三度目の正直というのは、本当にあるものなのですね。
一度目は、ウィンブルドンでダメ。
二度目は、台風でダメ。
三度目にやっと観ることができました。
予約録画の話です。
二度までフラれると、どうしても観たくなります。
映画「甘い汁」、がね。
梅子さん(京マチ子)は、水商売の女です。
歳は36才。
子供が一人。
17才の高校生で、名前は竹子さん(桑野みゆき)といいます。
「甘い汁」は、梅子さんと、竹子さんの物語です。
主役は梅子さんで、辰岡(佐田啓二)という昔の恋人も重要な役柄ですが、主役に対するのはやはり竹子さん。
「甘い汁」は梅子さんと竹子さんの、母子である女の物語です。
しかし、毎日暑いですねぇ。
もうエアコンなしでは過ごせません。
だけど、梅子さん家(ち)にはエアコンなんかありません。
六畳と三畳の二間に小さな台所に、一家八人が住んでいます。
映画は1964年制作の現代劇ですから、当然エアコンなんかない。
団扇(うちわ)と扇子(せんす)の世界です。
夜寝るときなんか、立錐(りっすい)の余地もありません。
雑魚寝状態。
夏の夜、想像しただけでも暑いですねぇ。
それでもって、梅子さんは女給(ホステス)ですから夜明けごろ帰ってきます。
酔っぱらっているから、寝ている家人の頭を平気で蹴飛ばします。
梅子さんと竹子さんは、一家の厄介者です。
梅子さんは出戻りではないのですが、父無し子(ててなしご)である竹子さんがいて水商売の女。
近所で後ろ指を指される存在です。
夜明けに帰ってきた梅子さんはバタンキューで寝ようとしますが、竹子さんに起こされてしまいます。
授業料が未納だったり、寄付金が未納だったり、揚げ句の果てには竹子さんのブラウスとスカートを無断借用。
ひどい母親ですね。
戯れているような親子ゲンカで家人は寝ていられません。
梅子さんの弟一家(嫁と子供と赤ん坊)は三畳間に住んでいますが、弟がたまりかねて襖(ふすま)を開けて怒鳴ります。
「いい加減にしろ!」。
そこまではいいのですが、弟の嫁が梅子さんをなじると場外乱闘になってしまいます。
十五の時から働きに出て、事故で父を失った一家を支えた梅子さんの怒りが爆発します。
「又、始まった」、といった表情でノソノソ起き上がって朝の支度にかかる梅子さんの母(沢村貞子)。
口をついて出るのは、老いた自分の情けない境遇のグチばかり。
ケンカを止めるのは梅子さんの下の弟。
独身で印刷工場勤務。
そうこうしているうちに、朝食の時間になり各自が食事をとって出勤、通学と相成ります。
寝不足の一日が始まるわけですね。
梅子さん?
梅子さんはこれからぐっすり寝て、夜の戦場にそなえなければなりません。
だって、梅子さんは戦士ですから。
女、というね。
梅子さんが生活する世界は、子供立入り禁止の大人の世界。
「甘い汁」をすすろうとする大人が蠢(うごめ)いている世界です。
バーや連れ込み宿(ラブホテルです)が舞台ですから。
この映画の製作された時、わたしは中学三年生でした。
その六年前ほど、つまり小学校四年生の時ですね。
近所に「アンネ」というバーがありました。
「アンネの日記」の「アンネ」です。
わたしは小学校三年生の時に十数度目の引っ越しで、地方都市の駅前に戻ってきました。
この年頃は自我が目覚める時期です。
人見知りの性格もあいまって、近所の子供の輪に入っていけませんでした。
夕方になると二階の自分の部屋の窓から、通りで遊んでいる子供たちを見つめていました。
ある時、「アンネ」の子供がわたしを遊びに誘ってくれました。
多分、見るに見かねたのでしょうね。
「アンネ」の子供はわたしより二つ年上で、ヤマウラくんといいました。
ヤマウラくんのあだ名は「アンネ」で、皆から「アンネ、アンネ」と呼ばれていました。
ヤマウラくんのおかげでわたしは遊びに加わることができ、学校がひけると通りで遊ぶようになりました。
ヤマウラくんは不良でした。
近所にも悪ガキがいましたが、ヤマウラくんは別です。
何か、荒れていました。
近所の子供たちからも嫌われていて、一匹狼のような存在でした。
でもわたしには優しくて、一度だけヤマウラくんの家に遊びにいったことがあります。
ヤマウラくんの家は、バー「アンネ」とその奥の狭い住居です。
子供心にも、ここは子供立入り禁止の場所だなと思いました。
大人の複雑で錯綜した関係がエッチと入り交じって、子供をシャットアウトしているのです。
アルコールと紫煙と香水の匂い、バーカウンターの頭上の非日常的な照明。
遊びにいった昼下がりでも、すえたような夜の残り香がありました。
梅子さんの戦場はそういった場所なのですが、思い出話をもう少し続けます。
ヤマウラくんはお母さんとお兄さんと三人暮らしです。
お兄さんは中学生で、やっぱり不良です。
遊びに行ったとき、お兄さんもお母さんもいました。
が、わたしには無関心。
お母さんはどこかのオジさんと話をしていました。
わたしとヤマウラくんはテレビを見ながらボソボソと話をしました。
ヤマウラくんの思い出は、その時とメンコで負けた子供をヤマウラくんが不当に殴った時しかありません。
ヤマウラくんが中学に行って疎遠になってから、少年院に行ったという噂を聞いたのが先か、ヤマウラくんが引っ越したのが先か、これも憶えていません。
気がついた時には、「アンネ」はなくてヤマウラくんの姿もなかったのです。
ヤマウラくんがその先どうなったのかは全く分かりません。
ヤクザになったのか、堅気で生活しているのか・・・・。
あの時代、年中遊んでいた近所の悪ガキより半年足らずの交友であったヤマウラくんの記憶の方が鮮明です。
人間の記憶の不可思議さです。
梅子さんが戦場にしていた子供立入り禁止の場所から、そんなことを思い出してしまいました。
あの時代のそういった場所は、今のフーゾクとはちょっと違います。
大人と子供の領分がハッキリ別れていた時代の、そういった場所でした。
「甘い汁」は、そこを舞台にした「女」の映画です。
物語を簡単に説明します。
東京の、とある街のショッピングセンターの開店日。
チンドン屋が練り歩いています。
その奥にある飲屋街。
バーの店内で客の取合いを巡ってとっくみ合いのケンカをする女二人。
その一人が梅子さんです。
止めに入るバーテン(小沢昭一)。
梅子さんを取りなすバーテンは、オイシイ話を持ちかけます。
二号さん(←死語、愛人のことです。)の話です。
箱根で旦那(小沢栄太郎)と会う梅子さん。
話がとんとん拍子で進み、藤沢の別荘をあてがわれるところまでいきます。
(但し、旦那に忠誠を誓うのが条件。)
突然の落雷に小娘のように脅えて(←演技)、旦那の待つベッドに飛び込む梅子さん。
後は、ご想像下さい。
ルンルンで帰京した梅子さんを待つバーテン。
案の定、梅子さんの肉体(からだ)目当て。
はぐらかした梅子さんですが、その代償はオイシイ話の消滅。
振り出しに戻る、です。
自棄酒(やけざけ)で、したたか酔った梅子さんが帰るのは前述の六畳/三畳/台所。
その後の顛末は前述通りです。
ショッピングセンターの開店と同時に取り壊される市場のような商店街。
時は1964年。
オリンピック招聘で始まった高度経済成長です。
梅子さんの家。
弟嫁の兄(万年筆の行商)が泊まりにきます。
註:万年筆の行商とは、「工場が焼けてクビになり、現物支給で渡された退職金代わりの万年筆を安く商う」行商です。カッコ内はもちろん嘘で、インチキです。でも、それがまかり通ったノンキな時代です。
しかし、一家八人で満杯の家に平気で泊まりにくる親戚や友人。
これ又、ノンキな時代でした。
この男、久し振りに会った竹子さん成長振りに欲情し、夜中にちょっかいをだします。
驚いて家の外に出る竹子さん。
梅子さんは今夜も酔っ払い。
僚友(池内淳子)と肩を組みながら千鳥足。
表で佇む竹子さんから話を聞いた梅子さん。
一人前の女になってしまった竹子さんに、感慨深げ。
梅子さんの回想。
梅子さんは結婚を約束した恋人辰岡(佐田啓二)がありました。
しかし、その時すでに幼児の竹子さんがいました。
夜、母に竹子さんを預けて恋人の車に乗り込む梅子さん。
泣きながら追いかけてくる竹子さん。
車を止めさせ、降りて竹子さんを抱きしめる梅子さん。
その光景をじっと見つめて、決心したように車を出させる辰岡。
家、テープレコーダを持って帰宅した竹子さん。
クラブ活動の舞踊の練習用です。
それをチラッと見る梅子さん。
バーです。
テープレコーダーを操作しながら良からぬ相談をするマスターと梅子さん。
美人局(つつもたせ)です。
註:美人局とは、家庭のある男性をたぶらかし、動かぬ証拠を突きつけて脅すビジネスです。動かぬ証拠=実況放送のテープですね。
梅子さんがこんな事までやるのは、どうしても竹子さんと二人ッきりでアパートに住みたいからです。
その為の、止むぬ止まれぬ資金稼ぎです。
連れ込み宿にテープレコーダーを預ける梅子さん。
仕事で上京し、街で梅子さんを探し回る辰岡。
バッタリ出会った梅子さんと辰岡。
足は先ほどの連れ込み宿へ。
邂逅に話が弾む二人。
後は・・・・・。
ベッドの下にはさっきのテープレコーダーがあります。
女中には今回は必要がないといった梅子さんですが、足は気紛れにスイッチを押してしまいます。
突然鳴り響くダンスナンバー。
一度は梅子さんの商(あきな)いを激しく責め立てる辰岡ですが、気を取り直してオイシイ話を持ちかけます。
借金の形(かた)に取った店舗の立ち退きで悩んでいると話し、その仲介を梅子さんに持ちかけます。
上手くいけばそこに梅子さんを住まわせ商売の管理をやってもらう、という話です。
辰岡は、早速梅子さんと靴屋の主人(居座っている人です)を引合わせ伊豆の温泉に送り込みます。
梅子さんは靴屋の主人(山茶花究)の説得役、靴屋は美人の梅子さんにのぼせっぱなし。
話がまとまって帰京してみると、靴屋の内装は取り壊しの最中。
パチンコ屋に改装中です。
驚く靴屋の前に、辰岡の東京妻(市原悦子)が開店の指図に現われます。
もっと驚く梅子さん。
二人は辰岡に嵌められたのです。
自暴自棄になって復讐を誓う靴屋は、梅子に礼をいいます。
「貴方と過ごした短い時間は夢のようだった。元気でいて下さい。」
紛失したテープレコーダーの責任を学校のクラブ員に糾弾される竹子さん。
あきれ果てた母親に愛想を尽かし、竹子さんは家出をします。
友人宅に泊まりながら家の様子を探っても心配している様子もなし。
ガックリくる竹子さん。
愛情と大切な思い出までも裏切られた梅子さんは、それでも開店準備に忙しいパチンコ店まで出向きます。
辰岡に、一言「貴方の命が危ない」と伝えたかったのです。
鼻で笑って、しつこく梅子さんにせまる辰岡に靴屋が襲いかかりますが、辰岡の手下に捉えられてトラックの荷台へ。
逃げ延びた二階から塩をまく辰岡。
靴屋の刃で裂けた日傘でそれを除ける梅子さん。
簡単に物語を説明するといいながら、結局あらかた説明してしまいました。
ま、これはわたしの性(さが)かもしれません。
自分が感動した事柄を誰かに詳細に伝えたいという、困った性(さが)です。
クライマックスはこの後ですが、話の雰囲気は分かっていただけたでしょうか。
くら〜い話ですが、笑える場面も少なからずあります。
肉体と肉体の距離が今よりは数十センチも近いところにあった時代の話です。
こんな暗い映画なのに、なんと健康的であったかと、つい思ってしまう時代です。
主演の京マチ子は日本を代表する女優です。
代表作は多数ありますが、「甘い汁」もその一つです。
設定が盛夏という事情もありますが、シーンの半分は下着姿で熱演しています。
色ぽっくて、バイタリティがあって、いい加減だけど、カワイイ梅子さんです!
竹子さんは名前の通りすくすく育った現代っ子(死語)。
竹子さんには希望があって、それがどんな希望かは分からないが、それを信じている。
自分がどんな環境に置かれているか、梅子さんがどんな苦労をしてきたか、それも分かっている。
桑野みゆきは影の薄かった女優さんですが、竹子さんはこの人しか演じられなかったかもしれません。
辰岡は佐田啓二。
中井貴一と中井貴恵のお父さんで、二枚目の代名詞みたいな俳優でした。
プロフィールを調べると「甘い汁」が最後の出演作です。
この作品の後に自動車事故で亡くなっています。
この人には珍しい悪役ですが、意外な演技の幅の広さが分かります。
監督は、東宝で佳作を数多く作っている豊田四郎。
脇役の多才、多芸さは、日本映画の黄金時代であれば当然かもしれません。
バーでとっくみ合いのケンカをした女給と、肩を組んで家に帰る梅子さん。
例によって、酔っぱらってます。
例によって夜明けです。
竹子さんの家出の話をして梅子さんをなじる母。
そういう母も竹子さんの家出には気が付かなかったという・・・・。
家出の書置きはイタズラ書きと間違われて、いつの間にかゴミ箱に捨てられていたのです。
家に戻った竹子さん、今度は本気で母に挑みかかります。
相手にしない梅子さんにバケツ一杯の水をぶちまけます。
梅子さんの顔のアップ。
内に秘め続けていた感情が全て外に出て、「さあ殺せ、殺せ!」と叫びます。
身支度を始める竹子さん。
今度の家出は「狂言」ではありません。
追いかける梅子さん。
タクシーの乗った竹子さんに、「これを持っていき」とお金を渡そうとします。
泣き出したような表情でドアを閉める竹子さん。
車が去って、取り残される梅子さん。
辰岡と別れた場面の再現です。
違うのは、梅子さんと竹子さんの立場です。
梅子さんは戦士です。
十五で社会に出てから、ず〜と戦ってきたのです。
梅子さんには養う家族と竹子さんがあったからです。
梅子さんが戦ったのは過酷な現実です。
梅子さんは、戦士ですが、女の戦士です。
女が最初に戸惑う現実は、女を女としか見ない現実です。
もし現実が、女の前に一人の人間として女を遇していたのなら、梅子さんは戦い続けるのを止めたかもししれません。
でも現実がそうでなかったから、梅子さんは戦士であり続けたのです。
順序は、こうです。
一人の人間があって、それから女があるのです。
走り去る車を見つめながら梅子さんはつぶやきます。
「竹子、泣くんじゃないよ」。
一部始終を見ていた同僚の女給が帰ろうとすると、先程のお金を車代として渡す梅子さん。
固辞する同僚に無理やり渡す梅子さん。
(だって、同じ戦士だろ<梅子さんの内面のつぶやき<わたしの勝手な想像)
呆けたように朝焼けの街を歌いながら歩く梅子さん。
♪ 奴さん〜、奴さん〜、 お供は〜 つらいね・・・・・。
その後、梅子さんと竹子さんがどうなったかは知る由もありません。
もしかしたら、親子二人で幸せに暮らしているかもしれません。
<第四十九回終わり>
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