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iの研究



第五十一回 <ピンポン>の研究


久し振りの卓球でした。
わたしの職場はWINS(場外馬券場)の真ん前のレストラン(食堂)。
斜向かいはパチンコ屋。
見事な職場環境です。

パチンコ屋はボーリング場もやっていて、ボーリング場にはゲームセンターもあって、ゲームセンターの一角には卓球台も一台あって。
そこで一時間打ち続けました。
相手は同じ職場のKさん。
マイラケット持参でやってきましたが、いざ始めたら、真面目にやるのは小学校以来というわたしと同程度の実力。
白熱のラリーとはいきませんでしたが、時々マジに打ち合って楽しかったです。

映画の「ピンポン」を観て、マンガの「ピンポン」を読んだら卓球がやりたくなりました。
小学校の高学年時に、隣町の隣町にあった卓球場にしばらく通ったことがあります。
隣町の隣町は元遊廓でしたが、当時はそんなことも知りませんでした。
建物の前面がタイル模様になっている遊廓特有の意匠の家々と、卓球場の床が土だったことぐらしか憶えていません。

それから卓球をやったのは数回ではないでしょうか。
屋内釣り堀の奥にあった卓球台で、山梨の実家に遊びに来てくれた知人達と打ったのが8年ほど前。
それ以来でした。
よくぞというくらい身体(からだ)が覚えていてくれて、恥をかかずに済みました。

実をいえば、頭の中で「ピンポン」のプレイヤーの華麗なプレイを少しイメージしていました。
自己流イメージトレーニングです。
その所為も、多少はあったような気がします。
「カタチから入る」、がわたしのパターンですから・・・・。


松本大洋は絵の上手いマンガ家です。
わたしは(自分の基準で)絵の上手いと思うマンガ家が好きで、絵からマンガに入ります。
例えば、ひさうちみちお、江口寿史。
大友克洋もメチャ絵の上手いマンガ家ですね。

松本大洋の画面が他のマンガに比べて白いのは大友克洋の影響かもしれません。
松本大洋も大友克洋も映像的なマンガを描きますが、決定的に違うのは線です。
スラッとしていてキッチリした線が大友克洋。
フリーハンドで曲がりくねりながらも、デッサン力の確かさを見せつけるのが松本大洋の線。

松本大洋はリアルな現実を描いていても、その線と慌ただしく変わるアングルとコマ割りで、そこに超現実の世界を同居させます。
松本大洋は何でああいう顔を描くのでしょうか。
実に不思議な顔の描き方です。
デフォルメじゃなくて写実なのに、実に不思議な顔です。
魚眼レンズで覗いた人の顔のようです。

10年前ぐらいに出会った松本大洋の描く顔が忘れられませんでしたが、マンガを通して読んだのはつい最近。
知合いの美術作家に借りた「GOGOモンスター」が、それです。
小学校を舞台にしたホラーともいうべきストーリーですが、松本大洋の力量の程(ほど)が分かる作品です。
現実と次元の違う現実が交錯した、何ともいえない読後感を残す作品です。

そして、「ピンポン」。
今度は藍画廊のアシスタントのKさんから借りました。
「GOGOモンスター」が純文学的ともいえる作品であるならば、こちらはマンガ的世界の王道を行っています。
とりあえずスポ根物ですから。

骨格は紛れもないスポ根ですが、中身はさすがに違います。
しかし変格で違うのではなくて、本格で違う。
そこが、松本大洋の力量の程です。



話をわたしの時間軸に沿って進めます。
最初に観たのは映画の「ピンポン」。
無性に映画館で映画が観たくなって、藍画廊の斜向かいの銀座テアトルシネマで観たのが数週間前です。
ギリギリに入場すると座席は前の方しか空いていません。
「ピンポン」の人気の程が分かりました。

今これを書いているのは原作のマンガも読んだ後ですから、原作との比較も交えてまず映画の「ピンポン」の話をしたいと思います。
予告編で観た「ピンポン」は荒唐無稽な卓球映画を想像させましたが、本編は極々まともな青春映画でした。
CG のテクニックが映画のウリの一つでしたが、ストーリーに溶け込んでいて、それだけが突出していなかったのはお見事です。
原作に忠実という予備知識はありましたが、原作を読んでみると確かに忠実です。

原作から省いたエピソードはほんの僅か。
原作を纏(まと)めあげた脚本の勝利です。
忠実でありながら、この映画には映画の面白さがあります。
映画の持つリズムというか、スピード感。
テクノを主体とした音楽がそれに一役買っています。

原作が白い画面を特徴とすれば、映画はライトな色彩の世界です。
卓球の試合のシーンに顕著な、陰影のないフラットな画面に配されたビビットな色。
赤、青、黄、緑といった原色が浮遊するようにスクリーンに映し出されます。
軽い(ライトな)原色が効果的に使われています。

ペコ(星野裕)とスマイル(月本誠)は幼馴染み。
ペコは天真爛漫、スポーツ万能の腕白でクラスの人気者。
スマイルは自閉気味でイジメられっ子。

ペコはそんなスマイルを通っていた町の卓球道場に誘って、二人は卓球道を歩みます。
同じ高校(片瀬高校)に進学したペコとスマイル。
インターハイを舞台に、ライバルとの戦いやコーチとの葛藤が物語の主軸です。

ライバルは卓球エリート校海王学園のドラゴン(風間竜一)や、中国から辻堂学園にやってきた留学生チャイナ(孔文革=コンウェンガ)。
そこに絡むのが、ペコやスマイルと同級生で町の卓球道場でも仲間だったアクマ(佐久間学)。
アクマはドラゴンに憧れて海王に進学しました。

コーチは片瀬高校の卓球顧問小泉と町の卓球道場タムラの主オババ。
二人は昔馴染みで、それぞれスマイルとペコをコーチします。

物語はインターハイ予選前から一年後の予選決勝までの一年余りです。
ペコの高一から高二までが主な舞台になっています。

白いポロシャツの胸に赤い星のマーク、下は紺の半ズボン。
映画に登場した卓球スタイルのペコの出立ち。
スマイルは胸に黄色い月のマーク。

迂闊(うかつ)なわたしは赤い星をコンバースのマークかと思いましたが、もちろん星野=星ですね。
(↑スポーツブランドに侵されているアホなわたしです。)
これが二人の性格を表しています。
星(スター)でヒーローであるペコと、月のように静かに明かりを反射するだけのスマイル。
スマイルとは、決して笑わないことから付けられた反語的ニックネームです。

ペコを演じるのは窪塚洋介。
ドンピシャというか、窪塚くんが巧いのか、とにかく役がハマっています。
マンガのペコは演技の難易度の高いキャラですが、それを上手く演じている上に窪塚くんの魅力も炸裂しています。
この映画が面白いのはペコと窪塚くんの魅力が一体化しているからです。
映画の成功の半分以上は、それです。

マンガと最も異なるイメージはオババです。
マンガのオババは文字通りオババです。
映画で演じているのは夏木マリ。
色っぽいんですよねぇ、夏木マリのオババは。
この人は年齢を重ねるごとにバケますね。
「絹の靴下」(デビュー曲です)からは想像も出来ない熟成ぶりです。

ワリを食ったのは片瀬高校の顧問小泉先生役の竹中直人。
いつもの竹中直人のコミカルな演技ですが、存在感で圧倒的に夏木マリの勝ちです。
オババと小泉先生は対(つい)の役柄ですから、コントラストがハッキリ出てしまいました。
ついでにいえば、竹中直人の小泉先生は若干ミスキャストです。
マンガのとぼけた小泉先生の味は竹中直人の個性とは違うからです。



ペコはヒーローです。
「ピンポン」は、ヒーローの挫折と再生の物語です。
ですから、今回の研究は<ヒーロー>の研究の続編でもあります。

ペコは何をやっても飛び抜けていて、世界を手中にしていた少年です。
肉体(からだ)を自由自在に繰って同年代の少年の憧れでした。
勉強はやらないが、頭の回転の速い少年です。
チャッカリもしていて、それが憎めない少年でした。

「この星の一等賞になりたいの卓球で、俺は!そんだけ!」。
この星の一等賞は、世界一ということです。
それを「That's all」で片づけてしまう少年がペコ。
生意気がキラキラ輝いているような少年、それがペコ。

世界は黄金色で未来は限りなく明るい。
それを手中にしていたペコが挫折を味あうのは高校入学後です。
有り余る素質だけで周囲に君臨していたペコは異変に気が付きます。
世界が手からこぼれだし、現実という世界がペコの前に姿をあらわし始めます。

「卓球なんて、死ぬまでの暇つぶしだよ」、とうそぶくのはスマイル。
虚無(ニヒル)です。
自閉した少年のスマイルを明るみに引っ張り出したのはペコです。
卓球で肉体を使った自己表現をスマイルに教えたのです。

しかし、スマイルは自閉したまま。
虚無(ニヒル)で卓球を続けています。
それだけしか自己表現できないスマイルは卓球に集中します。
気が付いたら、ペコの先を行っていました。

片瀬高校のエースは一年生のスマイル。
顧問である小泉先生もライバル達も注目するのはスマイルです。
それに気が付いていながら、明後日(あさって)の方向しか見ようとしないペコ。

アクマはペコとスマイルの幼馴染みで、卓球道場の仲間です。
ペコに対するコンプレックスがバネとなって卓球道を邁進し、エリート校海王に進みます。
ペコの挫折が決定的になるのは、インターハイ予選でアクマに完璧に打ちのめされた時です。
かつては相手にしなかった相手に、相手にされなかった屈辱です。
世界が手中からスルリと逃げた瞬間です。

オババにとっては、ペコもスマイルもそしてアクマも愛すべき門下生です。
スマイルは小泉先生の愛弟子(ラヴァー)になり、アクマは海王に巣立った。
オババにとってのラヴァーは、ペコです。
その才能に、オババは恋していました。

迷える小羊となったペコが逃げ込む場所はオババのところ。
そこがペコに許された唯一の世界だからです。
世界を再び手中に取り戻すには、出発点に戻るしかないのです。

オババの特訓が始まり、ペコは己の肉体と対話を始めます。
限界を超えて次のステージにいく快感を学習し始めます。

「この星の一等賞になりたいの卓球で、俺は!そんだけ!」、これがペコのすべてです。
それ以外の何もないのがペコです。
カッコ良いでしょ!
こういうセリフを一度でもいいから吐いてみたいですよね。

でもそういうセリフが吐けるのはヒーローだけです、残念がながら。
アクマは、憧れのドラゴン(高一でインターハイ制覇)が異常に評価するスマイルに嫉妬して片瀬高校に押し掛けます。
掟破りの非公式戦をスマイルに申し込みます。
負けたら即退部です。

卓球道場では明らかに格下だったスマイルに、ドラゴンが流し目を送るのが我慢できなかったからです。
練習量では誰にも負けない自負がアクマにはあります。
結果は惨敗。
天分という非条理に打ちのめされて卓球から足を洗います。

敗者同士となったペコとアクマが会うシーンがあります。
(このシーンはマンガだけだったと思います。)
そこでアクマはペコがどういう存在であったか告白します。
ヒーローに反発して死ぬほど努力した自分が結局は「飛べない鳥」であり、そのヒーローも地に墮ちている。
これはやり切れないですね。

夢というものがあって、それに周りの少年が巻き込まれる。
「この星の一等賞になりたいの卓球で、俺は!そんだけ!」。
これは、夢でしょ。
夢以外の何者でもない。
それを実現しそうな少年に、違う道を選んで人生を賭けたアクマ。
それは、アクマの夢です。

自分の夢が破れて、その因を作ったヒーローが地上に落下している。
やり切れないですよね。

この時、ペコは自分がヒーローであることに目覚めます。
自分が巻き込んだ過去に決着をつける覚悟を決めます。
そして、オババの元に奔ります。
夢の原点に戻るのです。


こうやってストーリーを綴っていると、典型的なスポ根に見えますね。
でも、違います。
マンガも映画も、軽やかなリズムと笑いがちりばめられています。
少年達の喜怒哀楽がアッチにいったりコッチにいったりして、楽しめます。

この物語が凡百のスポ根と違うのは、個人以外の何者にも動機を求めていないことです。
家庭とか、育った環境とかはほとんど登場しません。
描かれているのは卓球と個人だけ。
ペコの両親とか兄弟とか、どういう家庭環境でどう育ったかは全然関係ない。

ペコと卓球の関係だけで物語は直線的に進みます。
(よって、青春物でありながら恋愛関係はゼロ。)
卓球を軸にした個人の関係だけが登場人物を結ぶ線です。
この大胆な捨象が逆にヒーロー像を鮮明にします。

チャイナは高校生でありながら職業的卓球家です。
彼のキャラクターによって、作品世界が日本の一地域の予選という範疇から超えていきます。
「この星の一等賞になりたいの卓球で、俺は!そんだけ!」、がリアリティを持つ重要な役です。

本国で挫折して日本で再起るチャイナに再び襲う挫折。
それは、日本の高校生の卓球を舐めきった自分へのしっぺ返しです。
屈辱の予選敗退後日本に居残ることを決めたチャイナ。
卓球にすべてを賭けた己の最後を見届けようとする悲壮な決意です。

物語は星と月、つまりペコとスマイルの関係を軸に展開されますが、クライマックスはペコとドラゴンの試合。
一年後のインターハイ予選準決勝です。
前年度に全国制覇を達成したドラゴンは無敵です。
眼中にあるのはスマイルだけ。

五人の若者によって繰り広げられる物語で、一番暗いキャラはこのドラゴンです。
眉毛まで剃ったスキンヘッズの強面のドラゴン。
彼は試合前いつも便所に籠ります。
そこで自問自答するのです。

何のために卓球をするのか、誰のために卓球をするのか。
死ぬほど練習して苦労するのは何のためか。
「意味」を求めて堂々めぐりを繰り返します。
結論から言ってしまえば、そこには「意味」などありません。
「意味」の地獄にハマってしまったドラゴンは不安に怯えながら便所で自問自答します。

ペコは猛特訓の後遺症である膝の不調を乗り超えて復活します。
それを鮮やかに描いているのがドラゴンとの準決勝。
ヒーローとは何であるか、という「ピンポン」の物語の答もそこにあります。

ヒーローは、高く跳んで飛翔するものです。
地上では決して見えない「景色」を見ることができる存在です。

「景色」とは何でしょうか。
「景色」とは、すべての「意味」が消え去った後に現われる光景です。
ヒーロー(ペコ)に伴われてその高みまで登ったドラゴンは、経験したことのない躍動感に襲われます。
「全身の細胞が歓喜している」、「加速せよ、と命じている」、「加速せよっ・・・」、「加速せよっ・・・!!」。

「反射する頭脳」、「瞬発する肉体・・・」、「全力で打球している」、「全力で反応している」。
「怯える暇などない」、「怯える必要など・・・」。
「意味」が消し飛んで、そこにあるのは卓球をしている喜び、楽しさだけ。
そういう、「景色」です。

「この星の一等賞になりたいの卓球で、俺は!そんだけ!」。
実に「意味」のない言葉ですね。
それをやってのける素質(可能性)を持ったペコの挫折と再生が、「ピンポン」なのです。

スマイルはず〜とペコを待っていました。
可能性が現実になる日を待っていました。
ヒーローの復活を誰よりも待ち望んでいたのはスマイルです。
そこでペコと出会えば自分も高く飛べると信じていたからです。
「笑う」ことを取り戻すには、ヒーローが必要なのです。

決勝戦はペコとスマイル。
幼いころとは全く違った「景色」で戦う二人。
物語の熱くて静かな終焉です。

モハメド・アリはフレージャー戦で挫折し、アフリカの夜に復活しました。
前回の研究です。
ペコとドラゴンの戦いは、アリとフォアマンの戦いを彷彿させます。
フォアマンという強い相手によって、より高いところまで飛んだアリ。
その衝撃で一旦は沈んだフォアマンですが、その「景色」を求めて十数年後にカムバックします。

アリの見せてくれた「景色」。
それはヒーローだけが見せてくれる「景色」です。
リングの外で見ていたわたし達にとって、それは多分夢と同義です。
夢とは願望ですが、可能性でもあります。
アリの大義とは、そういった夢の束だったのかもしれません。



<第五十一回終わり>





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