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iの研究


第三十五回 <死>の研究



「ラスト・シューティスト」(THE SHOOTIST)。
西部劇の代表的俳優ジョン・ウエィンの遺作です。
SHOOTはー
人を撃つ、銃を発射するーという意味ですから、THE SHOOTISTはガンマンのことです。
ですから、邦題の意は「最後のガンマン」になります。
癌に侵された老ガンマンの最後を描いた映画が、「ラスト・シューティスト」です。

この映画は、虚と実が入り組んだ構造になっています。
この映画が公開されたのは1976年。
ジョン・ウエィンはその三年後に癌でこの世を去っています。

映画は冒頭、伝説的なガンマンである主人公J・B・ブックスのヒストリーをモノクロームの映像で見せます。
それは、ジョン・ウエィンの代表作(「赤い河」、「リオ・ブラボー」等)のハイライトシーンです。
つまりこの映画は老ガンマン、J・B・ブックス=ジョン・ウエィンということを最初に明らかにしています。
この映画のキャッチコピーは、「
大いなる西部はその男の最後の闘いとともに終った」。
「大いなる西部」は「西部劇」のことでもあり、この当時(1976年)既に「西部劇」は瀕死の状態でした。

この映画には、ちょっとした思い出があります。
「ラスト・シューティスト」を最初に観たのは、十年程前の初夏です。
当時わたしは体調を崩して家で静養をしていました。
ゴロゴロしながら何気なくつけたテレビで、それは始まりました。

十分ぐらい観た時、家に来客がありました。
友人がわたしの健康を心配して御見舞いに来てくれたのです。
しかも、メロン持参で。
「お見舞いにメロン」は、この友人の美意識です。
こういうことには無頓着なわたしですが、今でもその心遣いと美意識はハッキリ憶えています。

ま、結局そこで観そこなったわけですが、その思い出と共にこの映画のことは頭の片隅に残っていました。
先日NHK/BSでそれを最後まで観たとき、見る時期としては今の方が正解だったような気がしました。
この映画が正面に据えた「死」を、他人事ではなく自分の問題として受け入れなければいけない歳になったからです。
わたしは憶病者ですから、憶病者の作法にしたがって、それにそお〜っと触れてみたいと思います。



「ラスト・シューティスト」のストーリーは簡潔です。
J・B・ブックスは旧友の医師(ジェームス・スチュアート)を尋ねて、カーソンの町にやって来ます。
時は、1901年1月22日。
医師から末期癌を宣告されたJ・B・ブックスは、この町で最後を過ごすことを決心します。
医師の紹介で、未亡人ボンド(ローレン・バコール)の営む下宿屋に逗留します。
1901年1月22日から1月29日までの八日間、事件や人間模様を織り込みながら淡々と最後の決闘まで物語は進行します。

ここで、年号に注目して下さい。
1901年、そうです、20世紀が始まった年にあたります。
町の冒頭シーンで、カメラは電線を張った電柱からメインストリートにゆっくり降りていきます。
電気、鉄道、電話及び自動車が西部の町にも普及してきたことをさり気なく語っています。

J・B・ブックスは19世紀の西部を生きた男です。
それは、彼が町でもとめた新聞の一面が「ヴィクトリア女王の死」であったことで象徴されています。
その新聞を、彼は全部読もうと心に決めます。
自分の生きた19世紀が、「ヴィクトリア女王の死」と共に終わったことをしっかりと確認したかったのです。

19世紀の西部は、「自分の命は自分で守る。そのために人を殺すことは悪いことではない。」が常識の時代です。
だって、その時代警察は不在でしたから。
これは、西部だけのルールではなく、19世紀的ルールであったと思います。
その19世紀的ルールの終焉が、大英帝国「ヴィクトリア女王の死」で表現されています。
ですから、この映画は「大いなる西部」のみならず、一つの大きな時代の「死」をも内包しているのです。

映画で語られるJ・B・ブックスの信条は、
「中傷や侮辱は許さん、干渉もだ、わしもしないし、他人にもさせない」、
です。

見事な個人主義であり、しかもそれは西部劇の根幹をなす個人主義でもあります。
ここで西部劇について簡単にふれてみます。

わたしが子供時代、映画の主役は時代劇と西部劇でした。
チャンバラとカウボーイです。
代表するスタァは前回研究の中村錦之助とジョン・ウエィン。
概ねこの二人の全盛期と時代劇、西部劇の黄金時代は重なります。

しかし、わたしはどういうわけかジョン・ウエィンの映画をあまり観ていません。
一つには、子供にとって映画は高価な娯楽であり、観る機会が限られていたからです。
巡り合わせが悪かったのです。
大学に進学して自由に映画を観られる時には、西部劇は黄昏(たそがれ)てニューシネマの時代でした。
(おまけに、ジョン・ウエィンはベトナム戦争擁護のタカ派として勇名を馳せていたのでした。)

乏しい西部劇の知識をフルに使って推論すると、西部劇の個人主義とアイリッシュの関係にぶつかります。
この場合の西部劇は、1930年代以降の黄金時代に限定されます。
マカロニウエスタンも除外して考えます。
その範疇でも問題ないと思います。

フロンティアスピリットは西部開拓のことですが、実際に開拓を担ったのは遅れてきた移民です。
先行組のアングロサクソンは東部に根を張っていましたから、アイリッシュやドイツ、東欧系の移民が多かったと思います。
アングロの不満分子、落ちこぼれがそれに加わりました。

西部劇の神様といわれるジョン・フォードはアイリッシュ系です。
彼が監督してジョン・ウエィンが主演した「駅馬車」、「荒野の決闘」、「黄色いリボン」、は西部劇史上に燦然と輝く名作です。
そして、ジョン・ウエィンもアイリッシュ系。
西部劇ではないのですが、二人が心の故郷アイルランドで撮った名作が「静かなる男」。
(これはわたしも観ました。)

この辺りの繋がりと実際の西部開拓史を考慮すると、西部劇におけるアイリッシュの占める役割は大きいと言わざるを得ません。
西部という辺境で生き延びる知恵としての個人主義には、どこかアイリッシュの美意識が絡んでいるような気がします。
これは、あくまでも推論ですが。



J・B・ブックスが、静かに自分の「死」を見つめようと腰を据えた下宿屋は、彼の伝説の所為で騒がしいものとなってしまいます。
彼は伝説の、そして最後のガンマンであり、それをネタに一儲けを企んだり、命を狙う輩が後を絶たないからです。
自分の「死」が金儲けに利用されたり、あからさまにその「死」を喜ぶ者がいることは堪え難いことです。
自分の「死」が見せ物にされる残酷さにじっと耐えながら、J・B・ブックスは死に場所、死に際を考えます。

そんな中で、下宿屋の未亡人ボンド、その息子ギロムとの間に微かな交流が芽生えます。
厄介者で人殺しのJ・B・ブックスを嫌っていたボンドも、彼の心の奥底が見えるにつれ態度を和らげていきます。
彼と彼女は同時代を生きてきたのであり、それは一度打ち解けてしまえば多くの言葉を要しないものです。
同時代を生きてきた男と男、女と女も同じですが、男と女には又違った感情があります。
しかも、「死」が迫った男と女の間です。
それは、初恋が360度回転したような感情ではないかと思います。

時代に反発するにせよ、迎合するにせよ、その時代を共有しているということは何事にも換えられないものです。
何故なら、自分の「生」を見つめてくれる人がいるということですから。
自分が生きてきて、そしてまもなく「死」ぬ時、その時代を共有し少なからずその「生」を肯定してくれる存在。
一人で生きてきたJ・B・ブックスは幸運にもそんな存在と巡り合ったのでした。

ギロムは少年です。
自分ではいっぱしの大人のつもりです。
J・B・ブックスから見れば、銃の腕はナカナカだが中身はヒヨッコです。
少年は伝説のオジさんに憧れ、早くオジさんのようになりたいと思います。

オジさんと少年との関係は、時代を引き継ぐ関係になります。
オジさんには、自分が生きてきた過程で得たものを残したいという欲求があります。
受け止めてくれる者を獲得したいという欲求があります。
親子であれば、男親が息子に託すものがそれです。

自分の時代の終焉を自覚しながらも、それを超えて次の世代に渡したいと思うのは人間の本能のようなものです。
J・B・ブックスがギロムに教えたものは、銃の扱いではなく、銃を扱うときの「心構え」です。
それは、銃よりももっと大切なものであり、銃の時代が去っても通用するものだからです。

映画のラストは、西部劇の定石通り決闘です。
曰くのある三人のガンマンを酒場に呼びだし、J・B・ブックスは一人づつと決闘をします。
深手を負いながらも最後の一人を倒した時、後ろから酒場の主人に撃たれます。
その時酒場に駆け込んだギロムはJ・B・ブックスの手から銃を奪い、とどめを刺そうとした主人を撃ち殺します。
そして、一瞬の間の後ギロムはその銃を遠くにほうり投げます。
それを見たJ・B・ブックスは小さくうなずき、少し微笑んで息を引き取ります。

J・B・ブックスが伝えたかったものはしっかりと伝わり、ギロムはそこで大人になったのです。
J・B・ブックスは、ここで時代に勝ったともいえます。

J・B・ブックスは酒場の床で「死」を迎えました。
それは、傍観者から見れば時代の敗残者の惨めな「死」かもしれません。
しかし、彼は自分の生き方を最後まで貫きました。
酒場は彼の死に場所に相応しい所であり、死に際も彼の望む以上のものでした。



「中傷や侮辱は許さん、干渉もだ、わしもしないし、他人にもさせない」。
この言葉の裏側には、「死」があります。
つまり、他人がそれをしたら個人の「死」を賭けて戦う、という意味が含まれているからです。
あの時代ではそうだったのです。

わたし達はこの言葉を地でいっているような生活を送っています。
干渉されたくないし、したくもない。
中傷や侮辱を受けたら、訴えてやる。
違いますか。

「死」の換わりに、「金」でかたをつける時代に生きているのです。
「死」そのものも、産業化されてマクドナルド化が進んでいます。

今、通夜や葬式をするのはセレモニーホールと呼ばれている民間の場所が主流です。
地方でも自宅で葬式をするのは少数になっています。
わたしの親戚、知人の葬式も、最近はほとんどセレモニーホールです。
マニュアルに添って万事つつがなく流れるように式が進行します。

盛り上げるところはキチンと盛り上げて、故人との別れを演出します。
喪主や親戚にとってみれば楽でいいかもしれません。
出席者にとっても楽です。
スーパーマーケットやコンビニやマクドナルドが楽なのと同じです。

業者は、そこにニーズあるからそうしていると言うでしょう。
ま、その通りです、残念ながら。
20世紀を生きてきた人間には痛恨の極みですが、それも自業自得です。
しかし、20世紀を生きてきた人間にも意地というものがあります。
19世紀を生きたJ・B・ブックスに意地があったように。

わたしは、「死」がセレモニーホールで扱われることには抵抗があります。
何故だか説明できませんが、「死」はそういう場所に相応しいものではないと思うからです。
「死」が個人のものだとしたら、「家」は相応しくないかもしれません。
だからといって、セレモニーホールが相応しいとは言えません。

葬式はどこでやろうと葬式ですが、それが表象する「死」は場所と無関係ではありません。
つまりは、わたし達が失っているのは「死」そのものかもしれません。
尊厳死という「死」が問題になっているのも、わたし達が「死」を見失っているからでしょうか。

J・B・ブックスは、つくづく幸せな男だったと思います。
西部劇は、彼の精神を継いで細々ながらも生きています。
もしくは、西部劇というジャンルを乗り越えて生きているとも言えます。

わたし達が、わたしが、20世紀を生きてきた人間として何を残せるのでしょうか。
つくづく厄介な時代に生きているとはいえ、それは逃れられない問題です。
厄介な時代を招いた責任の一端はわたし達、わたしに、あるからです。
それは、「死に場所」と「死に際」の問題です。


いくぶん大仰なラストになってしまいました。
臆病者の虚勢です。
でも、虚勢を張ってみたい時があっても良いのじゃないでしょうか。
それが虚勢でなくなる可能性だって、ゼロとは言えないと思いますから。


<第三十五回終わり>




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