思っています。

というわけで、わたしは<iの研究/愛の研究>を続ける決意を新たにしたのでした。

<第六十三回終わり>






BACK→CONTENTS