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iの研究


第三十一回 <パーソナル コンピューティング>の研究(1)



今これを書いていて思うのですが、パーソナル コンピュータって本当に不思議です。
さっきまでは同じコンピュータで映画を観ていました。
北野武の「BROTHER」をDVDで観てました。
わたしが現在使用しているのはラップトップ(ノート型)です。
ラップトップの液晶モニターにヘッドホンを組み合わせると映画も結構イケます。
(最初は、パーソナル コンピュータで映画なんてと思っていたのですが。)

映画を見終わった後はメールのチェック。
申し込んでもいないメールマガジンが1通でした。
メールマガジンを一つ申し込むと、同じ会社から出ている違うメールマガジンも何種類か配信されてきます。
どうなっているのでしょうか。
面倒なのでそのままにしてますが、頼んでいないものを送る以上「断わり」の一つも欲しいですね。

この文章を少し書いたら仕事用の貼り紙をワープロしてプリントアウトする予定です。
「この券売機は故障中です。」というやつです。
わたしは場外馬券場に付設する食堂で働いていますから、そういう貼り紙も必要になります。
券売機といっても馬券の券売機ではありません。
食券の券売機です。
学食なんかにあるでしょ、券売機。
アレです。

映画を観て、メール(手紙)を読んで、iGallery(HP)の原稿を書いて、仕事の貼り紙をワープロして印刷する。
それらを一台の機器ですべてこなします。
しかも持ち運びが出来るので何処でもそれが可能です。
(印刷は無理でしたね。MOにコピーしてキンコーズに行けば可能です。)
お望みとあれば、絵も描けるし、音楽を創ることも聴くことも出来ます。
インターネットでニュースも見られるし、買物も出来ます。
夢みたいな話です。
少なくとも子供時代のわたしにとっては夢みたいな話で、それは未来でした。
そうなんです、わたしは未来にいるのです。
あの時は考えることも出来なかった夢のような未来に・・・・。



その夢は現実となりましたが、それとは違った現実も又あります。
そんな話を先日聞きました。
わたしが大学生時代大変お世話になった先生が二人います。
その一人の先生と久し振りにお会いする機会がありました。
まぁ、実名を出しても先生は怒らないと思いますので書きますが、わたしのHPでリンクを張らせていただいている平野先生です。

平野先生は日本でのパーソナル コンピュータの創成期からのユーザーであり、達人です。
学生にパーソナル コンピュータを教えてもいます。
わたしの知っている人の中ではその知識と技術は飛び抜けてます。
といってもその辺りの話をしたのはつい最近のことですが、わたしには分かります。
一を聞けば十解ります。
先生は昔からそういう人でした。

その先生が最近の学生の話をしてくれました。
学生が親に「コンピュータを買いたいからお金を下さい」と言ったらポンと二十万くれたそうです。
そのワケがかなり哀しい。
会社でコンピュータを習得中なのです、その親御さんは。
業務命令で。
それで、「自分のこんなにツライ経験をお前にはさせたくない、できれば今のうちに習いなさい」、で二十万です。

二十万というのは、イイトコ突いてますね。
ま、過不足ないコンピュータを買う価格です。
さすがお父さんです。
だてにサラリーマンを三十年近くやってた訳ではないのです。

しかし、何か哀しいですね。
哀しいけど現実です。
現実はやっぱりちゃんと見ないといけないと思います。



お父さんは、多分わたしと同年代ぐらいです。
お父さんは、キチンと社会で生きてきた人です。
お父さんは、その長い経験で社会については一応分かっているつもりです。
そして、お父さんはちゃんと社会の役に立つ人です。

そんなお父さんにはコンピュータがサッパリ解らない。
頭にくる事だらけ。
出来れば本体とモニターを窓の外に放り投げたい。
その気持ちは分かります。
よ〜く分かります。

実はわたしもコンピュータを良く解っていません。
わたしの区分で言えば、わたしは初級者になります。
わたしの区分はこうなっています。
初心者、初級者、中級者、上級者。

わたしは初心者を脱してやっと初級者になったばかりです。
初級者の下です。
目標は初級者の上です。
それ以上にはなりたいと思っていません。
中級者、上級者は趣味(ホビー)か業務でコンピュータをやってる人。
その人たちには到底なれません。
別になれなくて良いのです、自分のやりたいことが自分で出来ればね。

わたしはHPをやっています。
HPをやっているとコンピュータが上手いと思われます。
(わたしも始めるまではそう思っていました。)
それは錯覚です。
HPはワープロソフトがある程度できれば簡単です。
簡単なHP作成ソフトと参考書があれば1ヶ月でできます。
要は、やる必然性があるかどうかです。
唯、やってみるとネットワークというモノが良く解ります。
それはやはり貴重な経験です。

何か新しいことを始める場合、頼りになるのはそれまでの経験です。
お父さんがツライ思いをしているのは、コンピュータに関してはそれが当てはまらないからです。
大体の見当とか、道筋が読めない。
何故なら、体系が全く違うからです。
体系が何となく違うと気がついても、今度はどう違うのかさっぱり分からない。

子供は経験が少ないだけに、新しい体系にすぐ馴染みます。
外国に移住した時、子供がいち早くその国の言葉を覚えるのはその所為です。
コンピュータに関してもそうですね。
お父さんは長い経験を積んでいますから、自覚がなくてもついついそれに頼ってしまいます。
だから逆にどうしても時間がかかる。
(ある程度コンピュータを習得するとその長い経験はきっと役に立つ、とわたしは思っています。)

キーボードだって触ったことがない。
むかし映画やテレビで見たタイプライティングはお父さんの憧れでした。
しかし実際に打ってみるとこれが意外に難しい。
人さし指で一語一語入力していると、ちょっとした短文に1時間以上もかかる。
手で書けばものの数分で終わる量がである。
キーボードには訳の分からない記号もイッパイある。

唯一の頼みである参考書も、どういう意味だか分からない英語が頻繁に出てくる。
略語も多いのでおおよその意味さえ掴めない。
TCP/IPが分からないので、解説を読んだら余計分からなくなってしまう。
お父さんは途方に暮れてしまいます。
周りでは、年端の行かない者が自由自在に扱っている。
世の中も、会社も、IT革命とかで大騒ぎをしている。
お父さんのプライドはズタズタです。
お父さんの夢が現実になったとき、まさかこれがこんなにツライものだとは、それこそお父さんは夢にも思いませんでした。



ここまで書いたお父さんとは、実はわたしのことでもあります。
6年ほど前にコンピュータを習い始めたわたしのことでもあります。
その当時のわたしです。
その時、わたしは既に40代半ばでした。
世の中がデジタルに傾きはじめ、そういった類いのものとは無縁だったわたしは若干の焦りを感じました。
時代の波に取り残されるのでは、という恐れを感じていました。

それと、(ここが大切なのですが)、コンピュータのカッコ良さも動機の一つでした。
コンピュータを操作しているのって、どことなくカッコ良いですね。
何か知的でね。
まぁ、こういった不純な動機も孕みつつわたしはコンピュータを始めたのでした。

今のわたしは初級者ですからお父さんのような悩みはありません。
別に偉いわけでも何でもなくて、ただ馴れただけです。
「習うより馴れろ」です。
コンピュータがそれ程怖いものでもなく、体系に馴染めば何とかなると思っているだけです。


さて、体系です。
ここから研究の本題に入ります。
コンピュータの体系を簡単に考察して、それから体系の中心(お父さんがツライ思いをしているモノ)に触れてみたいと思っています。
とはいっても、初級者の研究です。
誤り、異見がございましたらメールでどしどし下さいね。

コンピュータというのは、実は種類が幾つかあって、今普及しているのはフォン・ノイマン型コンピュータと言うらしいです。
ですから、これから考察するのはそのフォン・ノイマン型コンピュータのことです。
コンピュータは電子計算機ですね。
あたり前です。
確かに貴方がパーソナル コンピュータに付属している計算機で計算しているときはあたり前です。
じゃ、わたしがこの文章を入力しているときはどんな計算をしているのでしょうか?

あらかじめコンピュータに入っているソフト、後から入れたソフト、それから貴方が作ったファイル、これらの中身はすべてデータです。
つまり、データの処理をし、データを記述するのがコンピュータの操作なのです。
いきなり難しい話になりましたね。
で、話を簡単にすると、そのデータはすべて0と1で表現されています。
例えば、「&」は「00100110」になります。
文字の場合は「文字コード」によってそう決められているのです。

文字も数値も色も音も全部0と1で表現できるようになっています。
乱暴に言ってしまえば、貴方がキーボードやマウスで何を入力しようが、どんな操作をしようが、コンピュータ内部では0と1に変換されて物事が進行しているということです。
そして、ここが肝要なところですが、0と1は見方を変えると「無い」と「在る」になります。
スイッチを入れる(電流を流す)が「在る」、スイッチを切る(電流を流さない)が「無い」になりますね。
ですから、スイッチのON/OFFで0と1は表現されます。
先程の「&」は、単純に考えると「00100110」が電流の「OFF、OFF、ON、OFF、OFF、ON、ON、OFF」になります。

コンピュータ内部ではすべてが0と1という数値に置き換えられ、それが電気のON/OFFに変換されます。
そして、コンピュータのやっているのは0と1からなる2進法の計算だけです。
それも基本的にはたし算だけ。
詳しいことは書きませんが、かけ算も引き算も割り算もたし算の応用で行われます。
電子回路の無数のスイッチング(たし算)がコンピュータの正体です。
ですから、今書いているこの文章はコンピュータの内部では0と1のたし算として実行されているのです。

わたし達は10進方の世界で生活していますから、この2進法に馴染がない。
つまずきの第一歩です。
なおかつ、数値が電気のON/OFFになるのが良く分からない。
変換というものに馴れていないからです。

わたしが、ここで下手な初心者講座をしたのには理由があります。
一つはデジタルにおけるコピーは数値(0,1)のコピーであるということです。
数値はコピーしても絶対劣化しません。
「00100110」をコピーすれば、「「00100110」という数値で示されたスイッチング指令をコピーしたのにすぎません。
劣化のしょうがないですね。
言い方を変えれば「00100110」にはオリジナルもコピーもないということです。
どちらも「00100110」という数値の列にすぎません。

わたしは、このコピーという概念がコンピュータの体系の核心の一つではないかと思っています。
単純なコピー&ペーストを始めとして、プログラミングやデータの使い回し、ネットでの送受信なんかも概ねコピーで成り立っています。

もう一つは、数値に置き換えられさえすれば、どんな概念もコンピュータで扱えるということです。
0と1に変換できれば、どんなものでもコンピュータで扱えます。
テキストや表計算や音楽や美術といった既存のものだけではなく、今は存在しえないメディアでも記述が可能です。
それは、コンピュータがもつシュミレーションという特異な能力が為せる業です。
卑近な例でいえば、「匂い」が数値化できれば匂いのプリンターのような機器で出力できます。
シュミレーションについては、回を改めてパーソナル コンピュータの可能性を中心に研究する予定です。



さて、お父さんをツライ思いにさせているモノ=「体系の中心」の話です。
わたしの経験でいえば、それはOSです。
Operating Systemの略でOS(オーエス)ですね。
MacOS,Windows,Linux,BeOSとかUNIX,MS-DOSなんかもありますね。

これを体感的に理解できれば初心者から初級者にステップアップできます。
とにかく、最初はこれが理解できない。
現実世界と体系が全く違いますし、体系の実体が良く見えません。

コンピュータはハードとソフトから構成されています。
わたしやお父さんのようなシロートはハードのことは苦手です。
何せ電気ですから、+と−ぐらいしか分からない。
ハードに関してはそれでもノープロブレム。
メモリを増設するときぐらいしか中を見ないですから。
それにハードの故障はめったにありません。

問題はソフトウェア。
トラブルの多くはソフトウェアの問題です。
しかもOS絡みが圧倒的に多い。
そして、ソフトウェアのトラブルは自分で解決することが基本になっています。
友人、知人に電話したり、繋がらないサポートにイライラした憶えは誰にもあると思います。

OSとは、ファイルの管理、メモリの管理、入出力の管理、ユーザーインターフェースの提供などを行う基本ソフトウェアです。
そう書いてあっても初心者には何のことだかサッパリ分かりません。
「OSを憲法とすると、応用ソフトは一般法にあたる」、という比喩を聞いても余計混乱するだけです。
これはもう体感で分かるしかないと思います。
「習うより馴れろ」しかないですね。

一方、コンピュータの好きな人は大抵OSが好きです。
わたしがリンクを張らせていただいているKさんなんかはOSマニア。
1台のコンピュータに4つもOSを入れて遊んでいました。

ところで、ワープロ専用機も携帯電話もコンピュータです。
ワープロ、通信に特化したコンピュータです。
ですから、ちゃんとOSがインストールされているのですが、その存在に気付く人はいません。
気付かなくても操作に全然影響がないからです。

ところが、パーソナル コンピュータになると事情が全く違います。
コンピュータは基本的には「箱」です。
その「箱」に何を入れるかによって性格(用途)が決まります。
ワープロソフトを入れれば、ワープロが使える機器です。
画像処理ソフトを入れれば、写真の加工、変換ができる機器です。
通信ソフトと入れれば、メールとWWWの閲覧ができる機器です。
マイクをセットすれば電話にもなります。

つまり、パーソナル コンピュータは使用者の自由度が異常に高い機器(コンピュータ)ということになります。
その自由度を支えているのがOSです。
お父さんが戸惑ってしまうのは、OSの体系が現実社会と似て非なるものであり、OSが支えている自由度が高いということです。

コンピュータにできることは基本的に論理的な作業です。
なぜなら、コンピュータのやっていることは計算だからです。
ですから、その論理に合わないことは梃子でも実行しません。
URLのドットが一つ抜けていても絶対に許してくれません。
融通とは無縁の世界だからです。
お父さんが「勘弁してくれよ〜」と哀願しても、コンピュータは勘弁してくれないのです。
(ファジーを取り込むことはできますが、話がややこしくなりますからここでは触れません。)

似て非なるものというのは、GUI(Grafical User Interface)がいかに現実を模していても、それが現実の論理とは基本的に違うということです。
又、お父さんに代表される一般ユーザーは標準設定で使うことをが正しいと信じているので、カスタマイズには馴れていません。
OSの提供する多くのカスタマイズ及び操作の多様性はただただ煩わしく、混乱するだけなのです。
元来カスタマイズは趣味の世界の話です。
クルマを改造するのは趣味であり、一般ユーザーはメーカーの推奨した使い方しかしません。
コンピュータは特殊、趣味が一般界に降りてきた世界なのです。

将来のデジタルライフの中心にパーソナル コンピュータが座れるかどうかは非常に微妙です。
コンピュータメーカーは当然それを目指しています。
ライバルは携帯電話、ゲーム機( PS2等)、PDAあたり。
それらとの連携も視野に入れて戦略を練っています。
(この戦略ではソニーが一歩抜けています。)
が、OSの存在がねぇ。
これがネックになりそうな気がします、わたし個人の感想では。
わたしも散々苦労しましたし、お父さんは泣きが入ってますからねぇ。
かと言って、OSの存在が見えなくなったらパーソナル コンピュータじゃなくなってしまいます。
この辺りが難しいところです。

さてさて、初心者から上級者へのステップアップ、つまりOSの理解にはどういった方法が有効であるか?
基本はあくまで「習うより馴れろ」ですが、それだけではここまで読んでいただいた初心者の方に申し訳がない。
わたしの経験では、OSのバージョンアップが最も有効です。
例えば、今貴方のパーソナル コンピュータのOSがMacOS8.6だとしたら9.1に上げてみることです。
(あるいは、Windows98からWindowsME。)
自分が作った、あるいはダウンロードした必要なファイルのバックアップさえあれば恐れる必要はありません。
8.6が9.1になったところで別に劇的な変化はありません。
しかしながら、OSがどういったモノかの勉強にはなります。
お試し下さい。
(責任は持てません。責任は各自が負う、これもパーソナル コンピュータの世界の論理です。)

最後にMacOSの話題です。
今Macを購入すると、OSが予め2つインストールされています。
MacOS9.1とMac OSXです。
この二つのOSの成り立ちは異なります。
これは、始めてパーソナル コンピュータに接するユーザーは混乱するでしょうね。
その意味を理解することが出来ないからです。
アップルの都合でそうなっているだけなのですから。
しかし、怪我の功名でOSに対する理解が早まることも考えられます。
実に希望的観測ですが。

研究は続きます。
予定では3回ぐらいに分けて研究します。
今回はイントロといったところです。
インターフェース、シュミレーション、ネットワーク、他のメディアとの比較、オープンソース(知的所有権)などなど研究したいと思っています。
構成は未定です。
間に違う研究が入るかもしれません。
お付き合いいただければ幸いです。

お父さん、ガンバッテ下さいね、わたしもガンバリますから!


<第三十一回終わり>




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