道路に面したカフェの二階からガラス越しにボンヤリと下を眺めています。
多種多様な自動車が道路を走っています。
わたしは昔から自動車が好きですから、走っている自動車の70パーセンくらいは車種が分かります。
知っていたからといって何の役にも立たないのですが、主に雑誌や新聞の知識で自然に憶えてしまった結果です。
それにしても、日本の自動車メーカーは果たして何種類の乗用車を生産しているのでしょうか?
ふと湧いた疑問です。
自動車雑誌の巻末に載っている、国内で販売されている自動車のリストを見てみました。
最初に出ていたトヨタを数え始めたら約52種類。
ここで数えるのを諦めました。
中身は同じで外装だけ違う自動車、いわゆる姉妹車や、限定パッケージ版、細かなバリエーション違いもあって数えるのに苦労します。
どこからどこまでが同じ車種なのか、区別を付けるのに迷ってしまいます。
こういったマーケティングはトヨタの得意とするところです。
クルマを商品として捉え、商品としての完成度と多様な需要に多様な品揃えで応える戦略です。
トヨタのマーケティングの成功は他のメーカーにも及んで、今やどこのメーカーも同じようなことをやっています。
種類が多すぎて、トヨタで数えるのを挫折した次第です。
ページの分量から推測して、日本車だけで200種類前後の車種がありそうです。
輸入車も目見当では100種類を超えています。
合計で、300種類以上の乗用車が国内で販売されていることになります。
わたしが小学生の頃、つまり1960年前後に販売されていた日本車。
クラウン、コロナ、セドリック、ブルーバード、こんなものでした。
スバル360とかパブリカもこの時期でしたが、いずれにしても10種類に満たない車種です。
この時期は日本の自動車産業の始動期といっていいと思いますが、それから40年余り、変われば変わったものです。
この自動車産業と共にわたしは成長していきました。
日本のモータリゼーションと共に育ったのです。
個人的なクルマに対する想いを交えながら、二回にわたって自動車を研究して見たいと思います。
我が家にクルマがやって来たのは1962年だったと記憶しています。
年期の入った中古のセドリックでした。
当時は「タク上」と呼ばれたタクシーの中古車が出回っていたくらいで、程度の良い中古車は皆無でした。
20万キロも走ったタクシーの中古車をありがたがって乗っていた時代です。
他所(よそ)の家に比べると比較的早い時期の購入ですが、それは父がメカ愛好者だった所為です。
ま、それとですね、車を買って心機一転というか、心を入れ替えるというか、そのような家庭的事情もありました。
詳しくは書けませんが、心機一転しなければならない事情があったのです、当家には。
どこの家庭にもいろんな事情があるように、ね。
その時の感動はテレビ導入時に比すれば劣っていましたが、かなりのインパクトであったことは事実です。
わたしはその前あたりからクルマに夢中でした。
「月刊自家用車」という雑誌を毎月購読していましたし、クルマのカタログも収集していました。
雑誌の広告を見て、カタログをくれそうな会社には片っ端からハガキを出しました。
当時の印刷事情から考えると、カタログは飛切りの高品質印刷でした。
良く憶えているのは、イラストレーションだけで構成されたアメリカ車のカタログです。
写真を一枚も使わず、リアルでファンタスティックなイラストレーションだけ。
たしか、ステーションワゴンのカタログだったと思います。
アメリカのクルマと家庭が淡い色調で楽しげに描かれていました。
ステーションワゴンでピクニックに出かける家族。
犬もいたような気がします。
それを眺めていると、遠い世界から楽しげな笑い声が聞こえてきたような気がしました。
我が家のツートンカラーのセドリックで近くをドライブしたり、時には遠くの親戚を訪ねました。
それと記憶に残っているのは、近くに借りていた駐車場のセドリックに夜一人で乗り込んだ時です。
停っているセドリックの座席に座って、ラジオから流れる音楽を聴いていました。
家の生活臭とは無縁の心地よい無機質な空間でした。
あの当時の日本の自動車の傾向はアメリカ車の影響下にありました。
なんといってもテールフィン(後部が跳ね上がったスタイル)全盛の'50年代はアメリカ車の黄金時代でしたから。
歴史を見れば欧州が自動車の本流ですが、大衆化はアメリカから始まりました。
大量生産方式のT型フォードがその始祖で、華やかに花開いたのが'50年代から'60年代にかけてです。
雑誌やカタログと同時に、その頃は自動車の年鑑も購読していました。
「世界の自動車」で、グラビアに国別に自動車が掲載されていました。
本の巻頭に掲載され、ページ数も断トツに多いのがアメリカ。
その中の一台、たしかビュイック・リビエラだった思いますが、その流麗なスタイリングと、パーティに出かけようとして乗り込むドレスアップした女性とエスコートする男性の姿もしっかり憶えています。
これも遠い世界の、夢のような情景でした。
さて、話かわって今年の酷暑。
暑かったですね〜。
わたしなんか虚弱体質ですから、よくぞ乗りきった、と感心しています。
東京もヒートアイランド現象とかで暑かったですが、イナカも暑かったですよ〜。
わたし自身の感覚では、イナカ(山梨)の方が数段暑かったです。
37、8度がザラでしたし、何といっても駐車場からの照り返しに参りました。
イナカはクルマ社会ですから、道路沿いに商業施設があると必ず広大な駐車場があります。
駐車場はコンクリートかアスファルト。
これが暑いんですよ!
わたしの職場なんか周り中駐車場だらけ。
横がWINS関係の駐車場で、真ん前はパチンコ屋の駐車場。
太陽の熱がコンクリートに反射して、それはそれは暑かったです。
コンクリートジャングルとは都会の代名詞ですが、今やイナカもコンクリートジャングルです。
駐車場に停めてあったクルマを用事で出そうとして、ドアを開ければそこは灼熱地獄です。
ハンドルが熱くて握れない。
サウナで運転しているようです。
これがないだけ、電車主流の都会の方が過ごしやすいと思いました。
カラーテレビとクーラーと自動車で3C、それが家庭の新三神器といわれのは1970年代の初め。
そのころの自動車は一家に一台でした。
今イナカでは一人に一台の時代です。
特別イナカの人がクルマ好きというわけではなくて、そうでないと生活が成り立たないのです。
クルマの普及が公共交通機関の衰退に拍車をかけて、イナカではクルマなしでは何処へも行けなくなりました。
通勤も買物も、すべてクルマです。
わたしは時々自転車で遠乗りします。
夕刻に走るのが好きです。
街がビジネスタイムから寛ぎの時間に変わる隙間のような時間帯。
道路は仕事帰りや買物のクルマで渋滞しています。
サドルを上げ気味にして乗っていますから、視線はクルマを見下ろす感じになります。
数珠繋ぎになったクルマの中では、人々が思い思いのスタイルでシートに腰掛けています。
携帯をかけている人、ラジオをチューニングしている人、助手席の人と話をしている人。
一番多いのは、一人でぼんやり遠くを見ながら(考え事をしながら)ハンドルに手を置いている人。
それは、断絶したボックス状の空間が延々と連なった風景です。
普段はわたしもその空間でラジオを聴いたり、考え事をしています。
従うのは信号や道路標識だけで、他のクルマや歩行者に気をつけていれば誰も干渉しない空間です。
今のわたしは自転車、風景や空気と連動した空間に身を置いています。
とても不思議な感じがします。
同じ路上にいながら、別の世界にいるようです。
少なくとも人と自動車が対等にいる都会では、感じることのない感覚です。
この感じをあえて説明すれば、クルマの人を憐れむような感覚です。
それは、普段はクルマの人である自分自身を憐れむような感覚です。
この時、自分自身が随分遠いところまで来てしまったことに気がつきました。
カタログを、「世界の自動車」を、見ていた時代から・・・・。
イナカで一人に一台のクルマがあるということは、一人が一台のクルマを購入していることになります。
(もちろんイナカの人全員が一台づつ所有しているわけではなくて、成人以上のおおよその状況です。)
当たり前すぎるほど当たり前のことですね。
でも、イナカだからクルマが安いということはありません。
何処で買っても同じです。
ではイナカの人の収入が高いかというと、都会より低いのが普通です。
となれば、ローンを利用して購入することになりますね。
ローンとは、借金です。
「お金がないのなら、お貸ししますよ」、「だけど、チャンと返してね」がローンです。
借金だと口当たりが悪いので、ローンといってるだけなんです。
かくいうわたしも、今のクルマはローンを組んで購入しました。
車検証を見ると、九州の知らない会社が所有者になっています。
クルマの所有車の何パーセントがローンを組んでいるのかは分かりませんが、少なからずの人が利用していることは間違いありません。
クルマは高価な耐久消費財ですが、それの維持にも多額を要します。
ガソリン代は言うに及ばず、車検や各種税金、保険料などが必ず必要です。
ぶつければ修理しなければなりませんし、時には故障だってあります。
これらの費用もバカにはならない金額です。
イナカに行くと、女性ドライバーと軽四輪の多さが目につきます。
何処に行くにもクルマが必要だから、イナカでは女性も運転が出来ないと不便です。
軽四輪は購入費用と維持費が普通車に比べるとかなり安く済みます。
一人に一台となると、選択肢として軽四輪が浮上するのは当然ですね。
しかも普段乗るのは一人か二人ですから、軽四輪で充分事足ります。
(女性の場合、やむおえず運転する人の方が多いですから、小さい車の方が楽ですしね。)
イナカのロードサイドで目立つのは、ファミレス、クルマのディラー、中古車センター、大型量販店です。
それと、消費者金融の無人店舗。
車をローンで購入する時、誰でも返済計画に無理がないかどうか考えます。
無理がないと思ってハンコを捺しても、余裕の幅が狭いとアクシデントでパンクしてしまいます。
転職、病気を始め予測の付かない出来事は意外に多いものです。
アテにしていたボーナスが出なかった、ということも昨今の世情ではありますね。
消費者金融とはその名の通り、消費する資金を主に融通することです。
「商品を買うお金がないなのなら、お貸ししますよ」が、消費者金融です。
消費者金融の興隆を見ていると、世の中の多くの人が借金をして商品を購入している事実にぶつかります。
家、クルマという大物からギャンブルやアミューズメント、教育まで、商品の幅も昔とは段違いに広くなっています。
(支出の大半が商品の購入やローンに充てられているので、予定外の見舞いやお祝いがあると消費者金融というケースもありますね。)
昔、借金といえば質屋が普通でした。
質草を預けてお金を借ります。
返せなければ、質草が流れるだけで返済の必要はありません。
健全な借金と言えますね。
その質屋にしても町に一軒あれば良いほうでしたから、今の消費者金融の店舗数の多さは、借金で経済が回っていることを暗に証明しています。
高額の耐久消費財を一人が一つ持てることは、豊かでないとできません。
豊かではあるが、その豊かさを支えているのが借金だとしたら、ことは複雑です。
クルマがないと生活できない、クルマがないとデートもできないので結婚も出来ない。
イナカでは、クルマは生活必需品です。
生活に欠かせない道具であるクルマは、他方自己表現のアイテムだったり、ステイタスだったりもします。
この多面性がクルマの面白さでもあり、厄介な面でもあります。
それらをすべて引っ括めても、消費に借金が必要な社会は健全とはいえませんね。
労働が道具の借金の返済のためだとしたら、どこかで本末が転倒している気がします。
「好きなときに、好きなところに、行ける」、自動車の魅力ですね。
この移動の自由が自動車の最大の利点です。
一人が一台の車を所有しているということは、その個人が移動の自由を持っているということです。
もちろん都会の人にも移動の自由はあり、電車やバス等の公共交通機関がそれを保証します。
しかし決定的に異なる点があります。
移動にプライベートな空間が伴うことです。
クルマは基本的にプライベートな空間です。
他人のクルマに乗り込むとき、わたしはつい「お邪魔します」と口走ってしまいます。
貴方もそうではないでしょうか。
他人の空間に入るから、「お邪魔します」ですよね。
電車でウォークマンを聴くのもプライベートな行為ですが、それは疑似的なプライベート空間の創出です。
クルマというリアルな空間と疑似的な空間は同質でありながら、その差が大きいのも事実です。
イナカにクルマ絡みの犯罪が多いのは、このプライベート性と関わっています。
女性が夜外出するのは治安の良い日本でも恐怖心が伴います。
しかしクルマに乗り込んでしまえば、そこは自分の空間ですから安心できます。
安心ですが、もしそこで犯罪がおこったら、そこは密室ですから誰も気がついてくれません。
「お邪魔します」、がないと入れない空間だからです。
それを逆手にとった犯罪が多いのが昨今のイナカです。
又、移動の自由は犯罪の発生場所や発見場所の広域化を意味しますから、解決も難しくなります。
一人ひとりが家の外にプライベートな空間を持つ、それは家の外に個室を持つと同義です。
移動する個室です。
今そこが何処で、そこで何が行われているかは、家族の関知するところではありません。
関知しようにも物理的に関知できないのですから。
もしその空間を取り上げてしまったら、その人は生活ができないというイナカの現実もそこにあります。
イナカに郊外が出来たのはいつ頃のことでしょうか。
わたしの居住している山梨では20年前ぐらいだと思います。
自動車の普及と住宅環境の改善、企業の誘致と道路建設が重なって、人口が市街地から郊外に移りました。
一番の原因は自動車の普及、わたしはそう考えています。
人々が移動の自由を手に入れ、狭い家屋と駐車場難に別れを告げて郊外に移っていきました。
経済成長がその背景にあります。
誘致された企業にも自動車で通えば無理なく通勤できます。
造成された新興住宅街のそばにはショッピングセンターもできました。
学校も新設、増設され子供の教育環境も整いました。
その間を繋ぐ道路には色とりどりの自動車が走っています。
もう、時間を拘束するうえにアテにならないバスとはオサラバです。
一方、人がいなくなった市街地は無残な状況を呈し始めます。
昼日中、市中の繁華街の半数近くはシャッターが降りたまま。
夜の七時ともなれば、そこにいるのは裏通りのバーや風俗店の怪しげな呼込みだけ。
とてもじゃないが女性は怖くて歩けません。
商業地の栄華衰勢と言ってしまえばそれまでですが、そこで育ったわたしには一抹の淋しさがあります。
アーケードの下が人で賑わっていた時代を懐かしく思ってしまいます。
単なる懐古趣味かもしれませんが・・・・。
無意識に憧れていたアメリカの郊外がイナカに実現した面映ゆさと、賑わいの消えた市街地の侘びしさが、わたしの中で矛盾した感情の渦になっています。
その感情は、自転車で渋滞する自動車を眺めたときの不思議な感じと似ています。
自分の立っている場所がアヤフヤな、足が地から浮いているような感覚です。
自動車が好きなわたしが、自動車の悪口に終始した研究の(1)でした。
(2)では地方から離れて、もう少し広いところから自動車を考察してみたいと思います。
<第五十二回終わり>
<自動車>の研究(2)に続く
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